第1次安倍政権崩壊の引き金を引いた「消えた年金記録問題」が再浮上した。当時、慌てて作った法律の不備から、巨額の支給漏れが見つかったのだ。しかも、日本年金機構は内部告発を受けながら、10カ月間も問題を放置。隠蔽(いんぺい)まがいの工作に奔走していた。問題をいち早くつかんだ週刊朝日がその全貌をスクープする。

 官邸にごく最近、“極秘”扱いで報告されたその数枚の資料は、厚生労働省と日本年金機構が作成したものだった。そこには再び10億円程度の年金支給漏れがあったことが記されていた。

 わずか6年前、「消えた年金記録問題」で猛烈な世論の批判を浴びた厚労省、社会保険庁。社保庁の後継組織である日本年金機構と同省は、問題の再燃を恐れ、この2週間、資料を片手に永田町や霞が関かいわいを根回しに走り回った。まさしく「官僚の復権」を印象づける光景だった。政府関係者が明かす。

「詳細な報告が官邸にあがったのは数日前のことです。厚労省、年金機構のごく一部の幹部しか長い間、知らないトップシークレットでした。第1次安倍政権の悪夢を思い出して、官邸、閣僚らが対応に慎重になり、ピリピリした空気が流れていました」

 今度はいったいどんな支給漏れがあったのか。発覚したきっかけは昨年1月、日本年金機構の一人の職員の「内部告発」からだった。

「『年金時効特例法』による年金の支給判断が、職員によりバラバラで、同じ条件でも人によって支払われたり、支払われなかったりしている」

 同機構関係者によると、職員の告発は、周囲に取り合われなかった。このため、職員は、数カ月にわたり、さまざまな部署に対し、働きかけを続けたという。「理事長の声」という内部通報システムや「法令等違反通報制度」も利用した。

「この職員は、経団連出身の紀陸(きりく)孝理事長(当時)に直接、手紙も手渡しましたが、結局、問題のある判断はそのまま続きました」(別の関係者)

 あれだけの批判を受け解体されながら、旧社会保険庁、現日本年金機構の「隠蔽体質」はなんら、変わっていなかったようだ。

 支払った期間に応じた「年金」を、老後、平等に受け取ることができる。それが年金制度を維持していく上での根幹だ。もし、対応した職員によって支給基準がバラバラであれば、誰も支払う気にはならないだろう。なぜ、こんな重大な指摘が、顧みられなかったのか。

 そもそも、この職員が運用にばらつきがあると指摘した「年金時効特例法」とは、どんなものなのか。それを解説するには、過去7年に及ぶ「消えた年金問題」を振り返る必要がある。

 年金記録問題が初めて浮上したのは、小泉政権だった2006年。民主党の長妻昭衆院議員が厚生労働委員会で「消えた」年金記録の存在を指摘した。第1次安倍政権だった07年2月には、民主党が衆院に求めた調査で、基礎年金番号に統合されていない記録が、厚生・国民年金合わせて5千万件余りあることが判明。行政の失態で、十分な年金が支払われていない人や、多数の無年金者もいることがわかった。

 民主党躍進の原動力となったのは、この「消えた年金問題」だった。対照的に対応が後手にまわった安倍首相の支持率は30%台になった。

「最後の一人に至るまでチェックし、年金はすべてお支払いすると約束する」と首相が発言。この言葉を実現するため、急場しのぎの議員立法としてできたのが、問題の「年金時効特例法」だ。

 07年7月の参院選に間に合わせるため、5月末に法案を提出。審議を強引に進め、民主党など野党3党から首相や柳沢伯夫厚労相の問責決議案や内閣不信任案を提出されるなど、もめにもめた揚げ句、与党は6月30日未明、社会保険庁改革関連法とともに、強行採決で成立させた。その後、周知期間わずか1週間で施行した同法の中身はこうだ。

(1)保険記録が訂正されて年金が増額された場合、未払いだった年金を全額支給し、5年分しかさかのぼれなかった時効を撤廃する

(2)遺族でも未払い分の請求は可能――というもの。実際、施行後の07年7月から同年末までの間に、さっそく1万7114人の年金受給者に対して、時効分の年金など総額134億7549万円の追い払いが決まった。当時の報道によると、最高額は96歳の男性。国民年金だけを受給していたが、息子が社会保険事務所に問い合わせたところ、会社勤めの期間の厚生年金の受給漏れが判明し、厚生年金2823万円が支払われたという。

 このように早期に年金の受給漏れを救済する法律ではあったが、司法関係者は重大な欠陥を指摘する。

「あまりに性急にできた法律で、大枠しか定められていないザル法でした。にもかかわらず、厚労省と年金機構は細かい運用基準を文書化していなかったのです」

 政権はその後、福田、麻生と代わり、09年秋には民主党へ交代し、鳩山内閣に。年金問題で人気を博した長妻氏が厚労相になったが、事態はあまり改善しなかったという。

「この法律に対応した職員向けマニュアルは作られず、十数ページの窓口向けQ&A集があるばかりで、不統一な判断が続きました。解釈に疑問が生じた場合、厚労省年金局に問い合わせをすることもありましたが、回答が来たのは1年半後だったケースもありました」(同機構関係者)

 年金の不公正が問題となった「消えた年金問題」の解決策で、さらなる不平等を生み続けたわけだ。内部告発が相手にされずに業を煮やした職員は、昨年11月、総務省に設置されている外部監視組織「年金業務監視委員会」に持ち込んだ。同委員会の指摘を受け、今年1月になって、同機構は極秘裏にコンプライアンスの経験が長い弁護士を委員長に、調査委員会を発足。委員会が、関係職員にアンケートやヒアリングをした結果、同法の運用が不統一だったことが原因で、巨額の支給漏れがあることが浮かび上がってきたという。

 特に額が大きかったのは、「オールゼロ」と呼ばれるケースだ。旧台帳記録としてマイクロフィルムに別管理されていた記録は、オンライン上では、事業所番号が不明なため「オールゼロ」として収録される。この記録により初めて年金の受給要件を満たす場合は、記録訂正があった可能性が高いため、すべて年金時効特例法を適用する方針だった。だが、それが職員に周知徹底されておらず、支給されていなかったケースが多発した。

 このミスの場合、長期間の記録が登録されていないため、1千万円から3千万円の支払い不足もあった。委員会の調査結果では、この「オールゼロ」だけで、未払いは、なんと1300件、合計約10億円に達していたという。

 記録訂正をしてから、時間が経過して請求を受けた「請求遅れ」についても、1年で支給できないとしたケースもあれば、5年以内なら大丈夫としたケースもあったという。さらにはこんな不平等も生じた。

「通算老齢年金で記録訂正した結果、過払いが見つかり、時効特例法適用分と差し引きの末、支給額がゼロとなった場合、当初は払っていませんでした。だが、施行4年後の11年に厚労省との協議で処理方針が変更され、支給することになった。その前後でもらえた人ともらえない人と不平等が生じたが、過去の案件は一切、見直していませんでした」(別の機構関係者)

 元年金記録問題特別チーム室長の野村修也・中央大法科大学院教授は今回の問題についてこう話す。

「どちらかわからない部分の判断を結局、現場に任せてしまったということではないか。本来は法を作ったときによく考えて、きちんとしたガイドラインなりマニュアルなりを作って業務の統一をはかり、またそれがちゃんと運用されているかどうかを監視する制度を作らなければならなかった。そこを怠ると、かならずこうした問題が起きる」

 逆に年金時効特例法による過払いは発生しなかったのだろうか。法律を制定した当時は、この法の適用による支給件数、支給額は約25万件、約950億円と見積もっていた。これまで同法に基づいて支払われたのは、すでに310万件、1兆8500億円に達している。この中に、過払いが多く含まれている疑惑も当然、浮上してくる。

 さらに深刻なのは、内部告発に対する一連の厚労省、同機構の対応だ。職員は当初から、前述したものなど「不統一」の10のケースをあげ、具体的に指摘していた。それを取り合わず、調査委員会が発足するに及んでも、一切、公表しようとしなかった。

 今年3月末には調査結果がまとまり、全体像がほぼ判明したにもかかわらず、真っ先に取り組んだのは関係者への「根回し」だった。年金時効特例法に関する支給漏れについて週刊朝日は4月12日、同機構と厚労省年金局に質問状を送った。同機構は「『広報室』は、問題を一切把握しておらず、コメントできない」と回答。厚労省年金局は同13日、こう回答した。

「事実関係を調査しているところで、結果はそう遠くない時期に公表する」

 4月13日現在、公表されていない。職員から告発を受けた同機構の紀陸理事長は、調査委員会が立ち上がった直後の今年1月に理事長職をひっそりと辞任していた。13日、自宅を直撃するとこう述べた。

「辞任とこの件は一切関係ありません。私の在任中にそういう問題はありましたが、辞任した後の経過は承知していない。当時、私は調査しろと言いましたし、厚労省と連携しながら対応していました。だが、ケースの精査に非常に時間がかかってしまったようです」

 実際、調査委員会がまとめた報告書も職員の「内部告発」に対するコンプライアンスは問題ないと結論づけているが、10カ月間も告発がたらい回しになっていたことは事実だ。

「宙に浮いた年金記録をすべて回復する」と大見えを切った民主党は厚労相直属の「年金記録回復委員会」などを設置したものの、何もできずに政権を去った。返り咲いた安倍政権は、“鬼門”である年金問題の沈静化に躍起だ。

 田村憲久厚労相は、就任直後に今なお未解明の年金記録2222万件について「費用対効果は頭に入れなければいけない部分もある」と全容解明に慎重な姿勢を示し、前政権の回復委員会を廃止。委員らを一部入れ替えて「年金記録問題に関する特別委員会」を新たに立ち上げた。今回の委員入れ替えでメンバーから外れた廣瀬幸一・社会保険労務士はこう忠告する。

「厚労省・日本年金機構の隠蔽体質は変わっていません。公平な判断をしていることが検証できるように、本来は一つひとつの裁定事例を公表すべきですが、いくら働きかけてもそれはしない。外部からは受給の適否を検証することができないのです」

 日本年金機構は少なくとも今回確定した10億円について追加払いをせざるをえないだろう。だが、それは「氷山の一角」に過ぎず、長年続く年金ずさん管理の闇は、今なお深い。

週刊朝日 2013年4月26日号