『「いらっしゃいませ」と言えない国 中国で最も成功した外資・イトーヨーカ堂』湯谷昇羊・著/新潮文庫
2010年10月にダイヤモンド社より刊行された『巨龍に挑む』を、2012年の尖閣デモを含めて改稿した文庫版。著者の湯谷昇羊はダイヤモンド社で編集として勤め、現在はフリーの経済ジャーナリスト。中国進出に挑むイトーヨーカ堂の企業戦士たちの奮闘を記録した熱血ドキュメンタリーである。現地従業員にも芽生える愛社精神は、全店一斉休業で行われた成都ヨーカ堂大運動会で発揮される。一致団結して会社のために尽くすその姿は現在の日本からは失われつつある光景かもしれない。

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『「いらっしゃいませ」と言えない国 中国で最も成功した外資・イトーヨーカ堂』は、10年以上にも及ぶヨーカ堂中国進出を記録したノンフィクションだ。
海を挟んだ隣国とは言え、日中間には非常に大きな文化の違いがある。そこには想像を絶する苦難の連続と、それを乗りこえていくスタッフたちの知られざるドラマがあった。


【日本鬼、死ね、帰れ】

1997年、イトーヨーカ堂は1号店出店のために現地従業員を1000人ほど集めたのだが、開店前の研修で200人が脱落した。
まず、挨拶が出来ない。研修ホールにあつめられた中国人従業員。壇上で日本人の教育スタッフが言う。
「接客六大用語を大きな声で言ってみましょう。私に続いて唱和して下さい。『歓迎光臨(いらっしゃいませ)』」。
静まりかえる会場。誰も唱和しない。
「恥ずかしい」「疲れる」「お客さんだって驚いて逃げる」
信じられない理由で拒否する従業員たち。日本人スタッフがいなくなった隙に大脱走をはかる。挙句の果てには、ホワイトボードに旧陸軍の兵隊の絵と共に「日本鬼、死ね、帰れ」と落書きされるありさまだ。
そもそも共産圏の中国では配給制度の名残があるために、店側は「売ってやっている」という意識が強い。「お客様は神様」の日本とは正反対だったのである。


【中国に染まれ、ただし染まりすぎるな】

中国という国の現実の前に、開店にこぎ着けるのも一筋縄にはいかない。
商品の買い付けすら満足にできなかった。詐欺会社ではないかと疑われ、不良品を押し付けられた。卸した冷凍鮮魚は水増しされており、解凍すると形が無くなった。トラックで商品を輸送中、田舎道に大木が倒れていたこともあった。自称村人がどこからともなく現れて、「どかしてやるから金を寄こせ」。こんな山賊まがいの者まで出没する世界。ヨーカ堂ブランドも、日本の常識も、一切通用しなかった。

1997年11月21日、それでも当初の計画通り成都1号店の開店にこぎつけた。
しかし、棚には空白が目立ち、売り場の一部はまだつくりかけ。なんとか店としての体裁を整えるのがやっとという状態だった。
売れたのはオープンから三日の間のみ。その後は予定の10%から20%程度の売上。自信をもっていた惣菜、鮮魚コーナーは不振だった。大幅値下げしたカジュアル服は中国人のセンスに適わず、せいぜい少量がパジャマとして買われる始末。従業員による万引きや、トイレットペーパー等備品の持ち逃げが多発し、赤字を促進させた。白昼堂々、売り場の鶏肉を盗んだ従業員までいた。服の下に、大量の生肉が巻き付けられていた。

一発逆転の簡単な解決策はなかった。日本人社員たちは徹底して中国を知ろうとした。
家庭ゴミを漁っては中身をチェック。昼食は現地民向けの粗末な屋台料理を無理にでも食べる。中国人従業員の家にまで上がりこみ、冷蔵庫の中身から家計簿まで調べ尽くした。
1日18時間労働が当たり前の日々。体調を崩し、精神を病み、帰国するものもいた。しかし全員が屈したわけではなかった。
彼らを支えたのは、たった一つの情熱。「絶対に成功させてやる」という強い意思だった。

「中国に染まれ、ただし染まりすぎるな」とは、専務取締役中国室長であった塙昭彦の言葉。
衣料品はすべて中国式に変え、月餅とよばれる現地の風習に合わせた食品展開も行われた。
一方、「染まりすぎない」独自の日本らしさも売り場に持ち込んだ。例えば、中国にはなかった土曜の丑の日にウナギを食べる習慣。それを大々的に売り込み、持ち込んだのはイトーヨーカ堂である。新聞の折り込みチラシもヨーカ堂がパイオニアだ。あんぱん、たこ焼き、クリスマスのケーキの予約。
日中両国の文化を取り入れた商品展開は、少しずつだが着実に、成功を収めていった。


【緊急時だからこそ】

2001年。4年目にして、血のにじむ努力がやっと実を結んだ。
売上87億円、単年度黒字8000万円である。1年目の売上が38億円で12億の赤字だったことを考えると、とんでもない急成長だ。現場では日本人、中国人スタッフが一丸となって客をもてなしていた。ここから全てが上向いてく、誰もがそう思った。
その矢先のことだった。

2003年春。巷では「ヘンな風邪が流行っている」という話で持ち切りだった。
中国で発生した新種の感染症、SARSである。8093人が感染し、774人が死亡した。政府は人混みへの外出を自粛するよう呼びかけた。周囲の小売店からデパートまでが次々と休業。ヨーカ堂従業員のなかに感染者がいるという噂も流れた。街から人が消えた。

2008年5月12日の四川大地震。成都全体がかつてない揺れに襲われた。
この地震による死者は約8万人、負傷者は約37万人に上り、被災者は4600万人を超えた。インフラは切断され、街路は避難しようとする人々で埋め尽くされていた。

こうした困難の中でも、ヨーカ堂はあえて開店に踏み切った。
成都ヨーカ堂総経理であった三井は言った。「大変だろうが、われわれには緊急時だからこそ、物資の提供という社会的責任があるんだ」
いつでも、いつもと同じように日常品を売っているイトーヨーカ堂。信頼を勝ち取った。

2005年には、中国の都市部で大規模な反日デモがあった。2001年の小泉首相による靖国参拝がきっかけと言われている。歴史教科書問題や、日本の国連安保常任理事国入りを目指す決意表明も反日感情に拍車をかけた。インターネットを中心に集まったデモ隊はしばしば暴徒と化した。店の看板に日本語を見つければ、見境なく襲撃した。成都ヨーカ堂の前には数万人に膨れ上がった人々が集まっていた。投石が始まった。

2012年。再び大規模反日デモが発生した。尖閣諸島の領有権を巡る問題に端を発したものだった。その規模は2005年を上回るもので日系の工場は徹底的に破壊、放火された。中国人ですら、日本車に乗っているというだけで襲撃の対象になった。
当然、日系企業へのバッシングは熾烈を極めた。例えばイオン黄島店は商品の8割を略奪され、25億円の被害を受けた。中国からの撤退や進出の見合わせをする日本企業もあった。


【ヨーカ堂が好きだし、愛してる】

イトーヨーカ堂は、2013年現在、北京と成都で15店舗を出店している。特に成都ヨーカ堂は中国国内の流通チェーンの中でも一店舗辺りの売上高が堂々の一位である。

ヨーカ堂は度重なるデモの中、2004年に投石を受けた以外、ほとんど無傷だった。デモが過ぎ去った後、近所に住む老人は店長の手を握り、涙ぐんでいた。
老人は言った。
「昨日は大変申し訳なかった。中国人全員がそう思っているんではなく、若い人の一部なんだ。私はヨーカ堂が好きだし、愛している」
店長は返した。
「ええ、わかっていますから」
ヨーカ堂はついに地域に根付き、地元民に愛される存在となったのだ。事実今ではほとんどの店長や幹部まで、現地の中国人が勤めている。

売上だけではない。もっと大切なものが中国のヨーカ堂に芽生え始めていた。「牛乳おばさん」と呼ばれた女性スタッフのエピソードがそれを表している。
ある日、一人暮らしのおばあさんがヨーカ堂に12ケースの牛乳を買いに来た。賞味期限は切れてしまうが、体が悪くて毎日買いに来られないのだと言う。心配した中国人従業員の蘇さん(34歳・女性)は毎日毎日、仕事終わりに牛乳を届けることにした。
おばあさんは新聞社に投書した。美談として讃えられた。塙は蘇さんに感謝をこめて、彼女を「牛乳おばさん」と呼んだ。
中国人従業員の間に本当の「サービス精神」が宿り始めたのだった。


ネットや書籍などで様々な「中国論」が跋扈する昨今。私たちはどこかで中国を知った気にはなっていないだろうか? 
本書で描かれている中国の実情と、ヨーカ堂が受け入れられるまでの苦悩と喜び。直接現地でぶつかり合い、対話することによって初めて可能となる理解。
中国を知るために必要なのはデータや、政治的な言葉だけではないはず。それよりもずっと重要なもの。異国と真摯に向き合うという姿勢がそこにはあった。(HK 吉岡命・遠藤譲)