岩井克人(いわい・かつひと)  国際基督教大学客員教授。1947年、東京都生まれ。東京大学経済学部卒業。マサチューセッツ工科大学Ph.D.イェール大学助教授、東京大学経済学部教授などを経て、現在は東京大学名誉教授、東京財団上席研究員、武蔵野大学客員教授も務める。”Disequilibrium Dynamics”にて日経経済図書文化賞特賞、『貨幣論』にてサントリー学芸賞、『会社はこれからどうなるのか』にて小林秀雄賞受賞、ほか著書多数。

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「どんどん工場を建てて大量生産すれば利益が出る」という図式も今は昔。ではポスト産業資本主義時代のいま、利潤を生みだす要素は「お金で買える工場」から何へとシフトしているのだろうか?
「私がおもしろいと思うのは、このポスト産業資本主義の中で成功している会社は、お金儲けを最優先にせず、社会への貢献を前提としている非資本主義的な会社であるという逆説です」。
岩井克人先生の指摘どおり、なるほどグーグルやフェイスブックはじめいま注目されている企業はみな「利益第一主義」よりも、よりよい社会を作るためのインフルエンサーであることを標榜している。ポスト資本主義社会の「最大の資本」を解き明かすヒントは、どうやらこれら企業の成功の裡に隠されていそうだ。

貨幣はなぜ貨幣たりえるのか?

武田 私たちが生きる資本主義の世界には、その最も中心に貨幣の存在があります。『二十一世紀の資本主義論』では、貨幣は、いつかどこかで何か別の商品と交換されるために保有される「交換の媒介」と説明されています。なぜ貨幣は、何かと交換できる役割を担えるのでしょうか?

岩井 その疑問に関しては、2つの代表的な学説があります。ひとつは、貨幣そのものにモノとしての価値が存在しているとする「貨幣商品説」で、もうひとつは、共同体の決まりや政府の命令、国家の法律などでそれが貨幣だと定められているとする「貨幣法制説」です。でも、私はどちらも、間違いだと思っています。

武田 それは、どういった理由からなのですか?

岩井 貨幣の起源は、金や銀など皆が欲しがる貴重なモノであった可能性もあります。また、頭の良い王様があるとき、何かを貨幣にすると命令したことによって始まった可能性もあります。

 事実、昔はさまざまなモノが貨幣として流通していましたし、またコインの場合は、紀元前7世紀ごろに現在ではトルコ領内のリディアという国家の王様が発明したと言われています。ただ、どちらの可能性もあるということは、どちらも半分しか真実ではないということです。

武田 どちらかが、貨幣の始まりということではないんですね。

岩井 そうです。貨幣の起源としてはどちらの可能性もありえます。そして、現在からはどちらが実際の貨幣の起源であるかは、決めることができません。そして、さらに言えば、貨幣論としては、どちらも間違えている。

 たとえば金銀が貨幣として使われていたとします。もし金銀のモノとしての価値、たとえば耳飾りとしての価値が、貨幣としての価値よりも高ければ、どうなると思います?

武田 貨幣としては使いませんね。そのまま恋人にプレゼントするほうが見返りが大きいかもしれません(笑)。

岩井 はい(笑)。だれもがその金銀を手元に置いて、耳飾りにするはずです。貨幣としての価値のほうが低いから、他人に貨幣として引き渡すなどというもったいないことはしません。ということは、それはモノとして使われ、貨幣としては流通しないということなのです。

 逆に言うと、金銀でもなんでも貨幣として使われたとたんに、その貨幣としての価値はモノとしての価値を必ず上回っている。だから、人はそれを自分でモノとして使わずに、他人に他のモノと引き換えに手渡し、その結果、人びとのあいだで流通することになる。

 つまり、貨幣商品説は理論として矛盾しているのです。

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