アイデア特別編集『電気グルーヴ、石野卓球とその周辺。』
その前身である「人生」時代も含む、電気グルーヴの全仕事を収録し、ファン垂涎の内容の本書。彼らの最新作『人間と動物』のリリースとあわせて2013年3月、デザイン雑誌「アイデア」の版元である誠文堂新光社の創立100年を記念して刊行された。誠文堂新光社といえば、「子供の科学」や「MJ 無線と実験」などといった科学雑誌でも知られるが、そう考えると同社の100周年で電気グルーヴというのはグッとくるものがある。
メンバーの石野卓球とピエール瀧が各作品を解説したインタビューのほか、元メンバーの砂原良徳、デザイナーの和田一基、ヤマシタヤスノブ、田中秀幸、マネージャーの道下善之、マンガ家の天久聖一、そして電気グルーヴのロゴの生みの親であるイラストレーターでデザイナーのスージー甘金らの証言も収録されている。

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先月、Zepp DiverCity TOKYOで開催された、電気グルーヴの「ツアーパンダ2013」東京公演の客がたった3人だった! という話がツイッターで流れてきた。さっそくトゥギャッターにもまとめられ、ライブを観に行った人が口々に「客が3人しかいなかった」「しかも1人は(ピエール)瀧さんの奥さん」とつぶやいているのだが……それがあきらかに3人以上いる(笑)。どういうことだと最後まで見ていくと、ちゃんとオチがついていた。それにしても、こういうバカバカしいこと(ほめてます)をやるときの、電気グルーヴとファンの結束の固さに感心するとともに、あいかわらずだなーとうれしくなる。

そう、電気グルーヴの2人、石野卓球とピエール瀧は昔からこんな感じだった。1990年代のラジオ番組「電気グルーヴのオールナイトニッポン」の頃から(いや、おそらくは2人の原点である1980年代のインディーズバンド「人生」の頃から)、その姿勢には一切ブレがない。ぼくも含め、いま30代から40代初めぐらいの世代には、そんな電気グルーヴから意識するしないにかかわらず影響を受けた人を受けた人も少なくないはずだ。では一体彼らの何に影響を受けたのか、具体的に説明するとなると難しいが、しいていえば「意味のずらし方」とでもなるだろうか。

先だってニューアルバム『人間と動物』がリリースされた際、「テレビブロス」3月2日号に載ったインタビューも終始こんな按配だった(「取材・文」は、電気グルーヴとかかわりの深いマンガ家の天久聖一)。このアルバムを通して動物の人権と地位向上を訴えたいという卓球と瀧に対し、インタビュアーは畳みかけるようにこう訊ねる。

《――動物の地位向上のために、なにかプランはありますか?
卓「干支の動物たちでアイドルグループを結成する」
瀧「ETO12というわけよ。そしてセンターはこのアタシ!」
――瀧さんがメンバー入り?
瀧「干支の中にはひとつだけ架空の生き物が存在するでしょ?」
――ええ、龍ですね…ハッ!
卓「気がついたかい。そう、瀧からさんずいを取ると龍。こいつは生まれながらにしてETOメンバー入りを約束された動物なのさ」》

『人間と動物』というタイトルから、話がとんでもない方向へと飛躍する、まさに立川談志いうところのイリュージョン。そんなことを繰り返しつつ、40歳をすぎたいまも無理してる感はみじんもなく、常に自然体というのも彼らのすごいところだ。それはとくにピエール瀧に感じる。たとえNHK大河ドラマに出ても、BSの城下町探訪みたいな番組に出ても、瀧さんは瀧さんでしかないということにやはり驚かざるをえない。

ひたすらに意味をずらし続ける電気グルーヴの、近年の最大のヒットは「節電気グルーヴ」というフレーズではないか。これは一昨年の震災と原発事故以降、節電が呼びかけられるなか、卓球の発案で、「電気グルーヴ」という既存のロゴのアタマに、デザイナーでVJの和田一基が「節」の字をつけ加えたもの。テクノが電気を使わなければ成り立たない音楽であることを考えると、このフレーズには自分たちに対するアイロニーすら感じる。

もっとも、『電気グルーヴ、石野卓球とその周辺。』という本のなかでは、このフレーズについて《たったひと言でコンセプチュアルな表現をしたすばらしいコピーだと思いましたが》と称賛するインタビュアーに対し、当の卓球は《そんなこと言われても困るよ(笑)。こっちはただのダジャレだもん》といささか当惑している。

さて、『電気グルーヴ、石野卓球とその周辺。』は、前出の最新アルバム『人間と動物』からどんどん時代をさかのぼる形で、電気グルーヴおよび卓球(ときどき瀧)のソロでの作品を紹介していく構成になっている。そこでは、CDのジャケットをはじめ、ポスターや本人たちの写真など図版がふんだんに収録され、なかには折り込みや絵はがき大の変則的なページもあって、よくぞこれだけボリュームたっぷり、誌面も凝りに凝って2000円という値段(本体価格)に抑えたなと妙な感心をしてしまった。

前述の「意味のずらし方」に関していえば、「人生」時代から、作品のジャケットに自分たちの写真(いわゆるアーティスト写真=アー写)を載せることを頑なに拒んできたのも、彼ららしいといえるかもしれない。これというのも卓球いわく、ディペッシュ・モード(イギリスのバンド)が雑誌のインタビューで「何年か経って若かった頃の自分たちの写真なんか見たくないだろう」と発言しているのを読んで、共感を覚えたからだとか。

しかし、その考えも2008年リリースのアルバム「J-POP」あたりから変わってきたともいう。たしかにこのアルバムのジャケットでは瀧と卓球の写真が使われている。ただ、「イケメンになりたい」との本人たちの希望から大幅に手が加えられ、ほとんど別人になっているのだが(笑)。ミュージックビデオ集であるDVD「電気グルーヴのゴールデンヒッツ〜Due To Contract」(2011年)のジャケにいたっては、頭蓋骨の模型を本人たちに見えるよう画像処理をほどこしたものだった。骸骨にもかかわらずちゃんと瀧と卓球に見えるというのがすごい。

電気グルーヴの作品のジャケットにはこのほかにも、印象深いものが多い。ぼくが初めて買った電気グルーヴのアルバムは『ビタミン』(1994年)だが、これもクスリのカプセルを並べた鮮烈なものだった。前後して出たリミックスアルバム『フラッシュ・パパ・メンソール』(1993年)はタイトルどおり、メンソールタバコの箱っぽいデザインになっている。当時メンバーだった「まりん」こと砂原良徳(電気グルーヴ在籍中は、デザインを担当することも多かったという)は、同作以降、電気グルーヴのジャケットがパッケージっぽくなっていったと本書のなかで証言している。さらに『オレンジ』(1996年)では、オレンジの地にオレンジのタイトル文字というシンプルさ(でも、ケースの内側に、オレンジとグリーンのいわゆる湘南電車のイラストが入っていたりと細かい)。ミニマリズムの極致ともいえるこうした志向は、その後も『A』(1997年)や『イエロー』(2008年)などたびたび現れた。

他方、オリジナルのキャラクターを登場させたジャケ(1992年の『カラテカ』や2000年の『VOXXX』など)があるかと思えば、大御所のマンガ家やイラストレーターをフィーチャーしたジャケもある。後者の例としては、テレビアニメ「墓場鬼太郎」のテーマ曲だったことから、その原作者の水木しげるに依頼したシングル「モノノケダンス」(2008年)があげられる。鬼太郎とともに瀧と卓球の姿が描かれたそのジャケは、大の水木フリークである作家の京極夏彦から、これはアシスタントとかではなく間違いなく水木先生本人が描いたものだと太鼓判を押されたという。

「モノノケダンス」といえば、天久聖一によるミュージックビデオも強く記憶に残る。このMVでは、切り抜いた絵を紙人形風に動かしたり特殊効果を加えたりする「劇メーション」という手法がとられた。天久はそれ以前に「カフェ・ド・鬼(顔と科学)」(2004年)のMVを手描きアニメで制作したものの、かなり苦心したことから、それならば……と卓球からすすめられたのがこの手法だったとか。ただし、結局は前作以上に手間取ることになったらしい。

この例にかぎらず、MVを含む電気グルーヴのアートワークは、基本的に卓球と瀧のディレクションやアイデアがもとになっている。マネージャーやクリエイターたちの役割はそれを、彼らの理想にもっとも近い形で具現化していくことだ。長らく電気グルーヴのマネージャーを務める道下善之は、本書のなかで次のようなことを語っている。

《[引用者注――電気グルーヴは]何かのパロディにしてもギャグにしてもナンチャッテじゃなく、徹底的にやる。マネージャーになっていちばん難しいと感じたのは、そこをどうするかという問題でした。たとえば、そのままやったら危なそうなネタだからと簡単に諦めないで、ネタにされている対象にとにかく許諾申請をしてみようとか、本物を使うにはどうしたらいいんだろうかとか。そういう思い出には事欠かないです(笑)》

ネタ元に許諾をとった例としては、YMOやクラフトワークのレコードジャケットをパロディにした12インチのアナログ盤『Dessert』(2001年)があげられる。きっちりとトレースしたわけでもなく、使われているのは瀧が描いたヘタヘタな絵なのだから、べつにわざわざ許可をとらなくても……とも思うのだが、そこをきっちりと筋を通す電気グルーヴってかっこいい! とあらためてしびれた(電気だけに)。

この本には、そんなふうに彼らのかっこよさを再認識させるエピソードもちょこちょこ出てくる。瀧と卓球の「人生」時代からの恩人というべき、元ナゴムレコードの主宰者であるケラ(現ケラリーノ・サンドロヴィッチ)との以下のような話もイイ。

あるとき、ケラに対し卓球が暴言を吐いてしまったことがあった。ケラの怒りに触れ、もう会ってもらえないのではないかと気に病む卓球だったが、しばらくしてケラから何事もなかったように、彼の監督する映画の音楽を依頼される。こうして生まれたのが、「グミ・チョコレート・パイン」(2007年)のエンディングテーマとなった「少年ヤング」であった。

とはいえ、ファンとしては、電気グルーヴからそんないい話は聞きたくなかった気もする(笑)。だって、彼らの真髄はやっぱり、どんなときでもはぐらかし、意味をずらし続けることだと思うから。(近藤正高)