いま、日本にボクシングの現役世界チャンピオンは9人いる。1952年に白井義男が日本人として初めて、ボクシング世界チャンピオンの座について以来、タイトルをかけた彼らの戦いは、多くの人に名勝負として語り継がれている。そのなかから、13度の世界防衛を果たし、「カンムリワシ」と呼ばれた具志堅用高氏を紹介する。

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「世界戦をやるぞ」

 ジムからアルバイト先のとんかつ屋にかかってきた電話が、当時の最短記録となる9戦目での世界奪取、13度防衛という「カンムリワシ伝説」の始まりだった。

 具志堅氏は当時をこう語る。

「信じられなくてジムに飛んで行った。だってプロで8戦しかしてないんだから」

 沖縄・興南高校でインターハイを制した具志堅用高は、拓大へ進学するために上京したところ、急遽、協栄ジムの熱心な勧誘でプロの道へと転じる。

 その協栄ジムでは金平正紀会長が「100年に1人の天才」として売り出したが、フライ級でのデビュー当時、世界は遠いものだった。

「アマチュア時代は最軽量のモスキート級。フライ級だと体も重くてきつかったね」(具志堅氏)

 だが幸運が訪れる。デビュー翌年、フライ級の下にライトフライ級が新設されたのだ。試運転の7戦目には、世界ランカーをKOで下し自信もつけた。

 とはいえ、世界戦の対戦相手は21勝(15KO)1敗のファン・グスマン。「リトル・フォアマン」の異名を持つ強打者で、戦前は圧倒的不利と予想された。 試合前の公開スパーリングでも、グスマンは具志堅の目の前でパートナーをど派手に倒した。

「怖くてねえ。殺されるんじゃないかと。試合前は何度も逃げようと思った」(具志堅氏)

 だが、リングに上がると自然と怖いという気持ちが消えた。果敢に攻める具志堅は2Rに左から右フックでダウンを奪う。3Rにグスマンのパンチをもろに食らい、腰が落ちかけたものの、その後も終始ペースを掴み、7Rに左から右をヒットさせてキャンバスに沈めた。

 その後、13度の防衛を果たすが、「グスマン戦が最も印象深い」と具志堅氏は話す。

「沖縄の国際通りのパレードで大勢の人が歓迎してくれて、本当に嬉しかったねえ」

 カンムリワシがその翼をたたむことになる14回目の防衛戦。具志堅氏は敗れた理由をこういって残念がる。

「計量後にいつもアイスクリームを食べていたんだけど、あの試合の時だけ、周囲に止められた。隠れて食べようにも、あの日は日曜日で沖縄の商店は全部休みでコンビニもない。あのとき食べてればよかったねえ」

 圧倒的な強さの秘密は、猛烈な練習と試合前に食べるアイスクリームにあったのだ。

●具志堅用高/1955年6月26日生まれ。沖縄県石垣市出身。1974年プロデビュー。24戦23勝(15KO)1敗。

※週刊ポスト2013年4月19日号