テンプHDがインテリジェンス買収 USEN宇野康秀の時代は完全に終わった!?

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 女性起業家の大御所、テンプホールディングス(HD)の篠原欣子(しのはら・よしこ)会長兼社長(78)が大勝負に出た。人材紹介サービスのインテリジェンスホールディングスを買収する。これを材料に株価は3月26日に昨年来の高値、1750円にまで上昇した。

 テンプHDは米投資ファンドのコールバーグ・クラビス・ロバーツ(KKR)やインテリジェンス従業員持ち株会などからインテリジェンスHDの全株式を510億円で取得する。有利子負債を含めた買収総額は680億円。4月に完全子会社にする。

 テンプの2013年3月期の連結売上高は2472億円の見込み。インテリジェンスのそれは800億円。合算すると3272億円になる。業界首位のリクルート(現・リクルートホールディングス)の人材事業の売上高(4934億円、12年3月期)との差はまだまだ大きいが、業界3位のパソナグループ(2120億円、13年5月期の見込み)を引き離して単独2位だ。

 M&Aはインテリジェンスの高橋広敏社長(43)が持ちかけた逆プロポーズだった。KKRはやがて投資資金の回収の時期を迎える。それに備えてKKRと協議を重ねてきた。

 身売り先として照準を定めたのがテンプだった。インテリジェンスを買えるだけの財務力のあるのはリクルートとテンプしか見当たらない。「リクルートにいつか勝ちたい」(高橋広敏社長)との思いからテンプに身売りを打診したという。

 テンプは11年に日本経済新聞や神戸製鋼所の人材派遣子会社を買収してきたが、今回の買収はこれまでとはケタが違う。買収に伴う様々なリスクを検討したが最大のリスクは、インテリジェンスを同業他社に奪われることだった。これは絶対に避けたいと篠原社長は考えた。

「(インテリジェンスが)人材紹介に強く、我々にはないノウハウを持っている」(篠原社長)ことも魅力だ。人材サービスのビジネスは人材派遣、業務請負、人材紹介に大別される。テンプは連結売上高の8割を人材派遣で稼ぐ。転職支援など人材紹介は手薄で求人広告は手掛けていない。

 インテリジェンスは、転職支援サービス「DODA(デューダ)」、求人情報サービス「an」「salida」など人材紹介が主力だ。リクルートの「リクルートエージェント」や「フロム・エー」などと競合する。テンプはインテリジェンスを手に入れたことでリクルートと肩を並べる総合人材サービス会社に変身できる。

 M&Aで最も儲かったのはKKRだ。10年7月、USENから325億円でインテリジェンスの株式を買収した。この株式をテンプに510億円で売却する。わずか3年弱で185億円のリターンを得たことになる。

 KKRジャパンの蓑田秀策社長は「大変なリターン。大変なサクセスストーリー。投資家に胸を張って言える。それもグリーディ(強欲)に儲けたのではなく、全員がハッピーになった」(東洋経済オンライン3月27日付)と成果を誇る。同業のサーベラスと西武ホールディングスの対立が泥沼状態になっているのとは好対照だ。

 テンプの篠原社長は立志伝中の人物である。34年、神奈川県横浜市生まれ。8歳で父親が病死。助産師として働く母を見て育ち、自立した女性像に憧れた。高校卒業後、三菱重工業などでOLをやった。転機は結婚に失敗し32歳にやってきた。スイス・イギリスに留学して、語学と英文タイプ、秘書実務を学んだ。

 帰国後、外資系会社を経て、オーストラリアのマーケティング会社の社長秘書として2年間、現地で働いた。ここで「誰かが休むと、どこからともなく優秀な人がきてサーッと事務を処理していく」人材派遣業の存在を知る。

 73年にテンプスタッフ株式会社を資本金100万円で設立。東京・六本木にわずか8坪の住宅兼オフィスを借り、電話と事務机ひとつでスタートした。38歳という遅咲きの起業だった。外国企業が日本に進出する第1次の時期と重なり、外資系銀行が秘書やオペレーターを募集していた。うまくタイミングが合い、トントン拍子で会社は成長し、06年3月に東証1部に上場した。

 篠原氏はパソナグループ代表取締役グループ代表の南部靖之氏(61)とともに日本に人材サービス市場をつくりあげた。米『フォーチュン』誌による「世界最強の女性経営者」に12年連続で選ばれている。

 一方のインテリジェンスは、USEN元社長の宇野康秀氏(49)が創業した会社。宇野氏は63年、大阪府生まれ。明治学院大学法学部を卒業して、リクルートの不動産子会社、リクルートコスモス(現・コスモイニシア)に入社。もともと起業するつもりだった彼は89年6月、リクルート出身者とともに独立して人材紹介サービスのインテリジェンスを立ち上げた。弱冠、25歳で起業した。

 家業である大阪有線放送(現・USEN)を継ぐつもりはなかったが、父親が病に倒れたため急遽、呼び戻された。98年7月、インテリジェンスの社長を辞め、大阪有線放送の社長に転じた。インテリジェンスは00年4月に店頭公開(のちジャスダック上場)を果した。

 宇野氏はUSENとインテリジェンスの筆頭株主だったが、両社は資本でも事業面でも関係は薄かった。USENがインテリジェンスの取り込みに動くのは2006年のことだ。

 インテリジェンスとアルバイトの紹介を手掛ける学生援護会の合併に際して、USENは学生援護会の筆頭株主の米投資ファンド、カーライルグループから学生援護会の株式を買い取った。さらに、USENはインテリジェンスの筆頭株主である宇野氏から同社株式を取得。USENは学生援護会を合併したインテリジェンスの40.0%を保有する筆頭株主となった。

 08年9月、USENは株式交換でインテリジェンスを完全子会社にした。上場は廃止され、インテリジェンスの一般株主から、USENのオーナーである宇野氏に対して「上場会社を私物化した暴挙」との非難が浴びせられた。業績不振のUSEN株式を株式交換で交付されてもインテリジェンスの株主には何のメリットもなかったからだ。

 USENは業績の悪化に見舞われ債務超過を回避するために、10年7月に虎の子のインテリジェンスを325億円でKKRに売却した。宇野氏は同年11月、経営責任を取って社長と取締役を退任。経営の第一線から退き、新設されたUSENグループ会長になった。

 ルーツでもあり、思い入れが強かったインテリジェンスの買い戻しは、結局、叶わなかった。かつて「六本木ヒルズ族の兄貴分」といわれた宇野康秀氏の時代は、これで完全に終わった。
(文=編集部)