地中海に落ちる夕陽 (Photo:©Alt Invest Com)

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 キプロスは地中海の東端、「小アジア」とも呼ばれるアナトリア半島の南に位置する風光明媚な島国だ。といっても、今回の経済危機が起きるまで、紀元前に遡る長い歴史のあるこの国に関心を持つ日本人はほとんどいなかっただろう。

 エジプトとメソポタミアを結ぶ海の要衝であるキプロスは、ヒッタイトやアッシリアといった古代オリエント諸国、エジプト王朝、アケメネス朝ペルシアの支配を受けた後、アレクサンダー大王に征服され、やがてローマの属州となった。

 ローマ帝国の分裂にともないキプロスは東ローマ帝国の所領となるが、1191年、十字軍遠征途上にこの島に立ち寄ったイングランド王リチャード1世がキプロス王国を建国する。当時はイタリアの海洋都市の勃興期で、キプロス王国は十字軍遠征(エルサレム奪還)の最前線であると同時に、レバント(東地中海)貿易の一大拠点となった。その経済はイタリア諸都市に依存し、15世紀末、相続争いの混乱のなかでヴェネチア貴族の娘だった女王が主権を祖国(ヴェネチア共和国)に譲り王国は消滅した。

 16世紀、新興のオスマントルコが小アジアを席巻しヨーロッパに攻め上ると、キプロスはその軍門に下る。その後、第一次世界大戦でイギリスに併合され、第二次世界大戦後にようやく独立を達成した。

 だが3000年に及ぶ数奇な歴史を持つこの島では、独立後もギリシア系住民とトルコ系住民が対立し混乱が続いた。

 1974年、ギリシアとの合併を求める勢力がクーデターを起こしたことをきっかけにトルコ軍が介入して島の北部を占領、それまで混住していた住民は、ギリシア系は南のキプロス共和国、トルコ系は北のキプロス連邦トルコ人共和国(北キプロス)に分かれることになった。もっとも北キプロスは国際社会の承認を受けていないため、一般にキプロスというと南のキプロス共和国を指す。

 南北分断後のキプロス島は実質的な戦時下で、国連によるたび重なる仲介でも両者の隔たりは大きく、1990年代に至っても砲撃や銃撃戦が勃発した。だが97年にキプロス共和国がEU加盟候補になると状況は大きく変わりはじめる。

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