疲れたココロに効きます「必ず泣ける本、笑える本」10【1】

■涙腺を刺激する敗れざる者たちの志

小説を読んだからといって、いま直面している問題や悩みがすぐに解決することはないでしょう。小説にははっきりとした結論もなければ、また問題解決のための即効性もありません。それが小説の最大の弱点でもありますが、最大の美点でもあるのです。読んでから5年後、10年後に突然、あのとき読んだ本はこういう意味だったのかとわかる。じわじわと効いてくることがあります。

社会人野球をテーマにした『ルーズヴェルト・ゲーム』。池井戸潤には中小企業を舞台にした素晴らしい作品がありますが、社会人野球の背景には企業があり、いま厳しい状況にさらされています。この小説でもリストラ、会社存亡の危機のなか、因縁のあるライバルチームとの意地を懸けた戦いがはじまります。

タイトルは野球を愛した米大統領が語った「一番おもしろいゲームは8対7だ」からとられています。どんなに負けていても逆転のチャンスはある、追いつかれたとしても再逆転はある、「最後まであきらめるな」というメッセージです。これは、われわれの人生への励ましでもあるのでしょう。

『恐るべき空白』は、ノンフィクションです。1860年、オーストラリア大陸縦断に挑んだ探検隊の足跡を描いていますが、探検は悲劇的な結末を迎えました。砂漠地帯での渇きと飢え、大半の隊員が命を落としていった。

しかし探検から100年以上もたって、なぜ克明な作品が書かれたのかといえば、隊員たちが詳細な記録を残していたからです。記録係が毎日詳細な記録を書き、それをビンに詰めて砂漠に埋めていた。自分たちは死ぬとわかっていたのに。それは、自分たちが死んだあとにも「この世界は続いている」という確信があったからでしょう。次世代のために記録を残す、それは次なる世界への「肯定」がなければできないことだったのです。

8世紀、古代東北の英雄・アテルイの生涯を描いた小説『火怨』は、黄金を求めて支配しようとする朝廷に対し、人間の誇りを持って立ち上がる物語です。日本史では坂上田村麻呂がこの地を「成敗した」ということになっていますが、これを東北の民の側から描いた。おだやかに暮らしていた彼らは、アテルイをリーダーとして敵を滅ぼすためではなく、自分たちが「負けない」ための戦いを展開していく……。

高橋克彦には本書と『炎立つ』『天を衝く』の「みちのく三部作」があります。通して読むと、東北の壮大な歴史、この地に生きる民の誇りと気概を雄々しく謳いあげる興奮と迫力に圧倒されます。ぜひ3部作を読んでいただきたいですね。

『監督』もリーダーをめぐる小説です。主人公はプロ野球・ヤクルト元監督の広岡達朗。小説では「エンゼルス」となっていますが、最下位で低迷していたヤクルトが初優勝にいたるまでを描いています。やる気のなさが蔓延していたチームでしたが、広岡が監督に就任し組織を変えていく。彼は管理野球の最たるものとして批判もされましたが、やがてチームは勝っていくようになる。選手たちは広岡によって、あらたなことを教えられ「勝つことのおもしろさ」を知り、よろこびになっていく。「努力したさきに楽しいことがある」、それを知っていくんですね。

一転して、異世界ファンタジー小説『図南の翼 十二国記』を紹介します。『十二国記』シリーズは、一般向け文庫になる以前にジュニア向けの文庫として刊行されていて中高生に大人気でした。私もひとに勧められてはじめて読み、「自分の知らない世界がまだあったのか」と驚きました。

シリーズは1巻ごとに12の国を舞台にし、時代を超えて絡み合っていく物語です。さらに、うまいなと思わせるのは、1巻ずつ小説のジャンルを変えていることです。『図南の翼』はロードノベルですが、別の巻では戦国合戦小説になっている。12の国はそれぞれ異なりますが、市井の民、政治に翻弄される王、理想の国家をめざす官吏などさまざまな人間模様が描かれます。そして作品を貫くテーマは「ひとがひととして生きる本分とは何か」であり、さらに「真理とは何か」という太い問題です。私が息子に勧めた唯一の本ですが、世代を問わず訴えかけてきます。(文中敬称略)

■北上次郎さんが今回紹介した本

●働く者たちのドリームチーム
『ルーズヴェルト・ゲーム』池井戸潤 講談社
かつての社会人野球名門チーム。監督に見捨てられ、主力選手も去った。会社は存亡の危機、チームは廃部の瀬戸際にある。社員一丸となった奇跡の逆転劇がはじまる。「今日でこそ成り立つ痛快な社会人野球小説」。

●命を賭して記録を残した男たち
『恐るべき空白』アラン・ムーアヘッド 早川書房
知られざるオーストラリア内陸部を行く探検隊。過酷な自然が容赦なく牙をむき、隊員は生命を脅かされながら記録を残した。「世界にはまだ埋もれたままの記録があるかもしれないという想像をかきたてます」。

●東北の民と朝廷との戦いを描く壮大な物語
『火怨』高橋克彦 講談社文庫
「一気に読みました。東北の方たちがこんなに素晴らしい小説を持っているなんて、うらやましいかぎりです。誇りを持って立ち上がり、戦う姿勢に圧倒。目頭が熱くなり、まさに血が脈打つ小説」。

●弱小チームが知っていく「勝つ」楽しさ
『監督』海老沢泰久 文春文庫
常勝ジャイアンツに激しい闘志を持って挑む広岡監督。選手の意識を変え、日本一へと導く。「子どものころから広岡のファン。派手な長嶋の横でインテリの広岡が戸惑ったような顔をしていたのが忘れられない」。

●ジュニア文庫から誕生した骨太の小説
『図南の翼』小野不由美 講談社文庫
20年にわたって書きつがれている人気シリーズの1冊。古代中国思想を基盤にした異世界ファンタジー小説。アニメ化もされた。「ファンタジーとはいえ私が苦手な魔法が登場しないので、入っていけました」。

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北上次郎(きたがみ・じろう)
1946年、東京都生まれ。明治大学文学部卒。本名は目黒考二。76年4月に椎名誠を編集長に「本の雑誌」を創刊して発行人を務める。創刊当時から書評を担当して、ペンネームの北上次郎名で『冒険小説論──100年の変遷』(日本推理作家協会賞受賞作全集)、『ベストミステリー大全』など多くの著作を発表する。趣味は、競馬。

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(北上次郎 構成=与那原恵 撮影=kuma*)