日本初の現役大学生の教科書発行者に

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ハイパー学生のアタマの中 Vol.18

大阪市立大学 山下 明さん

日本初の現役大学生の教科書発行者、大阪市立大学の山下明さん


■「学生目線で使いやすい教科書を作りたい」と思い、執筆を始めた

高校時代に出会った先生の影響で、将来は学校の先生になろうと決めました。自分で電子部品を買ってきてラジオを作ったりするくらい、小さなころから理科が好きで、特に興味を持っていたのが電気です。電気は空気のように目には見えないのに、すごく便利なもので世界中で人々の役に立っている。そこをもっと勉強したいと考えていたので、大学でも電気を学び、その分野で教職に就こうというのは自然な流れでした。

もともと、人に教えることが好きでした。テスト前には友達を集めて勉強を教えたり、試験対策用に自分でプリントを作ったり。その時に、数式をきれいに書こうと思って「TeX」という文書作成ソフトウエアを勉強しました。「TeXを使って何か面白いものが作れないかな?」と考えたのは、大学に入ってから。それでふと、教科書を書いてみたらどうだろうかと思ったわけです。

というのも、高校の時に使っていた「電気基礎」の教科書がわかりにくかったんです。「今の自分なら、あの内容をもっとわかりやすく書けるはずだ」と。それに、文句を言うんだったら自分で作ってみたらいいんじゃないかと、実に浅はかな気持ちで始めたんです(笑)。

高校時代に学んだ内容に少し疑問を感じていた部分があったこともきっかけです。それは、磁気の話です。S極とN極のある磁石を半分に切断した時に、S極とN極は常にペアなので単体では存在できず、再びS極とN極に分かれます。しかし、従来の高校の教科書ではこういう教え方をせず、あくまでも仮定として単体で存在できるように表示されたりします。公式に表しやすいなどの理由でそう説明しているのですが、私はこれではわかりにくいし、おかしいから直すべきだと思っていました。だから、その部分を正しく説明できる教科書を作りたいという気持ちは以前からあったんです。

実作業に取りかかり始めたのは、大学2年の4月。まずは学習指導要領を熟読。さらに、検定規則や必要な条件について調べ、手続きなどの事務的なことを一通り頭に入れながら、教科書全体の構成を練りました。その後はひたすら執筆です。わからないことがあるたびに文部科学省に問い合わせました。

一通りの構成ができたところで、教育センターや図書館に通い、これまでの教科書や一般書に目を通しました。書いた内容に間違いはないかを調べたり、どういう例題が使われているかを確認したんです。だから、執筆中はほかの教科書は一切見ませんでした。

完成後は、検定の締め切りに合うように印刷に出し、直接東京の文部科学省まで行って受理してもらいました。もちろん、すべての費用は自腹。手続き費用はもちろん、印刷代も交通費もすべてバイト代をつぎ込みました。50万円…いや、それ以上ですから、大赤字です(笑)。

検定の調査には1年ほどかかります。提出の1年後、文部科学省から101カ所の修正を求められました。しかも35日以内に修正して再提出しないといけないんです。もうほとんど仕事感覚ですよね。

正直なところ、作業中は闇の中をさまよっているような気分でした。ぼんやりとした気持ちで始めて、もしかしたらできるかもしれないとは思っていましたが、検定に通るかどうはわかりません。採択される保証もありません。そもそも、大学生が教科書を作るなんて前例がないわけですから、不安だらけでした。

でも、締め切りが近づくにつれて、「ここでやめたらこれまでの努力がすべて水の泡だ」という気持ちが強くなりました。もう、最後は義務感のみ。もちろん周囲にもたくさん迷惑をかけていたので、後には引けない気持ちもあって。ここでやめたら恥だというふうに自分を駆り立て続けていました。今、振り返ると、それくらい過酷で試練の多い作業だったんですよ。

ただ、「使いやすい教科書を作りたい」という気持ちはしっかり持っていたので、それに共感してくれる人は必ずいるはずだという思いはずっと忘れませんでした。だから検定に通った時は本当にほっとしましたし、それまでの努力が報われた気持ちになりましたね。見本の教科書を800冊印刷して日本中の学校に送った時も、採択が決まった学校宛てに梱包して郵送した時も、わが子を嫁に出すような気持ちで、思わず涙してしまいました。


■「当たり前」の裏にはたくさんの支えがあることに気づくことができた

教科書を作ってみて感じたのは、教科書というものがいかに大事かということです。これまでは教科書は与えられるものだという固定観念がありました。でも、その当たり前は、さまざまな人たちの支えがあったからこそ成り立っていたんです。最初は教科書を馬鹿にして、自分で作ってやると思って始めましたが、もう絶対に馬鹿にはできません(笑)。それが学べたことだけでもよかった。逆に今では、大変なことに足を突っ込んでしまったなと思っています。

とはいえ、学校で使う教科書を自分で作れるというのは、とても素敵なことだと思います。だから、私の経験をきっかけに、自分も作ってみようと思ってくれる人がいたらいいですよね。「教科書って作れるんだ」と知ってもらえるだけでもうれしい。私自身も、作ることで大きな成功体験を得ることができましたし、自信もつきました。

一番よかったことは、教科書作りを通じていろいろな人と仕事ができたことです。文部科学省の職員、教育委員会の人、教科書供給業者や印刷会社の人、図書館の司書、大学の学長、新聞記者…大学生としてはありえないくらいの方々とかかわれた経験は大きいものでした。社会に出る前に、社会の一員として仕事をしたつもりなので、今後社会人として自分がどうかかわっていけばいいかを真面目に考えるきっかけになりましたね。

また、教科書発行者と言われるようになってからは、自分の文章に責任を持つようになりました。句読点の打ち方や誤植がないかなど、書くことに敏感になり、メールを打つのもひと苦労です(笑)。

私の教科書は、2013年4月から北海道の高校で使用されることになりました。この教科書を使って勉強してくれる生徒たちの将来を見守ることで、教科書の価値もまた変わってくるんじゃないか…今はそんなふうに考えているんです。

そして私も、4月からは大阪府内の工業高校で教職に就きます。教職の勉強は、教科書作りが落ち着いた2年生の秋から、「教員採用試験研究会」という集まりに毎週末通って進めました。他大学の学生や社会人も参加する集まりで、講師を呼ばずに自分たちで勉強し、お互いに教え合うんです。苦手分野も得意な仲間に教われますし、本番さながらの面接対策もあってとても役立ちましたね。この研究会のおかげで、学業との両立を特別に工面する必要もありませんでしたし、筆記試験も9割得点できたんです。

今後は、チャンスがあれば教師目線を取り入れた違う教科書を作ってみたいです。もっと専門的な内容のものや、国語・音楽といった別の教科にもチャレンジしたい。あとは、点字の教科書は絶対に作りたいです。教科書発行者としての使命は「公共性の高い書物を提供すること」だと考えていますから、たとえハンディキャップがあっても、使いやすく学びやすい教科書を提供していきたいと思っているんです。

実は、教科書作りを職業にしようかと思ったこともあったんです。でも、15秒であきらめました。やっぱり大変ですから。私一人では採算がとれないと思うんですよ(笑)。