震災の体験を伝え、ありがとうを言うために、 私自身が世界を巡る「メディア」になりたい。

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東日本震災の記憶を人々の間で風化させないためにも、今こそ被災地から情報の発信を。宮城県出身で、白鴎大学2年に在籍する菅原弓佳(ゆみか)さんは今、自ら海外で震災体験を伝えるために、世界一周の旅を目指して奮闘中だ。

―2011年3月11日、震災が起きたとき菅原さんはどこにいたのですか?

当時は浪人中で、単身赴任の父と住んでいた埼玉から、仙台へ帰省していました。久しぶりに松島が観たくて仙石線で向かったんですが、途中で母の知人のアクセサリー作家さんを訪ねたとき、あの地震が起きました。
机の下に潜ったら「ここは危ない!」と引きずり出され、外に逃げました。立っていることも難しく、ガラスがバリバリと割れ、墓石が次々と倒れて、まるで世界中が歪んだようでした。景色がすべてグレーに見えました。放心状態だったんだと思います。
その後、お宅の方が「大丈夫?車で送ってあげる」と7時間もかけて私を仙台の自宅まで送ってくれました。もし車が立ち往生したらご自分も困るのに。携帯電話がつながらないため家族が心配でたまりませんでしたが、一方で「追い込まれた状況で、人のためにこんな行動ができる大人もいるんだ」という驚きも感じていました。

―でも仙台市内もライフラインはしばらく復旧しませんでした。避難はされたのでしょうか?

家族で仙台市の教員宿舎に避難しました。食料は不足し、余震のたびに子どもが泣いたり、具合の悪いお年寄がいたりで、みんな辛く、不安だったと思います。ある日、外に停めた車の中で寝てしまい、誰かに窓を叩かれて凍えながら目覚めた瞬間は「起きた」ではなく「生きていた」と思った。生まれて初めての体験でした。
でも避難所では、思いやりの気持ちも感じました。再会した幼なじみのお母さんは、元気が出る楽しい話ばかりしてくれた。ある人は、荒れ放題の私の唇を見て、「はい!」とリップクリームを渡してくれた。食料さえ不十分な状況の中で、どうしたらそんな心遣いができるんだろうと思いました。
震災3日後に今の大学から合格の電話がありました。まだ茫然としていて実感がありませんでしたが、気持ちを前に進めるためには良かったんだと思います。数日後には入学準備のため、山形経由で埼玉へ戻りました。

―宮城から関東に戻ったとき、どんなことを感じましたか?

人と話してみると震災に関して東北との温度差は想像以上で、「半年も経てばすっかり忘れ去られそう」だと思いました。特に「死」の重さに対する実感が薄いことがとてもショックでした......。でも私だって、実際に被災していなければ、遠い話だと思ったかもしれません。体験した人の話でなければ人の心は動かせないんだと強く思いました。

―そんな菅原さんは今、世界一周を志しているそうですが、きっかけは何だったのですか?

大学に入学後、偶然ネットで、世界一周経験者の団体「TABIPPO」(たびっぽ)が主宰する世界一周プレゼンコンテストを知り、「私にぴったり!」と、即エントリーしたんです。「自分が世界でしたいこと」をテーマに競い合うのですが、世界に向かって震災体験を伝えることは、私にしかできないと思いました。そんな使命感を持って、世界中を旅したい気持ちが俄然わき起こったんです。結局、最終選考の3人に残ったものの、残念ながら優勝賞品の「世界一周航空券」には手が届きませんでした。でも諦めずに、今度は自力で世界一周を実現するために頑張っています。

―夢をかなえるために、今はどんなアプローチをしていますか?

1年間休学し、半年アルバイトをして資金を作り、残り半年で世界一周を実行する計画。両親も含め周囲すべての理解を得るために、教授はもちろん、学長にも推していただこうと考えていて、近々お会いします。学内でプレゼンをするためのムービーも作ります。また、企業に直接アプローチをして企画を売り込もうと思っています。

―世界中の人たちに伝えたいのは、どんなことですか?

何よりもまず「助けてくれてありがとう!」です。物資的な援助はもちろんですが、世界中の人が心配している、手を差し伸べてくれているという事実だけで、私たちが精神的にどれほど救われたことか。そのことをぜひ伝えたい。そしてあのときの被災地と、現在の復興の様子を、写真も使いながら報告したいですね。辛い状況の中でくじけることなく、互いに協力して乗り越えてきた日本人の強さも。
もうひとつ声を大にして言いたいのが「みんなが思っているほど日本は危険じゃないよ!」ということ。災害に対する過剰反応や誤解を解くことで、もっと多くの海外の方が日本を訪れてくれたらいいなと思います。

―具体的にこんなことをしたいと考えていることは?

宮城県や岩手県の被災者に「大丈夫」「今度は自分が助けに行くよ」など世界に向けてのメッセージを書いてもらい、ボードにして世界中で掲げたい。また、去年のアメリカ留学で6大陸すべてに友人ができたので、彼らの大学の日本語の授業を借り、震災のことを日本語で話したいと思っています。家族や知人を失った被災者にインタビューし、その体験も含めて伝えられれば。可能であれば、被災地と貧困国の人々をつなぐ活動もしてみたいですね。

―同世代の学生に、何か言いたい事はありますか?

私は、もともと内向き志向の学生を外向き志向に変えて、どんどん海外に出ていってほしいと漠然と考えていました。
震災を経験した今、学生はもっと積極的に海外に出ていくべきだという思いが強くなりました。被災した学生はとくに、経験したことを直接伝えに行くことが大事だと思いますし、それができるのは私たちだけです。震災で未だに深く傷ついている人もいますが、もうサポートされるばかりではいけないと思います。これからはもっと「被災者の学生から」も情報を発信することが必要で、私はそのためのメディアになりたいんです。

取材・文●鈴木恵美子