昭和の残像 鉄道懐古写真 (74) 東急東横線、相互直通運転開始記念! 懐かしの「緑の旧型車」特集

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3月16日、東急東横線渋谷〜代官山間がついに地下化され、東京メトロ副都心線との相互直通運転が始まりました。

副都心線を経て西武池袋線・西武有楽町線や東武東上線とも1本で結ばれ、横浜から都心を抜けて埼玉方面へ、新たなる広域ルートの出現です。

東急線においても、「史上最大の大変革」といえるでしょう。

ところで、今回の相互直通運転開始に限らず、東急線といえば過去にいくつかの大変革がもたらされてきました。

勝手ながら筆者が考える過去の「3大・東急線の大変革」を挙げると、「新玉川線(現在の田園都市線渋谷〜二子玉川間)開通」(1977年)、「緑色の旧型車、完全引退」(1989年)、「東横線横浜〜桜木町間廃止、みなとみらい線へ直通運転開始」(2004年)といったところでしょうか。

東急目蒲線(現在の東急目黒線・東急多摩川線)沿線で生まれ育った筆者にとって、とくに印象に残っているのが、「緑色の旧型車、完全引退」です。

1970年代、東横線や田園都市線(現在の大井町線と田園都市線二子玉川以西の区間)へ次々にステンレス車が増備されてゆくと、旧型車の活躍の場は狭まり、目蒲線と池上線だけになっていました。

その後、しばらくは両路線で活躍を続けてきましたが、やがてその「牙城」が崩れるときがやって来ます。

それは1980年の目蒲線新性能化です。

ただし、目蒲線においてはステンレス車を新製投入するのではなく、東横線や田園都市線を追われた旧5000系を転属させた上での新性能化でした。

その「牙城」が崩れる寸前、検車区がある目蒲線奥沢駅で撮影した、最後の輝きを放つ緑色の旧型車たちの姿をご覧いただきましょう。

なぜ奥沢駅かといえば、朝ラッシュ時に予備車など数本を除き、ほとんどの編成がこの駅を走行していたからです。

当時の目蒲線では、奥沢検車区に3両編成の電車が24本配置され、データイム8本、朝ラッシュ時21本が運行されるというダイヤになっていました。

8時半を過ぎて朝ラッシュがひと段落すると、目黒発奥沢行の下り電車で続々と入庫が始まります。

奥沢駅では、蒲田行の電車と奥沢止まりの電車が交互に下りホームに到着。

ピーク時には5分おきに奥沢止まりの電車が下り線から上り線を横切り、いったん引上げ線へ入ってから入庫するという状態でした(写真12・写真13が引上げ中の電車)。

だから朝の奥沢駅に1時間ちょっといただけで、目蒲線の運行に入っているほぼすべての車両を効率よく、じっくりと撮影できたのです。

当時の目蒲線の電車は2M1T(動力車2両・付随車1両)の編成が基本で、「Mc+T+Mc」「Mc+Mc+Tc」(「c」は運転台を有する車両)の2種類あり、クハは全車下り方(蒲田方面)に連結されていました。

ただし、ときどきクハの代用でデハが連結されることがあり、その際に3450形両運転台車も使用されていました。

東急線の緑色の旧型車は、今回紹介した写真を撮影した後、元号が昭和から平成に変わる頃まで活躍しましたが、1989(平成元)年3月11日、池上線から引退。

1週間後の3月18日に目蒲線からも引退し、全車引退となりました。