全店で一定した高いサービス提供を目指す

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ビジネスパーソン研究FILE Vol.203

株式会社ジェイアイエヌ 大野司さん

店舗を指導するスーパーバイザーとして、高いレベルのサービス品質維持を目指す大野さん


■仕事の知識を吸収し、成長する喜びを感じる。その後、新人指導担当として新たなやりがいを実感!

大野さんがジェイアイエヌ(JINS)に興味を持ったのは、スタイリッシュな店舗と、イキイキ働く社員の姿に強くひかれたことがきっかけだったという。
「従来のメガネ店のイメージを覆されましたね。当時のJINSは、現在ほど知名度は高くなかったけれど、まだ若い会社だからこそ飛躍する可能性があり、自分自身の可能性も試せると感じました。センスある店舗で働くことへの憧れも大きかったです(笑)」

入社後の研修を受けた後、イオンモール浜松志都呂(はままつしとろ)店に配属されるが、もともと視力が良く、メガネに縁のなかった大野さんは専門用語を詰め込むことに四苦八苦。
「専用のノートに学んだ知識を書き込み、通勤時に読み込みました。大変だったけど、次々に知識を吸収する中、『自分はどんどん成長しているんだ』という手応えを実感。店舗の仕事は、接客、視力測定、フレームに合わせてレンズを削るなどの加工作業、商品発注など多岐にわたり、分担制で担当していきます。先輩と一緒に作業しながら学び、数カ月後にはお客さまをお待たせしないスピーディーな対応ができるようになりました。また、自分がフレームを選んで差し上げたお客さまが、『兄のメガネを選んでほしいんです』と家族を連れてきてくれたことも。すごくうれしかったですね」

仕事に慣れるにつれ、大野さんは現場を効率的に回すことに注力するようになるが、ある時から「お客さま目線」について考えるようになる。
「視力測定を担当した時のことです。通常、お客さまは1.0程度の度数でメガネを作ることを希望するものなので、1.0で作業を進めようとしたら、お客さまから『度が強過ぎる』と言われて。効率を重視するあまり十分なコミュニケーションが足らず、お客さまの立場になって考えていなかったことに気づきました。メガネはライフスタイルと深くかかわっています。日常的に使うだけでなく、近距離でパソコン画面を見るために使ったり、コンタクトレンズ中心の生活のために自宅のみで使うなど、その用途はさまざま。使用シーンに合わせて度数を変えることもあります。以来、お客さまがメガネを使う背景まで考えた提案を心がけるようになりました」

入社2年目、大野さんは大阪・なんばパークス店にオープニングスタッフとして異動することに。
「何もない状態から、商品の配置などを決めていく様子を見て、あらためて『店舗はこうしてつくられていくんだな』と感じましたね。僕は店舗の新人教育を任され、5名のスタッフを指導することになりました。が、先輩から教えてもらった通りに指導しているはずなのに、『私にはできません』と泣き出すスタッフもいて。人はそれぞれ違うため、理解のスピードも違う。この時、新人スタッフの立場に立って考えていなかったことに気づきました。自分自身も新人のころに苦労したことをすっかりと忘れていて、誰もができて当然ということはないんだと痛感しました」

さらに、わかってもらえないのは、自分自身が理解していないから。そう考えた大野さんは、これまで身につけた知識を総ざらいし、わかりやすい伝え方を模索する。
「仕事の背景はすべてつながっているので、そこを理解することが大事だと考えました。視力測定ひとつでも、マニュアルの項目通りに進めればいいわけではありません。チェック項目にどんな意味があるのか、どんな仕組みで測定結果が出るのか、その時、測定機器がどう動いているのかなどまで把握し、作業の背景まで教えるようにしていきました。オープン当初は、新人スタッフの作業スキルが追いつかず、フォローして回るので精一杯でしたが、半年後には、全員が自ら動けるようになりましたね!」

大野さんが育てた新人スタッフたちはどんどん成長し、今では4人のうち1人が店長に、2人が店長補佐になっているという。
「あの時、泣いていたスタッフからも『大野さんに教えてもらったから、今の自分があります』という連絡をもらいました。少しでも力になれたんだと感じ、とてもうれしかったです。人を育てていくやりがいを感じ、ひとつ成長できた時期だったと感じます」


■入社2年目で店長となり、人を育てる難しさを痛感。その後、2店舗をマネジメントする統括店長に

なんばパークス店で半年の経験を積んだ後、大野さんは東京・吉祥寺店(※)の店長を任されることに。入社2年目、同期の中では最も早い昇進だったという。
「入社当初から同期の中で一番早く店長を目指そうと意気込んでいましたが、まさかこんなに早く任せてもらえるとは思っていませんでした。それまでに店長補佐をした経験はほんの1カ月程度。そんな自分にできるのかという不安はありましたが、今さら自信がないなんて言えない! やってやろうと思いました」

店長の仕事がどんなものなのかもわからないまま、とにかく現場で一から覚えていった。報告書の作成から売り上げ分析、目標に対する予算の設定など、これまで経験したことのない業務ばかりで、覚えるだけでも精一杯の日々。
「そのうえ、これまでの店舗とはまったく違う立地条件だったため、お客さまから求められるものも違いました。前店舗はショッピングモール内にあり、飛び込みのお客さまで非常に忙しく、よりスピーディーな対応が重視された。しかし、吉祥寺店は路地裏にある落ち着いた店舗で、メガネにこだわりを持つお客さまが多く、知識が求められます。そうした接客を学んでいなかったので、正直、戸惑いましたね。効率だけではダメだ、一人ひとりのお客さまに100パーセントの対応をし、スピーディーなサービスと対応力でお客さまのハートをつかもうと思いました」

しかし、自分が覚えるべき業務が多過ぎて、スタッフのマネジメントまで手が回らない状況が。当初は「まずは自分自身が店舗に慣れるためにも、みんなの潤滑油になろう。波風は立てたくない」と考えていたという。もともと吉祥寺店は前店舗に比べてのんびりとした雰囲気だったが、時がたつにつれ、「なぜもっと素早い対応ができないのか」と苛立ちを感じるようになる。それでも、スタッフとの摩擦を恐れ、はっきりと考えを伝えられない自分がいたという。
「配属から3カ月後、あるスタッフに『私は大野さんのことを尊敬できません』と言われて…。ショックでしたね。自分は我慢していたつもりだったのに、結果的に苛立ちが伝わり、店内のムードを悪くしていたのかと。最初から意見をぶつけ合うべきだったと気づき、その日のうちにスタッフと一緒に食事に出かけ、率直に話し合うことに。お互いに考えをぶつけ合う中、スタッフがどう考えているのかもわかったし、自分が目指す『スピーディーなサービスと対応力』についても理解してもらうことができました」

さらに、大野さんは店舗で独自に勉強会を開催。オペレーションの改善や、お客さまが理解しやすい説明のやり方、効率的な加工技術などをみんなで学んでいった。
「スタッフが僕の考えを理解し、同じ方向を目指してくれるようになりました。僕自身も、スタッフに対する感謝の気持ちが欠けていたことに気づいて。毎日、みんなのいいところを見つけて、個々にフィードバックしていくことにしたんです。信頼関係をつくり、互いの想いや考えを共有するうち、みんなにまとまりが出ましたね。店舗の雰囲気はとても良くなりましたし、人を育てるうえで大切なことを学ぶことができました」

入社5年目、大野さんは吉祥寺店と吉祥寺ダイヤ街店の店長を兼任する形で、2店舗をマネジメントする統括店長となる。ひとつの店舗につきっきりではいられないため、それぞれの店長補佐にしっかりと考え方を伝え、現場をまとめてもらおうと考えた。
「最初の時点で、店長補佐にどれだけ自分の考え方を理解してもらえるかが重要だと考え、大切にしていることを3つ、文字に書き起こしました。なぜそれが大事なのかという背景も書き込み、最初の面談の際に一緒に読み上げてもらうことにしたんです。店長補佐はしっかり理解してくれて、現場のスタッフにその内容を落とし込むまでしてくれました! 伝えるって、『記憶』だけではダメなんです。特に自分がその場にいられない場合は、『記録』することが大事。考え方ひとつ伝える時にも、『見える化』をしていくことが大事だとあらためて実感しました」

その後、大野さんは統括店長として異動し、新たに2店舗のマネジメントを経験。これまでに手がけた4店舗は、立地条件も客層もそれぞれ違うため、各店に合わせてオペレーションから陳列、品ぞろえ、接客までを改善していく難しさ、面白さを味わうことができたという。
「2つの店舗を同時に見ることで、より客観的に分析できるようになりました。売り上げを分析し、どんな商品が伸びているのかを考え、その理由を店長補佐にヒアリングする。そしてさらなる改善点を考えてそれぞれの現場にフィードバックしていく。この経験は、現在のスーパーバイザーの仕事に非常に役立っています」

2012年、大野さんは店舗を指導するスーパーバイザーとなる。現在、都内・近郊の8店舗を担当し、より大きなやりがいを感じている。
「店舗によってカラーが違いますし、当然、弱みも強みも違います。より多くの社員やスタッフにかかわるやりがいがありますし、それぞれの店舗の長所を伸ばし、足りない部分を補う方法を考える面白さを感じますね。各店の個性は大切にしながらも、どの店舗でも同じように満足していただけるサービスを提供できるよう、しっかりと環境づくりをしていきたいと思います。目指しているのは『すべての店舗で高いレベルのサービス品質を維持する』ことです!」

(※)2012年に閉店。