お金は強力だが、絶対的存在ではない。それを理解しているだけで、僕たちはお金の呪縛から放たれ、お金に対する偏見から少し距離を置いて、冷静な目でそれを捉え直せるようになる。それは、僕たちがお金と良い関係を築くためのきっかけだ。

 人は、誰でもお金が好きだ。

 ピカソは画才のみならず「お金」に対するセンスも抜群に高かったが、多くの人は、お金とは何か、と問われても明確には答えられないだろう。グーグルで検索しても難しい定義ばかりで、「お金とは何か?」に対するダイレクトな答えはまず出てこない。

お金の定義は人それぞれ

 では、世の中の人びとは、お金をどのように定義しているのだろうか?

 まず、「何をするにも必要なものである」という考えが一般的だと思う。「究極の現実だ」と言う人もいる。

 インターネットの巨大掲示板2ちゃんねるには、「お金とは権力である」という書き込みがあった。

 尊敬するある証券会社の社長は、よく「お金は社会の議決権」と話す。人びとが何にお金を投じるかによって、社会がどう形づくられるかが決まる、という意味だ。お金は天下の回りもの、社会財だ、というのである。

 70歳になろうとする父は、僕が子どものころ、「お金は怠惰の原因であり、搾取の結果だよ」と言った。全共闘時代に青春時代を過ごした彼の目に、お金や資本主義はよいものに映らない。しかし、彼はこうも言った。「お金は可能性の原因であり、貢献の結果でもある」と。僕は、父のこの考え方の方が好きだ。

 このように、お金に関する定義は人それぞれだ。僕たちはみな、お金についてなんらかの“印象”をもっている。

 ただし、“お金そのもの”を深く知っているわけでも、それについて考える機会もあまりない。加えて、お金を不浄のものと捉え、近づくことや考えることを避ける傾向は今も根強い。性の話と同じように、お金自体について語ることは、いまだにある種のタブーとなっている。

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