山田隆道の幸せになれる結婚 (21) 口うるさい義父と長男の嫁との壮絶な関係

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嫁姑の関係といえば、テレビでも頻繁に取り上げられるネタだが、一方で嫁舅、すなわち嫁と義父との関係になると、あまり話題にのぼらないものだ。

それはきっと、一般的に義父はお嫁さんに優しいからだろう。

男とは、いくつになっても若い女性に弱いものである。

息子の嫁に優しい義父の気持ちは、まだ年ごろの息子を持たない僕にも容易に想像できる。

そこにあるのは、息子夫婦を大切に思うがゆえの気遣いや遠慮の類ではなく、単純に嫌われたくない、できることなら好かれたい、という男の人情だろう。

また、年齢を重ねるにつれ、接する機会が少なくなった若い女性を前にして、いったいどう振る舞っていいのかわからないという、初老男性ならではの緊張と困惑もあるに違いない。

要するに、舅にとって若いお嫁さんとは、一種の腫れ物に近い感覚なのではないか。

結婚する前の僕は、我が家の場合も当然そうなると勝手に思い込んでいた。

団塊の世代である僕の父は、どちらかというと昔気質の不器用なタイプの男で、若い女性と冗談を言い合いながらフランクに卓を囲めるような性格ではない。

したがって、息子の嫁に対してもどう接していいかわからず、とことん無口になるのではないか、不干渉になるのではないか。

それが結果として、嫁にとっては優しい舅になるということである。

ところが、実際は違った。

僕の父は、息子の嫁に対して非常に口うるさいのだ。

しかも、父は昔ながらの大阪のオッサンだからか、他の地方の人間にはあまり耳慣れないであろう「アホか!」「なにをやっとんねん!」などといった乱暴な言葉を無意識のうちに多用するところがある。

本人は大阪の日常会話のつもりで使っているため、そこまで深い意味で「アホ、アホー!」と言っているわけではない(と思う)のだが、大阪ではない場所で育った僕の妻にしてみれば衝撃が大きいことだろう。

たとえば、今年の正月休みに家族みんなで小旅行に出かけたときのことだ。

僕ら夫妻と両親、そして僕の姉の5人で車に乗り、いざ大阪の実家から兵庫県の日本海側へ。

目的地はカニ料理で有名な城崎温泉あたりである。

車の運転は齢63歳の父が担った。

我が父の辞書には「引退」「隠居」の二文字はまだ存在せず、36歳の息子(僕のこと)がいるにもかかわらず、こういう家族行事があれば自ら進んで陣頭指揮をとる。

僕としては、これはこれで大歓迎だ。

今もなお、元気に家族の柱であろうとする父の気概を袖にして、無理に世代交代を推し進めることもないだろう。

かくして、僕は後部座席で楽をさせてもらった。

母も姉も、同じく後部座席でゆったりくつろぎながら旅路を楽しんだ。

父の性格をよくわかっている僕ら三人は、父が車を運転する際、昔からその助手席に座りたがらないのだ。

したがって、助手席に座るのは僕の妻となった。

父の性格にまだ不慣れな妻は、これから起こることをまるで想像できなかったのだろう。

なんとも呑気な表情だった。

こうして城崎温泉までのドライブが始まった。

すると出発してすぐ、山田家における嫁舅の壮絶なやりとりが、運転席と助手席の間で繰り広げられる。

「おい、カーナビ!」そう言って、口火を切ったのは父である。

「はい!」妻は元気よく返事をしてカーナビの設定をしようとするものの、操作の仕方に戸惑ってしまう。

「えっと、これかな? あ、違う。

えっと、こっちかな……」「アホ、なにをトロトロしとるんじゃ。

早くせい!」「ごめんなさい! えっと、えっと……、あ、これですね」「アホ、違うわ。

その横のボタンや!」「ごめんなさい! えっと、じゃあ、こっちのボタンを……」「アホ、違う! 右やなくて左や、アホ!」「ああ、こっちですか」「ったく、アホやなあ、もう! 早くせい、アホアホー!」というわけで、舅は息子の嫁に対して数十秒間で7回もの「アホ」を連発した。

妻にとってみれば、ここまで「アホ」と続けて言われたのは人生初めての経験だっただろう。

その後も城崎温泉までの数時間、舅が嫁を遠慮なく罵倒し続けるという、昼ドラでもなかなかお目にかかれない壮絶な光景が続いた。

妻の”ヒットポイント”は減少するばかりである。

思えば結婚したばかりのころ、父は妻に対して「これからは実の娘と同じように扱うからな」と宣言した。

そう考えると、父は自分の言葉に偽りなく、本当にそれを実行しているだけで、嫁をいびっているつもりではないのだろう。

それを証拠に、僕もいまだに父に怒鳴られることが多い。

山田家で生きるためには、そんな父に慣れるしかないのだ。

しかし、妻は納得できないだろう。

怒鳴られることはまだしも、それ以上に意味不明なのは、あれだけカーナビの設定にこだわっていた父が、「本当は城崎温泉までの道を知っていた」ということである。

それならカーナビ不要のはずなのだが、我が父は単純に機械好きのため、カーナビの設定をしたいだけなのだ。

妻がますます不憫である。