西寧駅 (Photo:©Alt Invest Com)

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 北京オリンピックを5カ月後に控えた2008年3月、チベット自治区のラサ市でチベット仏教の僧侶らによる大規模な暴動が発生した。事件の真相はいまだ闇のなかで、チベット亡命政府を支持する欧米の人権活動家らは「独立を求める平和的なデモを中国当局が弾圧し140名を超える死者が出た」と非難し、中国政府は「一部のチベット族が漢族や回族の商店で強奪を行ない、治安維持のため必要な措置を講じた」と応酬した。

 私がチベットを訪れたのは、オリンピックも終わり、騒乱の記憶も薄れた2009年9月のことだった。

 だがこれから書こうと思うのは、チベットへの旅の起点になる西寧での出来事だ。

チベット旅行のはずが…

 おそらく今も同じだと思うのだが、2009年当時はチベット騒乱を受けて外国人の入境が厳しく制限され、個人旅行は許可されず、あらかじめ旅程を決めてガイドが同行することがチベット旅行の条件となっていた。とはいえ、旅行代理店のなかには日本語のホームページを持つところも多く、日程とコースを伝えればあとはすべて手配してくれる。

 私が選んだのはチベット旅行の定番コースで、西寧から青蔵鉄道(海抜5000メートルの崑崙山脈を超えることから「天空列車」とも呼ばれる)でラサに入り、ポタラ宮やジョカン(大昭寺)などの世界遺産を見学した後、チベット仏教四大聖湖のひとつヤムドク湖を経て、パンチェン・ラマの居所のあったチベット第二の都市シガツェや、チベット最大の仏塔を持つバンコル・チョエデ(白居寺)などを回る5泊6日(車中1泊)のルートだった。

 トラブルは、最初に日に起きた。

 深センから西安経由で西寧空港に夕方に着き、そのまま西寧駅に向かって午後9時発の青蔵鉄道に乗車するというのが当初のスケジュールだった。ところが、空港に迎えに来た旅行会社のスタッフは、「あなたの切符はキャンセルされました」という。なんでも、私が乗るはずだった列車はラサに向かう人民解放軍に接収され、一般旅客は全員が予約取消になったのだという。「この国では誰も軍にはさからえませんから」といわれれば、「仕方ないですね」とこたえるほかはない。

 こうしてその夜は、まったく予定になかった西寧の街に泊まることになった。

 西寧は青海省の省都だが、外国人旅行者が訪れることはまれだ。古くはチベット族の土地だったが、いまでは人口のほとんどを漢族と回族が占めている。回族というのはイスラム系の少数民族ということになっているが、白い帽子やスカーフを除けば漢族とまったく区別がつかない。雲南省や新疆ウイグル自治区、青海省など交易を通じてイスラム文化の影響を受けた地域で、通婚などでイスラムに改宗した漢族が回族と呼ばれるようになったといわれている。新疆などでは欧米人と見紛う金髪碧眼の住民が中国語を話す姿を見かけるが、西寧の回族は「ムスリムの中国人」のことだ。

 旅行会社が手配してくれたのはムスリムが経営するホテルで、室内でも飲酒は禁止だった。街に出ても「清真(イスラム料理)」の看板を掲げたレストランばかりだが、なかを覗くとビールや白酒を飲んでいる中国人グループがいる。

 店の女の子に訊いてみると(といっても筆談だが)、店内には酒類は置いていないが、30メートルほど先に酒屋があるので、そこで酒類を買ってきて持ち込むのは自由だという。

 同じ清真レストランでも、ウイグルでは店内の一角が酒屋になっていた。上海では清真レストランのメニューにずらりと酒類が並んでいる。それに比べれば、西寧はまだ観光化されていないということのなのだろう。

 ビールを飲みながら火鍋を食べ終わると、なにもやることがなくなってしまった。ラサ行きの列車は午後9時発なので、翌日も夜までなにもすることがない。それに気がついて、旅行会社に電話して、追加で費用を払って半日観光を手配してもらうことした。

 こうして王さんがやってきた。

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