昨年の3月から7月にかけて、朝日新聞社と集英社の両社がこれまで培ってきた書籍と新聞のノウハウを生かして共同で開講した教育プロジェクト「本と新聞の大学」。政治学者の姜尚中氏と、一色清氏(朝日新聞WEB RONZA編集長)の2人が交互に行うゼミ形式をとり、ゲスト講師として政治、経済、科学、メディア...各分野のエキスパートが集結し、好評のうちに終了した同講座が書籍化されました。

東日本大震災からちょうど1年のタイミングで実施されたこともあり、これからの日本のあり方や、「社会」とは何かなど、生きるための本質的なテーマが毎回の講義で取り上げられました。なかでも宇宙物理学者の池内了氏が行なった授業のテーマは「科学と人間の不協和音」。そのなかで池内氏は「日本の科学は厚みが薄い」と指摘しています。

例えば、科学をテーマにした日本を代表するアニメ『鉄腕アトム』は、人間の心を持った主人公のロボットが悪に立ち向かうという、科学に対してポジティブなイメージの作品です。

 一方で、同じ科学をテーマにした作品でも西洋の作品はイメージが真逆。科学がテーマの西洋作品で最も有名なのは人造人間の悲劇を描いた『フランケンシュタイン』(1818年、メアリー・シェリー著)でしょう。ほかにはスティーブンソンの『ジキル博士とハイド氏』(1886年)、ハーバート・ジョージ・ウェルズによる『モロー博士の島』(1896年)などが有名ですが、いずれの作品も科学が暴走するストーリー。西洋にこの手の作品が古くから多く見られる理由を「科学はときによって人類を脅かすものになるという認識を、西洋の多くの人が持っていた証拠」と池内氏は述べています。

 西洋では、17世紀にガリレオやニュートンによって科学革命が起こり、そこから天文学や化学や医学などに枝分かれして発展していきました。西洋では科学は長い時間をかけて熟成されていき、ときには錬金術など危うい方向にいってしまう場合もありました。なので、西洋人は「科学はときに危険だ」という認識があるのだそうです。しかし、日本が科学技術を西洋から取り入れたのはそれから200年ほど後の幕末。日本は"科学は危険である"という経験をすることもなく、科学は"良いもの"という前提で受け入れてきました。

「日本では先端科学は平和のシンボルであり、国の発展に寄与するひたすらよいものとしてとらえられているわけです。その考え方はかなり長く続き、(中略)最近まで来たのです」(池内氏)
 
 原発の「安全神話」も、このような歴史が背景にあったのかもしれません。科学の良いところばかりに目を向けてきた私たち日本人は、原発事故をきっかけに「科学には二面性がある」ということを認識しました。しかし、震災から2年が経とうとしている今、いったいどれだけの人が、あの時の教訓を忘れずに過ごしているでしょうか――。

 そんなことを考えさせられる本書を、震災から2年という節目に読んでみてはいかがでしょうか。





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