食べるためではなく、存分に生きるために

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仕事とは? Vol.92

演出家 宮本亜門

演出家・宮本亜門氏を4年間舞台制作から遠ざけた出来事とは?


■一歩動いてみたら、やりたいことが具体的に見えてきた

演出家を志したのは高校生の時。大学で演出を学んだり、ダンサーや振付師として演出家の仕事を間近に見て「僕ならこう演出する」と具体的にイメージを作りあげたり、職種の研究はしてたんです。それなのに20代後半になってもチャンスは巡ってこなくて、半ば現実逃避でロンドンに遊学したときのこと。イギリス人の友人に「演出家になりたい」と夢を語っていたら、「それはわかったけど、君は演出家として人に何を伝えたいの?」と聞かれてハッとしました。何のため、誰のために演出をするのかも考えず、「演出家」という職種名さえ手に入れれば何とかなると思っていた自分の浅はかさに気づいたからです。

ロンドンでは2年間で舞台を700本以上観て、自分なりに勉強していたつもりでした。でも、具体的な成果はひとつもなかった。もしかしたら、僕の人生は何もしないまま終わってしまうのかもしれない。そう考えたら空しくなって涙が止まらなくなり、このままじゃダメだと日本に帰国し、企画書を書いていろいろなプロデューサーに見せました。でも、日本の演出家は劇団などの演出助手出身がほとんどという背景もあって、「君は振付師でしょ」とほとんど相手にされませんでした。

悔しくて「日本の演劇界はダメだ」と周りに愚痴を言い続けていたら、ある友達から「何も実績のない人をどうやって認めればいいの? 人に頼ってないで、自分で舞台を作ればいいじゃない」と怒られたんです。その場では逆ギレしたものの、「確かにそうだ」と一念発起。貯金と借金を合わせて資金を作り、仲間に声をかけてキャストとスタッフを集めて上演したのがデビュー作のミュージカル『アイ・ガット・マーマン』でした。

稽古を始める前はやっぱり不安でした。初めて演出する自分に本当にできるのかなと。でも、いざ稽古に入ったら、「この音楽を聞いてほしい」「役者の魅力を見てほしい」「作品のメッセージを伝えたい」という思いがあふれてきて、楽しくてたまらなかった。ロンドンでどんなに考えてもぼんやりとしかイメージできなかった「自分は何をやりたいのか」ということが、一歩動くことで具体的に見えてきたんです。

『アイ・ガット・マーマン』は好評で再演もやり、翌年には賞も受賞しました。その後は人に会っては企画を持ちかけ、ミュージカルだけでなくダンス、オペラ、さらにはテレビの司会、CM出演といろいろな仕事をしてきました。僕は「ひとつの色に染まりたくない」という思いから劇団に所属しておらず、かつては「前例がないから、うまくいかないよ」とよく忠告されました。でも、今の僕にそんなことを言う人は誰もいません。社会に出て新しいことをしようとしたら、たいていは叩かれるでしょう。だけど、臆さずにやってみてください。成果さえ得たら、周りは必ず認めますから。


■自分に嘘をついて作った作品が評価され、落ち込んだ

仕事がなくても生きられるかもしれませんが、人というのは社会の中で自分の役割を見つけないと生きづらいものだと思います。周りの目はさておき、やはり自分にしかできないことがあったり、人に喜んでもらえたりすると、生きる自信が持てるんですよね。そういう自分の役割みたいなもののひとつとして仕事があると僕は思います。「お金のため」「食べるため」に仕事をするともっともらしく言う人もいるけれど、そうじゃない。存分に生きるため。食べるために生きているんじゃないんです。

僕の役割、仕事を通してやろうとしていることは、人に生きていることの躍動を存分に感じてもらい、新しい価値観や生き方を伝えること。舞台というのは楽しければいいという人もいるかもしれませんが、それだけではないと僕は思っています。作品を通して人と触れ合いたいし、今この時代、動いている世の中について人と語り合いたい。作品が社会の一部になって動いていることを常に意識しています。

実のところ、最初から社会のことを意識していたわけではありません。物心ついた時から親しんでいたブロードウェイミュージカルの影響を大きく受けて、とにかく人を楽しませたいと思っていました。ところが、欧米以外の国の人たちと出会ったり、世界中の作品を観るうちに舞台というのは人の生き方にも影響し、最終的に国や政治を動かすこともあるということを知って、僕の考えも変わっていったんですね。ただ楽しませるだけでなく、観る人の心を解放することによってもっと人がわかり合える瞬間を作りたいと思うようになったんです。

そんな思いを反映して作ったのがアジアをテーマにしたオリジナルミュージカル三部作でした。ところがこの「アジア三部作」は「劇場の無駄遣い」と酷評されました。これまでにない挑戦作として自信を持って世に出した作品だけにショックは隠せませんでしたが、僕を落ち込ませたのはその後の出来事です。あまりに不遜(ふそん)でお話しするのがはばかられるのですが、「どうせみんなこんな軽い作品が観たいんでしょ?」と半ばふて腐れながら、娯楽色を前面に出して作った作品が大絶賛されてしまったんです。

それは一般的には落ち込むことではなくて、ビジネス的な成功を意味するのですが、僕には喜べなかった。当時の僕は「演劇をもっと広めたい」という思いからテレビにもよく出ていて、自分が少なからぬ人たちからタレント的存在として見られていることに気づいたのも落ち込みに拍車をかけました。ずっと大切にしてきた舞台に対して不誠実なことをしておきながら、テレビで笑顔を振りまく自分が詐欺師のように思え、許せなかったんです。その後、僕はスランプに陥り、4年間舞台を作れませんでした。立ち直れたのは本拠地を沖縄に移してすべてをリセットすることで、先程お話ししたような自分の役割、根っこの部分を再確認し、創作へのエネルギーを取り戻せたからです。

仕事というのはいくらそれが自分のやりたいことでも、忙しくなってくると心の余裕がなくなりますから、今でも虚しくなったり、落ち込むことはあります。でも、もう二度と「詐欺師」にはなりたくない。結局僕にとっては、社会がどうあろうと、自分が正直に生きているとか、自分なりに存分に生きているかどうかが問題なんですよ。存分に生きていないと、嘘で自分を固めてしまう。傷をきちんと治さないで絆創膏(ばんそうこう)をつけてごまかしていたら、どんどん化膿(かのう)してしまうのと同じです。だから、それはしたくない。なるべく誠実にやりたい。傷があったとしても、一つひとつ丁寧に自分のためにやっていきたいと思っています。