『ヴォイニッチホテル』道満晴明/秋田書店
南国の小島『ヴォイニッチホテル』は、リゾート地であり、日本企業の進出があり、内紛があり、麻薬の密売や殺人事件が多発する混沌とした場所に立つ、不思議なホテル。集まってくるのもクセのあるメンツばかり。みんなそれぞれにぼんやりとした人生を抱えて、生きたり死んだり。ああ、人生ってうまくいかねえなあ。

写真拡大 (全2枚)

道満晴明のマンガは、ブルースだ。
悪いことばっかりで、ついてなくて、これから未来に幸せになれるようなあても見えない。
そんな時はもう笑い飛ばすしか無い。どうせ死ぬんだ、人は死ぬんだ。
憂鬱をぎゅっと詰め込んで、楽しく切ないメロディを歌うように、マンガを描く。

道満晴明『ヴォイニッチホテル』の二巻が発売されました。
舞台は太平洋南西の小国の島のホテル。そこそこ大きいリゾートホテル。
しかし近くにある日本企業が作った遊園地サンヨリピーロランドは、国の内紛のためすっかり閉鎖。街にも人はいますが……どうにも退廃感が強い。明るさを感じない。
訪れたのは日本人のクズキタイゾウ。リゾートに観光に来るには不似合いなネクタイ姿。
彼を中心に、このホテルを巡る様々な人間達の様子が描かれます。

一本のわかりやすい物語がある作品ではありません。
ホテルにかかわるたくさんの人の短い話を、オムニバスで描いた作品です。
ホテルって本当に面白い。だってあの一つの建物の中に、何らかの目的でやってきた住人じゃない人たちが、一つ屋根の下過ごしているんですよ。これって奇妙だよ。
ヴォイニッチホテルには色々な宿泊客がやってきます。
ゲイの凄腕殺し屋。部屋でハッパ栽培をして売りさばいている三人組の女性たち。目的のためならなんのためらいもなく人を殺す姉妹。
わけありの人間ばかりです。クズキタイゾウもまた、元ヤクザ。足を洗ったものの、背中に刻んだ刺青は消えず、命を狙われます。

周辺をめぐる人たちもクセのあるメンツだらけ。
このホテルで料理をしているのは自殺未遂癖を持ち心中狙いで食べ物に毒を盛る女性。従業員の褐色の少女は天真爛漫でかわいらしいけれども、もう一人の女性は体中つぎはぎだらけで感情が見られない。

そんなホテル中では、殺人事件も多々起きます。
でも、ほとんどの宿泊客は死と隣合わせの人間ばかり。
だからなのか、死んだからといって大騒ぎにはなりません。淡々と事件は片付けられます。

この淡々感がすごい。事実タイゾウも命は狙われているんです。しかし焦ったり隠れたりしません。なるようにしかならない、という諦念すら感じられます。
殺し屋達も呼吸をするように殺し、「ランキングがあがった」だのなんだのと楽観的に話しています。
もちろん、自分たちが明日死ぬかもしれない、いや今死ぬかもしれないというのは抱えた上で、です。

やりきれない感じのホテルの外には、明るさを感じさせる少年達の探偵団が結成されています。
ここに希望のようなものが見え隠れするんですが、よーく見るとどうもここもいびつ。
リーダーの少年は顔に大きなキズがあり、これは地雷を踏んでしまった時のもの。その時救ってくれた女性は爆発で死んでしまいました。
他にも車椅子の少年、うさぎのかぶりものをしないとしゃべれない少女などが登場します。
二巻になって、「戦災孤児」という単語が登場。地雷の話と合わせて、この少年探偵団にどことない悲しさが浮かんできます。

ああ、やるせねえなあ。
大きさの差こそあれ、みんな何か傷を持っているんです。
消せない刺青を背負ったクズキは自分をハンパモンだと語り、地雷を踏んだリーダーは顔の傷を消せないまま。
女中ベルナはからだが縫い合わせたつぎはぎで、褐色の少女エレナも背中にキズがあり、右目は義眼。
ベルナはこう語ります。
「私、疵が好き。そしてエレナは体にも心にも、たくさん疵を持ってるの。だから私はエレナが好き」

この作品ではそのキズについて、同情もしなければ哀れみもしません。
ただ見つめ、受け入れるだけです。
途中からゾンビも登場します。正体は読めばわかります。そんなかわいらしいもんじゃなく、クソと悪臭垂れ流しで歩くほんまもんです。
彼女はどうしようもなく悲しい運命を背負っているのですが、描かれるのは滑稽な様子。その後少年探偵団のハカセという車椅子の少年と付き合うプチラブコメなシーンもありますが、それに未来はあるのか?
もちろん、ない。

ゲイの殺し屋は言います。
「人生って、うまくいかねーもんだな」
そう、なにもかも、うまくいったように見えて、全然うまくいかない。そんなもん。どうしようもない。
どうしようもないから笑うしかない。
感傷的にならない、けれどあらゆる人間のやりきれなさを詰め込んで、全部笑いに変えて、諦めてしまう。
これがとんでもなく心地いい。癒されます。

たくさんのバラバラな話が、入り組んで大きな全体像を作る物語です。
ハッパをやりすぎて数式を解きかけで死んだ数学者の話。スナークと呼ばれる謎のバラバラ殺人犯の話。エレナとクズキの恋の物語。殺し屋姉妹の妹の思い出。指からニベアが出るロボット刑事の話。
次第に島全体の神話の物語や、日本企業進出の話、内紛の話など、ヘヴィな内容が見え隠れしてきます。
どうでもいい話だと思っていたら、実はこの島の重大事になっているエピソードも多いです。
現実だと思ったら幻想も混じっています。境界線が全く見えません。

僕が一番好きなシーンは、狙撃されて死んだはずの女性がムクリと起き上がって、「貸した金返しなさいよっ」「あんまくさいとかいわないでよね、けっこう傷つくから」といってまたすぐ死ぬシーン。
もう夢なのか現実なのか全くわかりません。こういう出来事の積み重ねが、まるで風邪気味の微熱の時のように、あるいは少しだけお酒を飲んだ半端な酔いのような感覚を産みます。

14世紀以降に書かれたと思われる、暗号なのかなんなのか分からない謎の文章「ヴォイニッチ手稿」というものが存在します。
解読すれば意味がわかるのか、それとも全く意味が無いのかすらわからないそうです。
このホテルでの出来事も、まるでヴォイニッチ手稿のよう。
ものすごく深い意味があるように見えるシーンもあるし、実はなんの意味もないのかもしれないシーンもたくさんあります。

内容は、笑えて、愉快で、軽快です。
そして最後に残っているのは「やりきれないね」「うまくいかないね」「まあしょうがないね」。
まずはこのぬるま湯の海にたゆたう気分で読みながら、半笑い。

同時に発売された『ニッケルオデオン 緑』は短編集です。
こちらのシリーズはさらに明確に異形のモノ、不器用な人をテーマに、クトゥルフ神話やオカルトを交えながら、悲しみを笑いに、笑いを悲しみに変えています。
体がつながっている双子の少女、地雷を踏んで体がバラバラになった先輩、2階と7分の3の高さから何度も飛び降りる子供、姉がヤドクガエルになった妹、妖精の穴らしきものを掘り当てたナチスの囚人、自分をゴミだといいゴミの中に住むひきこもり少女、水神サマと暮らす青年。
いびつなものや異形なものを丁寧に優しく描きながら、それがうまくいかないことも残酷に、でも淡々と描きます。
オムニバスなのでどこから読んでもよいので、こちらの方が道満晴明という作家を知るにはオススメです。
しかし読んでいくと、小さな物語があらゆるところでつながっていることに気付かされるはず。

世の中はうまくいかない無常のブルース。ただし、どこかで多分つながっている。かもしれない。
そこに、ちょっとだけ、希望が見えるから、道満晴明作品は哀しくて、面白い。
(たまごまご)

道満晴明
『ヴォイニッチホテル 1』
『ヴォイニッチホテル 2』
『ニッケルオデオン 赤』
『ニッケルオデオン 緑』
よりぬき水爆さん