【建物萌の世界】第21回 二・二六事件の建物を巡る

こんにちは。様々な建物や街並に萌える「建物萌の世界」でございます。2月も末になると、つい二・二六事件を思い出します。1936(昭和11)年2月26日に発生したクーデター未遂事件ですね。今回は、この二・二六事件に関連する建物をいくつか回ってみようと思います。

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2月26日未明に陸軍の皇道派青年士官の有志が決起した二・二六事件ですが、決起部隊の中心は近衛師団の歩兵第3連隊、そして第1師団の歩兵第1連隊と歩兵第3連隊でした。

近衛師団は「天皇および宮城(皇居)護衛」を任としているので、近衛師団司令部と歩兵第1連隊、歩兵第2連隊は現在の北の丸公園に設置されました。歩兵第1・第2連隊の記念碑が、現在日本武道館周辺に建立されています。そして1910(明治43)年に田村鎮の設計で建てられた近衛師団司令部庁舎は、同じく北の丸公園の一隅にレンガ造りの姿が。戦後皇宮警察の寮として利用されていましたが、1964(昭和39)年開催の東京オリンピックに関連した都市整備事業の一環で北の丸公園が整備される際、他の近衛師団の建物とともに取り壊されそうになりました。近衛師団の戦友会や日本建築学会など、様々な人による保存運動が展開され、文化財保護委員会からも重要文化財指定の意見書が提出されたこともあって保存が決定し、1972(昭和47)年に重要文化財指定を受けました。その後1974(昭和49)年から保存改修工事が行われて、1977(昭和52)年11月から国立近代美術館工芸館として利用されています。

近衛師団本部全景
(写真:近衛師団本部全景)

レンガの外壁を補強するバットレス(控壁)がデザイン上の特徴で、まるで付け柱のようにも見えます。軍隊の建物なのですが、どことなくイギリスの大学にありそうな感じのデザインですね。テレビアニメ『たまこまーけっと』に出てくるうさぎ山高校校舎のモデルも、同時期の1908(明治41)年に建てられた陸軍第16師団の司令部庁舎(現:聖母女学院本館)だったりするので、案外この時期の司令部庁舎は学校とデザインの親和性は高いのかもしれません。

文化財指定されているのは建物外壁と中央部の玄関、そして階段室部分のみで、残りは美術館にする際に大改造が行われ、往時の面影は残していません。内部は補強の為にコンクリートの建物が入り込んでるような状態なので、現在の建物は「レンガの衣をまとった建物」という感じ。

大学の校舎のようなデザイン
(写真:大学の校舎のようなデザイン)
陸軍モチーフの通風口
(写真:陸軍モチーフの通風口)

明治時代からの建物ということもあって、様々な歴史の舞台でもあります。『坂の上の雲』で知られる秋山好古は日露戦争後に近衛師団長を務めているので、この建物で執務していましたし、『日本のいちばん長い日』で知られる1945年8月15日未明の玉音盤奪取未遂事件である宮城事件では、ここで叛乱将校によって当時の森近衛師団長が殺害されています。また、東京都庭園美術館(旧朝香宮邸)の主であった朝香宮鳩彦王も二・二六事件の前年まで近衛師団長を務めていました。

決起部隊である近衛師団歩兵第3連隊は、北の丸公園ではなく赤坂、現在のTBSが建っている場所にありました。第1師団歩兵第1連隊があったのは現在の東京ミッドタウンがある場所。どちらも当時の兵舎は残っていません。唯一、第1師団歩兵第3連隊兵舎の一部だけが現存しています。戦後進駐軍に接収されて「ハーディー・バラックス」と呼ばれる施設になり、その後兵舎部分は返還(一部は現在も米軍赤坂プレスセンターとして使用)されて、千葉から移転してきた東大生産技術研究所が使用していました。2000(平成12)年にこの敷地に国立新美術館を作る計画によって取り壊され、建物にかからないごく一部だけが、まるで切り分けられたシフォンケーキのような状態で保存されています。……しかしまぁ、この状態は「保存」と言えるのか、非常に論議を呼んだ手法でした。さらにきれいにされすぎて、逆に嘘っぽく見える感じになっています。

歩兵第3連隊兵舎
(写真:歩兵第3連隊兵舎)
麻布三連隊兵舎保存状況
(写真:ごく一部しか保存されていない)

国立新美術館には当時の再現模型が展示されています。官庁建築では基本的な「日」の字型レイアウトで、1928(昭和3)年の完成当時は「東洋一の近代兵舎」とうたわれた建物でした。

麻布三連隊兵舎再現模型
(写真:歩兵第3連隊兵舎再現模型)

跡地に黒川紀章設計により2007(平成19)年開館した国立新美術館の建物も、波打ったガラスのカーテンウォールが印象的な、絵になる建物ですね。

国立新美術館国立新美術館

北の丸公園とお堀を挟んだ対岸には、戒厳司令部が設置された九段会館(旧:軍人会館)が姿をとどめています。同潤会アパート銀座の奥野ビルなどで知られる河元良一の設計、伊東忠太が技術顧問で参加して1933(昭和8)年に完成した建物は、東洋趣味の西洋建築に瓦屋根を載せた、いわゆる「帝冠様式」の典型例としても知られています。予備役軍人の修養・訓練の場として使われましたが、満州国の皇弟である愛新覚羅溥傑と嵯峨浩の結婚式も行われました。戦後進駐軍に接収されて宿泊施設等に用いられ、返還後は国有化されて日本遺族会に貸し出されています。

九段会館全景
(写真:当時戒厳司令部が置かれた九段会)
九段会館玄関
(写真:九段会館玄関)

外壁はスクラッチタイル張り。屋根瓦は角張った特殊なデザインで、しゃちほこも幾何学的なデザインになっています。壁面には往年の特撮作品『変身忍者 嵐』のような装飾も。これは魔除けを意味するもののようで、この辺りはいかにも伊東忠太的な部分ですね。中にある大ホールはコンサートやイベントに利用され、爆風スランプの曲に登場したり『究極超人あ〜る』がアニメ化された際のイベント会場にもなりました。

直線基調の屋根瓦と特徴的な装飾
(写真:直線基調の屋根瓦と特徴的な装飾)

2011年の東日本大震災で大ホールの天井が崩落し、ちょうど行われていた専門学校の卒業式に参加していた方が死傷したことをきっかけに、現在は閉鎖されています。日本遺族会も国に返還することにしたのですが、修復保存、取り壊しを含め建物をどうするのか、いまだ決着していません。

さて、決起部隊はいくつかに分かれて首相官邸などを次々襲撃します。当時の首相官邸は現存しているものの、敷地内を曳き家で移動して、首相公邸となっている為に内部を見ることはできません。

首相公邸全景
(写真:首相公邸)
首相公邸アップ
(写真:屋上にはミミズクの装飾がある)

大蔵省営繕管財局の技官、下元連の設計で1929(昭和4)年に完成し、帝国ホテルを設計したフランク・ロイド・ライト風のデザインが特徴です。屋上の国旗掲揚台の四方には、知恵の象徴であるミミズクの装飾が。

これら襲撃対象となった人物のいた建物というのは、現存していなかったり内部を見ることができなかったりするものばかりですが、唯一大蔵大臣だった高橋是清邸が、東京都小平市にある「江戸東京たてもの園」に移築保存されています。元々は近衛歩兵第3連隊の目と鼻の先、赤坂表町(現在の赤坂7丁目)にありました。跡地は事件後東京市(当時)に寄贈され、高橋是清翁記念公園になっています。

是清翁記念公園
(写真:赤坂の高橋是清邸跡)

邸宅の母屋部分は、規模を縮小した上で墓所のある多磨霊園に移築され、休憩所などに利用されていましたが、1993(平成5)年に現在地に移築されました。ずっと借家住まいだった高橋是清が1902(明治35)年に初めて建てた家で、ツガ材を使用した「総栂普請」が特徴です。仏間を除く全ての畳敷きの部屋に床の間があり、それぞれ違った趣向が凝らされているのが見所。食堂だけは寄木の板張り床を使った洋間で、是清のアメリカ生活経験が反映されているようです。

是清邸全景
(写真:高橋是清邸)
庭からの全景
(写真:庭から。白壁は洋間の食堂)

当時は板ガラスが国産化されていなかったので、円筒形に吹いた硝子を切り開くといった製法などが使われていました。そのお陰で微妙にゆがんだ窓ガラスがいい雰囲気を醸し出しています。

明治の窓ガラス
(写真:ゆがんだ窓ガラスがいい雰囲気)

この建物も2011年の東日本大震災で被害を受け、倒壊は免れたものの建物にゆがみが出て壁にヒビが入りました。当時いたボランティアの方によると、1973(昭和48)年の映画『日本沈没』のように建物から土煙が出てきて、見学者を避難させながら、建物が倒壊するんじゃないかと思ったそうです。事前に実施されていた耐震工事が功を奏し、倒壊は免れました。

近衛歩兵第3連隊を中心にした襲撃部隊は、捕らえた書生から居場所を聞き出し、母屋奥の階段から2階の寝室(十畳)へと踏み込みます。高橋是清は隣の大広間(十五畳)で寝ていた女中を動揺させないよう、落ちついた口調で反対側の階段から逃がし、踏み込んでくる兵士達を待ち受けたといいます。

是清邸1階廊下
(写真: 襲撃部隊は右に見える階段を登った)
殺された2階寝室
(写真:殺された2階寝室(画面手前側))

江戸東京たてもの園では毎年命日の2月26日に、殺害された2階寝室の床の間に花を供えています。

命日には花が供えられる
(写真:命日には花が供えられる。壁のヒビは震災被害)

事件は29日に鎮圧され、指導的役割を果たしたメンバーは自決した者を除いて逮捕されました。特設軍法会議により死刑とされた者は7月12日と翌1937(昭和12)年8月12日に、渋谷にあった陸軍刑務所で死刑が執行され、事件はほぼ終わります。

慰霊碑
(写真:渋谷にある二・二六事件慰霊碑)

1965(昭和40)年、かつての陸軍刑務所敷地の一隅(渋谷税務署脇)に、二・二六事件で犠牲となった全ての人を慰霊する碑が建立されました。設計者は九段会館と同じ川元良一。目立たない場所なのですが、今でも花の絶えることがありません。

二・二六事件にまつわる建物ですが、再開発などでだいぶ無くなってしまいました。これからは、将来が不透明な九段会館を除いては、おそらく保存され続けると思いますので、見て回ってみてはいかがでしょうか。

(文・写真:咲村珠樹)