怪しくなってきた肖像画の話




研究が進むにつれ、それまでの定説が覆されるなんてことは学問の世界ではざらにあることです。問題なのは、それによって教科書が書き変わり、昔教えてもらったことが、現在では「違います」なんてことになること。昔、歴史の教科書で見た肖像画の人物が、「実は違うんじゃない?」とされ、徐々に変わってしまっていることをご存じですか?



■聖徳太子 本当にいたのか? という話も



「聖徳太子」に関して、学校でどんなふうに教わったでしょうか? 40歳以上の人なら「推古天皇の摂政として、政治に大きく関わった」と教わりませんでしたか。「冠位十二階」「十七条の憲法」「遣隋使」など、重要な施策を推進したといったふうに。



「生まれてすぐに言葉がしゃべれた」という伝説があるようなスーパーヒーロー……だったのですが、近年、教科書での聖徳太子の影が薄くなっています。それどころか、聖徳太子という人物が実在したのかどうかについて議論されるほどなのです。



聖徳太子が描かれた一万円札を知っている人は「聖徳太子が架空の人物」と聞くと驚くかもしれません。かつて一万円札の右側に印刷されていた聖徳太子のもとになったのが、『唐本御影』(とうほんみえい)という絵画です。



この唐本御影には、聖徳太子(とされる人物)が中央に、両脇に王子が描かれています。この絵はかつて「聖徳太子」として教科書に掲載されていました。しかし、「この絵が聖徳太子かどうかも怪しい」ということで、今では「聖徳太子」として掲載する教科書は減っています。



推理作家の鯨統一郎さんは『邪馬台国はどこですか?』の中の一編「聖徳太子はだれですか?」で、面白い仮説を披露しています。興味のある人はぜひ読んでみてください。この短編集は知的好奇心を満たしてくれる興味深い1冊です。



■源頼朝 えっ、将軍じゃないの!?



黒衣で冠をかぶり、杓(しゃく)を持ってキリッとして、涼しげなまなざし。鎌倉幕府を開いた武家の棟梁、征夷大将軍・源頼朝の肖像画として有名なものなので、誰でも一度は見たことがあるでしょう。これは「神護寺三像」(3つの肖像画)のうちの一つで、国宝にも指定されています。



今では、この絵は源頼朝ではなく、足利直義を描いたものではないかという説が有力になっています。そのため、この絵が掲載される場合には「伝源頼朝」となっていることが多いのです。「源頼朝を描いたと伝わっているよ」という意味ですね。



■足利尊氏 あなたも将軍じゃないの!?



足利尊氏といえば、征夷大将軍になり室町幕府を開いた人物です。足利尊氏の肖像画といえば、おっとり刀で馬に乗るザンバラ髪のヒゲのおっちゃんの絵を思い起こす人が多いのではないでしょうか。



かつてはその絵が教科書に「足利尊氏」として掲載されていました。



しかし現在では、皆さんが思い浮かべる絵は「騎馬武者像」と呼ばれています(2005年の教科書)。つまり「誰を描いたのか分からん」ということです。高師直(こうのもろなお)、あるいは高師詮(こうのもろあきら)ではないかなどの諸説があります。



いずれにせよ、かつて「足利尊氏」とされていた絵の信ぴょう性が問題になっているのは事実で、「伝平重盛」(前述の神護寺三像の一つ)とされてきた絵が「足利尊氏」じゃないのか、という説が有力になっています。



■武田信玄 もっと男前だってば!?



「甲斐の虎」と呼ばれた戦国大名「武田信玄」というと、でっぷりと太って低重心、ちょっとはげた頭で、もみ上げ濃く、獰猛(どうもう)な顔を思い浮かべませんか? 俳優でいうと故・勝新太郎。それは「絹本著色武田信玄像」が有名で、かつて教科書や副読本に掲載されていたからです。



ところが、これが怪しくなっているのです。畠山義続(はたけやま よしつぐ)、あるいは畠山義総(はたけやま よしふさ)ではないかなど諸説が唱えられています。



武田信玄は「もっと細面で華奢な外見」とする説も提示されていて、もしそれが正しいとすると、イメージはずいぶん変わりますね。



■今では「仁徳天皇陵」ではありません!



肖像画ではありませんが、これも昔の教科書で教わった人はビックリするでしょう。世界最大の前方後円墳。昔は「仁徳天皇陵」と教えられていました。しかし、最近では歴史の教科書の表記は「大仙陵古墳」になっています。



考古学的に仁徳天皇のものであることが怪しくなっているためです。調査のための発掘が宮内庁から許可されないため、この大きなお墓が誰のものなのか、不明なままとなっています。



いかがだったでしょうか。研究が進むと、今までの定説が覆されていきます。教科書の記述はどんどん変わっていくのですね。







(高橋モータース@dcp)