本日発売、スピリッツ13号で最終回を迎えた『高校球児ザワさん』。最終12巻は、4月30日発売予定。

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本日(2月25日)発売のビックコミックスピリッツで、『高校球児ザワさん』の最終回が掲載されている。
兄・耕治の甲子園出場。そこから連なるドラフト&オタ友三人衆との友情物語を終え、いよいよザワさんたち世代の最後の夏がはじまる……と思っていたら、その耕治とオタ友とのエピソードが収められた11巻の帯に「ラスト2」と大きく記され、え? 何が? まさかラスト2巻? と慌てたのが12月の出来事。
それから3ヵ月もしないうちに、今日、最終回を迎えてしまった。
この間、ザワさんの男疑惑が持ち上がったり、東京六大学野球を目指して予備校通いをしたりと、物語が大きく動きそうな気配を見せていただけに、9回の攻防がないまま唐突に試合終了してしまった感じ。なんだか、片思いの恋が一方的に打ち切られた気分でもある。

《ささやかだけれど、かけがえのない日々。野球部の紅一点・都澤理紗(=ザワさん)のなーんてことない日常素描。部活少女へのフェティシズム溢れる、野球マンガの新機軸》
『ザワさん』1巻の紹介文だ。この「フェティシズム」、Wikipediaによれば当エキサイトニュースで「フェチすぎる野球マンガ」と記事にしたのが発信源だとか。なるほど、ザワさんを語る上で、「フェチ」は外せないキーワード。

部活に明け暮れていた高校生当時を思い起こさせてくれる、徹底したディテール描写。まだまだ前途有望で、日々のことだけに没頭することができる高校生特有の「近視眼的」な発想や視線が、絶妙なフェティシズムにつながっていたように思う。
それは野球部という組織が持つ、「異常性」にも結びついてくる。野球部という異常な集団、それでいて伝統的に力も注目度もある存在が保持する不可思議な文化やエッセンスを的確に表現したからこそ、結果として「フェチ」的な部分が浮かび上がってきたのではないだろうか。

『高校球児ザワさん』は、作品そのものに明確なメッセージ性はない(何しろ、主人公・都澤理紗本人に主体性がほとんどない)一方で、上記の「フェチ」の点だったり、「野球と女性の関わり方」であるとか、「部活動あるある」であるとか、非常に語るべき話題が多い作品だった。でも、最終回を読み終えて改めて感じたのが、「片思い」の物語だったんじゃないか、という点。

どんなに練習を頑張っても、野球の技能が秀でていても、高校野球というルール上、公式試合に出ることは叶わないザワさん。
これまでの「女子×野球」漫画であれば、超人的な能力を身につけたり、超法規的な措置で夢が叶う……というのが、まあよくある展開だったわけれども、ザワさんが作中でそのことに不満を述べたり、何か改革をしたり訴えたり、なんてことは描かれない。連載開始当初から変わらずザワさんが続けてきたことは、ただ「野球がうまくなりたい」という1点のみ。どうすれば楽にユニフォーム姿になれるのか、体力を温存して部活に臨めるのか、といった野球部至上主義。野球という競技、高校野球という制度に片思いをし続けた結果としての都澤理紗(=ザワさん)というキャラクター造型だったように思う。
それが女性である、という点で物語になるわけだけれど、そんな風に、見返りはなくとも盲目的に何かを愛し、熱中できるのが、高校時代の特権だったんじゃないだろうか。

もう二度と味わいたくない部活動の猛練習の数々。でも、なぜか消えてなくならないいくつかの風景。
それはノスタルジーでもあり、取り戻すことができないからこその青春時代への片思い。心の中でモヤモヤとくすぶるそんな気持ちを的確に表現し続けてくれたのが、『高校球児ザワさん』だったのだ。

元高校球児であり、作者とも親交のある野球雑誌「野球太郎」編集者・菊地選手は、最終回を前にこんなコメントを吐露していた。
《『高校球児ザワさん』が最終回を迎える。僕は登場人物でも何でもない、一読者なのに、なんでか二度目の高校生活が終わるような感慨が湧いてくる》
ザワさんからの卒業を突きつけられた読者は、来週からこの喪失感をいったい何で埋めればいいのか……。
ひとまずは、『ザワさん』を改めて1巻から読み返してみることをオススメしたい。
最終回の扉ページを見て、それから1巻を読み返してみると、「………………あ、」という結びつきを見つけることができるハズ。それは勝手な思い込みかもしれないけれど、残された9回の攻防は、読者それぞれが自由に楽しんでいいと思うのだ。

『高校球児ザワさん』最終12巻は、4月30日に発売される。お楽しみは、もうちょっと続く。
(オグマナオト)