SBIホールディングスCEO 北尾吉孝氏

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■「老婆心」とは気配りのこと

「極めて才知に優れているけれど、あの者には『老婆心』が足りない」

一体、誰が誰のことを言ったのか。

今から約800年前のこと。道元禅師は曹洞宗を開き、永平寺の開祖となりました。その道元の後継者には、弟子の中でも才知技能に優れた「義介(ぎかい)」が選ばれると目されていました。しかし、道元は「懐裝(えじよう)」を指名した。のちに『正法眼蔵随聞記』を著した懐奘は道元にこう尋ねたと記しています。「お師匠様は、なぜ義介に印可(悟りを開いたという証明)をお与えにならなかったのですか?」。その返答が冒頭の言葉です。

老婆心……。しばしば、お節介、余計な親切心といった意味で、「老婆心ながら言わせてもらえば……」などと、自分をへりくだるときの語彙として使われますが、それは誤りです。正しくは、「人を深く思いやる心」という意味です。そんな老婆心を持って、人と接することがリーダーに不可欠だと、道元は考えたのでしょう。

私もその考えに賛同します。だから、若い人たちには道元流の老婆心を身に付ける努力をせよと常に促しています。

いわゆる「気配り」の重要性は、今さら言うまでもありません。それはビジネスマンのイロハのイでしょう。ところが、その気配りによって、上司や部下、取引先などに良い印象を持ってもらおうとする残念な輩があまりに多い。自分の出世・栄達のためのおべっかやゴマスリは簡単に相手に見透かされます。結局のところ、自分のことしか頭にないのですから、老婆心の欠片もない。

気配りの本質は、人を思いやる心・老婆心でなくてはなりません。そもそも「顧客だから」「上司だから」という人を選んだ気遣いではなく、すべての人に対して平等にすべきものであり、気遣いの質はもっと高くあるべきなのです。

相手が何を欲しているか。どんなことをしたら怒るのか喜ぶのか。表面的なことではなく、そういう人の心情を深く推し量ること。重要なのは、相手の心に対する洞察力なのです。思いやりの心をただ持っているだけでなく、人間の智恵のひとつである洞察力が加わって初めて、真の老婆心を持ったと言えるでしょう。

例えば、取引先へのプレゼン。往々にして、事前に自分が一生懸命に作り上げた資料を説明するのに終始してしまう。その裏にあるのは、自分に都合のいい論理。儲けの算段です。でも、一方的にこちらが言うだけでは、失敗に終わります。

では、何をより優先すべきか。それは、取引先の言い分にしっかり耳を傾け、相手の心情を吟味すること。

「細部」に気づく力を高め、相手の発言の行間を解読できるようにならなければなりません。先方の話からにじみ出るもの、浮き彫りになるもの、本当に欲しているものをすくいとって、それをプレゼン文書に盛り込めば、結論は違うものになるはずです。顧客にとってプラスになることがファーストプライオリティとなるのです。

私は、中国古典から3つの倫理的価値観を学びました。「信」は、約束を破らないこと。「義」は、正しいことを行うこと。そして「仁」は、相手の立場になって物ごとを考えること。老婆心は、この「仁」の心だとも言えます。

仁という字は「人」に「二」と書きます。これは人間が2人いることを表しています。人間が2人集まると、コミュニケーションが生まれます。そして意思疎通がだんだんはかれるようになると、今度は「恕」という働きが起こるのです。

「恕」は、「如」に「心」と書くように「我の如く相手を思う」という意味があり、それは慈愛の情、惻隠の情と言い換えてもいい。このような気持ちが、老婆心と仁に共通した点なのです。

■3000人の社員を誰よりも社長が理解

もし、上司の立場にあるなら、老婆心や仁を筆頭とする、徳や人間的魅力があれば、部下が慕ってくれるに違いありません。逆に言えば、それらが乏しければ、環境は厳しいものになるでしょう。何しろ、上(上司)が下(部下)を知るには3年を要するが、下が上を知るには3日で足りる、と言います。下は本音をなかなか吐きませんし、おべんちゃらを言う者もいるから、上からは見えにくい。一方、下から上は、本当によく見えるものです。自分のことしか頭にない身勝手で視野の狭い上司では、ついていく部下は少ないでしょう。その意味でマネジメント層にこそ老婆心は必須なのです。

では、上司は老婆心を具体的にどんな行動で表していけばいいか。私がいつも大切にしているのは、共に働く人々を「よく心に留めておく」ということです。

今、グループ全体の社員数は約3000人ですが、たぶん、彼らを一番知っているのは私かもしれません。話す相手が役員しかいないようでは、社長として落第でしょう。

毎年、新入社員に課題を出して、彼らが書いてきたレポートのすべてに目を通して、採点と評価をしています。日々の仕事は分刻みの忙しさゆえ、正直に言って、この作業は大変です。しかし、私は他人に任せません。なぜなら、新人からすれば、社長自らが「自分のことを知っていてくれる」のは、最大の配慮と感じるだろうからです。食事にも10人ずつ連れていき、彼らの話を聞くし、直接届いたメールにも返信します。また、社員の誰かが病気だと聞けば、腕のいい医者やよく効く薬を教えることもあります。

「君たちの働きが『大変素晴らしい』って言っていたよ」

他社の経営者などから、わが社の社員についてお褒めの言葉をいただいたとき、私はそう言ってその社員に直接伝えます。私がただ褒めるより、そうやって間接的に褒めたほうが社員は高評価を得た気持ちになるのではないでしょうか。これも、「部下を育てる」ことを上司の使命と考える自分流の老婆心の1つです。

野村証券の法人担当部長時代、私は多くの優秀な部下を率いていました。指示されたことだけやって、気が利かない、サービス精神が足りない、そんな社員は叱りました。老婆心は日々の仕事の中で、コミュニケーションしながら人の心を洞察し、「見通しをつける」トレーニングを積み重ねることで養われます。

上司として求めるものも大きかったが、その代わり、返すものも大きくしたかった。私が設定した高い数値目標を達成した部下の勤務評定には文句なしに最高点を付けたのです。ところが、その私の評価をボーナス額に反映させようとしない上司がいて、意見が激しく衝突しました。最終的に「ならば、僕は会社を辞めます」と。そんな向こう見ずな行動を見て、部下は私と一体となって動いてくれた。

だから、その後、店頭公開したばかりのソフトバンクに私が移ったときも、およそ60人もの野村の社員がついてきてくれたのだと思います。そのことに私は大きな誇りを感じています。

※すべて雑誌掲載当時

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SBIホールディングスCEO 北尾吉孝
1951年生まれ。74年慶應義塾大学経済学部卒業後、野村証券入社。78年英ケンブリッジ大卒業後、野村証券で海外投資顧問室などを経て、95年ソフトバンク常務。99年、ソフトバンク・インベストメント(現・SBIホールディングス)CEOとなり、現在に至る。財団法人SBI子ども希望財団理事、SBI大学院大学学長。著書に『何のために働くのか』など。

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(大塚常好=構成 小倉和徳=撮影)