『マウンドに散った天才投手』(松永多佳倫/河出書房新社)
野球界に閃光のごとく強烈な足跡を残した、伊藤智仁、近藤真市、上原晃、田村勤ら七人の壮絶な過去と第二の人生を描くノンフィクション

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「伊藤智仁を見ると、なぜか切なくなる」

松永多佳倫著『マウンドに散った天才投手』は、伊藤智仁をはじめ、プロ野球史に一瞬の閃光のように輝いた投手7人へのインタビューと周辺取材でその軌跡を辿ったノンフィクションだ。

史上最高のスライダーを操ったガラスの天才投手・伊藤智仁(元ヤクルト)。
デビュー戦ノーヒッターの偉業を果たした「江夏二世」・近藤真市(元中日)。
サウスポー日本記録155キロ・石井弘寿(元ヤクルト)。
脳腫瘍から生還を果たした奇跡のリリーバー・盛田幸妃(元近鉄)、etc.

ちょっと大げさに思えてくる形容詞の数々が決してブラフではない、野球ファンの記憶に深い爪痕を残した投手ばかり。
名球会入りできるような記録や偉業を達成した選手は一人もいないが、冒頭の言葉通り、誰もが「切なくなる」エピソードを携えている。本書は、一時代を築きながらもその後に故障に悩まされた元投手たちの、逆境に立ち向かう生き様・再生力を描くことをテーマに展開されていく。

ある者は運命を受け入れ、ある者は未練たらたらに当時を振り返る。

「故障していなかったらどこまでできたんだろうと、いまだに思うことがあります。今中が十代で10勝してドラゴンズでは何十年ぶりと言われましたけど、俺だってできたんじゃねーのかって」(近藤真市)
「未練があるのかなと思われるのも嫌なので口にはあまりしませんが、想像したことはあります。メジャーに言ってたら自分はどこまで活躍できたのかなと」(石井弘寿)
「半身不随で寝たきりのときに『頑張って』と声をかけられても、どうやって頑張ればいいのですかという思いだった」(盛田幸妃)

登場する7人はいずれも、活躍の期間よりも後のリハビリや雌伏の期間が長過ぎて、なかなかその肉声が表に出てこなかった選手たちばかり。それだけに、本人自らが悔しさや諦めやプライドを垣間見せながら当時の記憶を辿っていく姿は新鮮でもある。中でも、あの野村監督をして「俺が今まで見た中でナンバーワンのピッチャーや」と言わしめたガラスのエース・伊藤智仁の物語は、これまで映像を中心に本人不在で話題になることが多かった選手だけに、非常に読み応えがある。

伊藤智仁といえば、ルーキーイヤーの1993年に前半戦だけで7勝2敗・防御率0.91の成績を挙げながら、今なら考えられないような登板回数・投球数を続けたことでシーズン中盤に肘を故障。そして、この一年目の酷使がその後の度重なるケガにつながったという見解が定説だったように思う。野村監督自身が「積極的に登板させた事によって彼の選手生命を縮めてしまった」と後に語ったことも有名なエピソードだ。

だが、本当のキッカケは一年目の酷使ではなく、二年目にあったと伊藤本人は語る。
「肘自体は手術せずにリハビリでなんとかなったのでダメージは少なかった。二年目のキャンプのときに肩をやったのが悔やまれます」

当時は既に肘のリハビリに関しても見地があり、十分なトレーニングを積むことができたが、一方で肩のエクササイズやリハビリについてはあまり日本球界に伝わっていなかった。通常であれば投げ込み等で肩を作っていくところを肘のリハビリに専念してしまったため、肩周辺の筋肉を鍛えることを疎かにしてしまったという。
「二年目のキャンプ、肘の状態がよかったので、肩もできていないのに調整を早めすぎて、バーンとやってしまって……」

これは1994年春の出来事。わずか20年前にもかかわらずトレーニングに関しての常識がまったく違っていたことに驚くとともに、その無知(伊藤自身だけでなく周囲も含め)によって、世紀に名を残したであろう大投手を失ってしまった事実が今さらながらに悔やしくなる。

伊藤智仁以外の6人の投手に関しても、ケガの原因やその後の壮絶なリハビリ風景はなかなかに壮絶。それでも、野球がしたい、一軍のマウンドに立ちたいという共通の思いが読んでいてまた切なく、もどかしくなってしまう。
本書はつまり、7人の投手の生き様であり、闘病記としても見ることもできるのだ。

野球界は球春を迎え、WBC・日本代表28名も選出。いよいよ戦いの幕が開ける。
日本の三連覇ももちろん気になるところだが、これまでの大会では上記した石井弘寿、そして松坂大輔など、無理な日程と極度のプレッシャーが、その後の選手生命に大きな影を落とすケガを生んできた歴史もある。今回既に、前田健太の肩の不調が心配されている。

エースと呼ばれる人種がそのプライドをかけながらケガとどう付き合っているのかを知る上でも最良の一冊ではないだろうか。
(オグマナオト)