変質した「セルフブランディング」-6-

写真拡大

■TOPIC-6 自己啓発書批判が生み出す新たな啓発書

ここまで触れずにきたのですが、セルフブランディングという言葉は、特にインターネット上では批判的、揶揄的な意味で用いられる言葉でもあります。

そのような批判や揶揄は、人材コンサルタントの常見陽平さんによる『「意識高い系」という病――ソーシャル時代にはびこるバカヤロー』において端的に示されています。常見さんは以下のような、「意識が高い」と呼ばれる行動の事例を示して、それらは「あまりにも前のめりに取り組んでいるがゆえに、時に滑稽に見え、痛い」(3p)、あるいは「頑張る方向を間違えていたり、空回りしたり、表面的だと感じると、見ていて不安になってくる」(5p)と述べています。

「自分のプロフィールを誇張する奴! 芸能人でもないのに、かっこよすぎるプロフィール写真を撮る『自分大好き』な奴! 名言(実は著名人の受け売り)を吐きまくる奴! やたらと人脈を作り、自慢する奴! 勉強会、異業種交流会をやたらと開く奴! 将来のビジョンについて、ムダに熱く語る奴! ビジネス書を読み漁り、その真似をしまくる奴!」(4p)

常見さんは、「頑張っている人を否定したり、批判するつもりはない」と述べていますが、それでも上記のように自らを表面的に取り繕うのではなく、「まずは目の前の仕事をしろ」として上記の引用に当てはまるような人々を批判的に見ています(5p)。このような立場に立つ常見さんが批判の一対象とするのが、セルフブランディングなのでした。

常見さんは、セルフブランディングを扱う書籍やセミナーについて、「限りなく虚飾や詐称に近い」(53p)と述べています。印象に残る名刺の作り方、服装や言動のポイント、ツイッターのフォロワー数、肩書を自分で作ること、経歴を「盛る」、つまりのうち自慢できる部分は最大限に誇張し、そうでない部分はできるだけぼかすこと(55-62p)、自分のプロフィール写真を加工すること、人脈を自慢して「ソーシャルメディアでのつながりの数を人脈だと勘違いする」(69p)こと、書籍刊行など「メディアに出ているオレ」(69p)を自慢すること、文房具やデジタルガジェットを揃えること、売れているビジネス書を愛読書と述べること、等々。セルフブランディングに関係するこれらの「セコいテク」(81p)を常見さんは次々と切り捨てていきます。

もう一冊、近しい内容を扱う著作として、株式会社クレイジーワークス代表取締役総裁の村上福之さんによる『ソーシャルもうええねん』があります。村上さんは、自分自身の経験を踏まえながら、ツイッターのフォロワー数やフェイスブックの「いいね!」などは金銭で買えるものであり、ソーシャルメディア上の承認(特に、数量的に示される他者からの承認)がいかに多くとも、それと現実の生活の充実は必ずしもイコールではないのだと述べます(16-20p)

■実力もないのにブランディングするな

常見さんや村上さんの批判、指摘はセルフブランディングの何を批判しているのでしょうか。これは、ブランド論が看過してきたある側面を突いているのだと考えることができます。その側面は、ブランド論においては以下のようなかたちで言及されています。

「『私はこれができます!』と“自信をもって言い切れるあなた”になることをめざすのだ。誤解してほしくないのだが、これはうわべのウソでその場を乗り切れ、ということではない。自信をもって言い切るバックグラウンドには、あなたが相応の力をもっているという前提が不可欠だ」(藤巻、96p)

「知名度に見合う実力や『成しえた』成果があなた自身になければ、単なるピエロに終わってしまう可能性があることを覚えておいた方がよいでしょう」(大元、112p)

ブランド論ではこのように、自分が他人と差別化できる能力、あるいは誰かのニーズに見合うサービスを提供できる能力を「もともと持っていること」がしばしば前提とされています。常見さんらの批判はこの点を突いたものと言えます。つまり、能力や業績もないのに、アピールだけをしてもしょうがないだろう、それはむしろ「痛い」ものだろう、と(しかし、少し考えると、常見さんらの批判は藤巻さんらによって既に織り込み済だったと見ることもできます)。

だからこそ常見さんは、「空回りをやめて、現実を見よう」(200p)、「自分磨きは、ウソだ。その前に、まず目の前の仕事をしろ。人脈は、ウソだ。その前に、近くにいる家族や仲間、恋人を愛するのだ」(203p)として、セルフブランディング、広く言えば自己啓発やソーシャルメディアによってガラッと現実が変わるという幻想を捨て、清濁まみれる現実を生きよと主張されているように思います。

■「差別化」にもとづく自動運動

常見さんや村上さんの批判や指摘に私は基本的に賛同するのですが、一方でこうした批判や指摘は何を生むのだろうとも考えます。常見さんらは、ただ批判をして終わることは不誠実だとして、セルフブランディングを相対化したうえで、先のようなメッセージを発していました。しかしそれこそがまさに、次なる自己啓発書が生まれる母体になるのではないかと考えるのです。

流れとしてはこうです。2009年までのブランド論は「自分らしさ」と「他人がみる自分」を一貫させようとしていました。それに対して2010年以後は「自分らしさ」にこだわるばかりでなく、「他人に受け入れてもらえる自分」を重視し、ソーシャルメディアの効果的な利用法を論じるようになります。さらにそれに対して常見さんらの批判は、2010年以後のブランド論は時に情報発信ばかりが突出してしまうため、より地道に仕事に取り組むことや、自分を高める努力が必要だ、としてブランド論を切り捨てています。ここで行われた切り捨てが、次なる差別化(いわば、これもブランディングです)を図る自己啓発書を生むのではないかと考えるのです。

というより、実際にそのような自己啓発書が既に登場しています。「バリ島に住む関西弁の日本人大富豪」である兄貴(丸尾孝俊)さんによる『大富豪アニキの教え』がそれです。同書では、ブランド論で推奨されるような、ソーシャルメディアの活用が批判的に言及されています。たとえば以下の通りです。

「フェイスブックやメールこそが人間関係を軽くするんや。(中略)『人と人とのつながり』をフェイスブックやメールだけですませるのは、間違いだとオレは思うんや」(60p)

「実際に会ったことがなく、『フェイスブックやメール上でのやりとりしかしたことがない相手』って、おるやろ? そんな相手は、『相手を自分ごとのように大切にする心(つながり・絆・ご縁)』を持った『ホンマもんの仲間』であるはずがないんや。『ホンマもんの仲間』でなければ、その人のためになにかをしてあげたり、おせっかいを焼こうとも思わんで」(61-62p)

主張の是非はともかく、ソーシャルメディアの活用はあくまでも連絡手段であって、それは「ホンマもんの」結びつきにはならない、そうではなく「相手を自分ごとのように大切にする心」で目の前の人々に日々接していくことが本当の「つながり」を生むのだ、と繰り返し述べられています。つまり、特に2010年以後のブランド論に示されているような「つながり」観が否定され、その代わりに別様の、つまり差別化された「つながり」観が示されて同書の主張となっているわけです。

つまるところ、自己啓発書とはこのように、差別化に差別化が重ねられていき、それを俯瞰して見ると、あるいは時を置いてみると自動運動しているように見える、そういう書籍ジャンルなのだと思います。

もう少し具体的に述べます。自己啓発書の基本原理は、これまでの連載を通して見てきたように、「心」を重視するというものです。しかし、それに対する差別化が行われてソーシャルメディア上の「つながり」を重視する2010年以後のブランド論が台頭し、さらにそれに対する批判を行う『大富豪アニキの教え』のような著作が別様の「つながり」観を主張します。あるいは地道な仕事への取り組みや、もともとの能力向上が重要だという主張も生まれ、ともするとやはり「心」が重要だという主張がもう一度なされる、等々。このようにして、前回の「仕事論」の終盤において少し言及した、次々と「これまでにない啓発書が出た!」と喧伝されるサイクルは続いていくのではないでしょうか。

さて、今回は今までで一番長くなってしまいました。私自身、思い入れが強いとどうしても長くなってしまうようです。次回は第3テーマ「年代本」において宿題となっていたことに取り組みたいと思います。次回の素材は「女性向けの年代本」です。

----------

『自分ブランドの教科書 −フジマキ流至上最強のあなたをつくる』
 藤巻幸夫/インデックス・コミュニケーションズ/2007年

----------

(牧野 智和=文)