ライバル企業間のノウハウ取引

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消費者イノベーションの研究はいかにして始まったのか。前回(http://president.jp/articles/-/8294)に引き続き、筆者による創始者へのインタビューから解き明かす。

■なぜライバル企業にノウハウを教えるのか

『イノベーションの源泉』(以下、『源泉』)を発表したとき、ユーザーイノベーション研究の父エリック・フォン・ヒッペル(以下、親しみを込めてエリックと呼ぶ)はユーザーがイノベーションする理由をユーザーの手にする便益の大きさに求めた。しかしその後、彼の関心は情報の問題に向かった。実は『源泉』には全体の構成から違和感を感じる章がある。「ライバル企業間の協調:技術ノウハウの非公式取引」という章だ。

あるメーカーがイノベーションを行ったとしてもイノベーションに関連する情報がライバルに漏れてしまうと競合企業がすぐに類似商品で対抗してくる。そうした情報の漏れを経済学者のエドウィン・マンスフィールドはイノベーション企業にとっての「損失」だと考えていた。しかしエリックが実務家と意見交換してみると事情はそう単純でないことに気づいた。ある小型製鋼会社のトップによれば「私たちはライバルに自社独自の工程ノウハウの一部を教えることがある」という。「情報を取引(trade)しているんだ」と。そこでエリックが説明する。

「ススム。たとえば君と僕が食事に行ったとしよう。今回は僕が勘定を払う。そこだけ見れば僕は一方的にお金を出しているように見える。でも実は別の日には今度は君が勘定を支払っていたとしたらどうかな? 2人の間に貸し借り関係があるってことさ。同じように、小型製鋼会社にとってはノウハウ情報をライバルに教えても、きっと別の機会に相手企業はお返しにノウハウ情報を教えてくれるだろうと考えているってわけだよ。つまりノウハウの取引さ!」

そんなやりとりから生まれたのがライバル企業間で起こる非公式ノウハウ取引の研究だった。自社にとって有益な情報を一番持っているのはライバル企業だ。自分たちと同じ環境に直面し、課題も似通っているからだ。実際に調べたところ、小型製鋼業界ではライバル企業間で各社独自のノウハウを日常的に取引していた。一方から他方にイノベーション情報が漏れるだけでなく、イノベーション情報は時に企業間で双方向に取引されていたのだ。

ところで、と僕。「ライバル企業間のノウハウ取引の章は『源泉』の中では『浮いていた』ような気がするけど」

「その通り。イノベーションの源泉というテーマから遠いと思ったけど、重要な発見だと思ったし、自分が将来、2冊目の本を書くかわからなかったから、無理やり押し込んだんだ(笑)」とエリック。

■イノベーションの発生を説明する「情報の粘着性」

このノウハウ取引の研究がきっかけとなり、エリックはイノベーションに関わる「情報問題」に興味を持つようになった。「実はライバル間のノウハウ取引についてアルコア社のトップと話していたときなんだけど、うちはライバルに工場の中を全部見せるよ、って言うんだ。どうして?と聞くと、だってどれだけ見たって、わが社のノウハウを理解することはできないからって(笑)。この話を聞いたとき、アロー(ケネス・アローというノーベル経済学賞受賞者)は情報を費用ゼロで移転できるって前提にしてるけど本当かなと思うようになったんだ。そこから出てきたのが『情報の粘着性(stickiness of information)』という概念さ」。

エリックによればメーカーは技術情報を、ユーザーはニーズ情報をそれぞれの活動場所で生み出している。そうした情報を発生場所からはがして、ユーザーが技術情報を、メーカーがニーズ情報を使いこなすのは難しい(つまりコストがかかる)。エリックは説明を続ける。

「情報が形式化されてなかったり、利用するために基礎知識が必要だったり、膨大な量を移転する必要があったりして発生場所からはがして移転し利用するのが難しいことがあるんだよ。そこでユーザーがそもそも技術情報に明るく技術情報の粘着性が低くて、メーカーにとってニーズ情報の粘着性が高い場合、ユーザーがイノベーションをするんじゃないかと考えるようになったわけさ。そう考えるとイノベーションの発生場所は『便益の大きさ』と『イノベーション情報の移転コスト(利用の難しさ)』の二つの要因から説明できるだろ。ススム、実際、君が集めたデータでもそうだったじゃないか」

彼の言うとおり。実は僕が博士課程の学生としてマサチューセッツ工科大学(MIT)に留学したのは、エリックが「情報の粘着性」を提唱した直後だった。理屈としてはイノベーションの発生をうまく説明しているように見える粘着性概念なのだが、誰もその有効性をデータで証明していなかった。その証明を僕が日本のコンビニ業界で起こったイノベーションを対象に行ったというわけだ。

■ほとんど誰にも理解されずほんとに孤独だった

ところでそれと同じ時期、エリックは別のテーマにも取り組んでいた。『源泉』ですでに発表していたリードユーザーに関するものだ。

ユーザーイノベーションといっても一般のユーザーが行うわけではない。リードユーザーという特定のユーザーがイノベーションを行うのだというのが『源泉』での主張だった(※リードユーザーとは、平均的ユーザーより、はるかに先行したニーズを持っており、かつ、その新しいニーズに対して解決手段を提供するイノベーションを実現することで大きな便益の獲得を期待できるユーザーである)。同書の中でエリックはこのリードユーザーという概念の有効性を質問票調査で実証しているのだが、それを一緒に行ったのがグレン・アーバンだった。グレンは日本ではそれほど知名度が高いわけではないが、マーケティング研究(特に新製品の市場予測)の分野で知らない人はいないほどの超有名人だ。

エリックとグレンはマーケティングとイノベーションの接点について講義する授業を2人で担当していた。「グレンとは講義の合間によく話をしていて、研究者って話していると最後には研究の話になるもんなんだよ(わかるだろ?)。そこで僕がユーザーイノベーションのデータを見ていてリードユーザーという特定ユーザーの存在に気づいたという話をしたんだよ。その話を聞いてグレンは『データをそういう見方で見たことはなかった』と興味を持ってくれたんだ。それで2人でリードユーザーという概念を実際に測定してその有効性について実証しようという話になったんだ」。

そう解説するエリックに「(一流雑誌の)Management Scienceに採択されたやつだね」と僕が念を押す。するとおもしろい返事がきた。「最初はマーケティング分野の雑誌に投稿したんだ。ところが不採択さ(苦笑)。マーケティング研究者にとってユーザーはメーカーの作ったものを選択・購入し消費するだけの受け身の存在でしかなかったんだよ。だからユーザーがイノベーションするという考え方を受け入れ難かったんだろうなぁ」。

「グレンは不採択の手紙を見てどんな反応だったの」と僕。「いやー。驚いてたよ。マーケティングはグレンの専門分野だからね。もっと理解を示してくれると思ってたみたいだよ。仕方がないので研究開発系の雑誌に投稿することにしたんだ」。

さらにエリックによれば、「(これまで僕たちの研究はなかなか理解してもらえず)マーケティング系の雑誌にはひどい目にあったなー(苦笑)。MITの客員研究員だったルースジェと一緒にやったマウンテンバイクについての研究の場合は特に衝撃的だったよ。消費者の20〜30%がイノベーションしてるという結果が出たのでマーケティング系の雑誌に投稿したんだ。そしたら返事が『消費者はイノベーションしない。消費者は消費する。以上!』だって。たった1行で終わる不採択レターだったよ(ススム、おまえがここで院生だったとき、僕たちの研究、ほとんど誰にも理解されずほんとに孤独だったよな)」。

少し時間を進めよう。そんな経緯ですでにリードユーザーが存在し、革新的アイデアを生み出すことは実証されていた。ただリードユーザーを製品開発に組み込む手法(リードユーザー法)が企業実務で有用かどうかは誰も実証していなかった。それを証明したのが3Mプロジェクトだった(※3Mプロジェクトとは、リードユーザーを活用して開発した製品のほうが従来の市場調査を使った製品よりも新規性と独自性が高く、販売実績も2倍以上になることを明らかにした調査。3Mの医療用画像解析製品の開発チームによる、リードユーザーを活用した製品開発をもとに明らかにした)。

エリックが語る。「ビジネススクールの教官だから自分の提唱した手法が実務で役立つかどうかに関心があるわけさ。当時、コンサルタントだったヘルシュタットとパイプハンガーを対象にリードユーザー法を応用したことがあったけど、その場限りの報告みたいになっていたんだ。その後も何社かでリードユーザー法を実践してもらおうと思ったんだけどうまくいかなくてね。そうこうするうちに、ある知り合いに紹介されたのが3Mのメアリー・ソナックだったんだ。3Mのプロジェクトは彼女の存在が大きかったよ。おかげでリードユーザー法を実際に採用してくれて、伝統的な方法と比較調査することができたんだ」。

「そういえば3Mプロジェクトのメンバーに(マーケティング研究者の)ゲリー・リリアンがいたよね。どういう経緯で彼が参加することになったの?」と尋ねる僕。エリックの答えは興味深かった。

「リードユーザー法の有効性を証明するのに、マーケティング分野ですでに権威を持っている研究者に入ってもらいたかったんだ。しかもユーザーイノベーションへのバイアスがかかってない人がいいと思ったんだよ。

グレンはすでに僕と研究していたからバイアスがかかっていると思われるから最初から声をかけなかった。ゲリーは昔から友達だったし、ユーザーイノベーションに対する偏見もなかったから声をかけたんだ。『調査を一緒にしよう』って言ったら、『いいよ』って感じだったよ」

3Mプロジェクトでリードユーザー法は伝統的手法に比べ新規性・独自性の高い製品を生み出し、高い販売成果を実現していた。この研究は厳格な科学的方法で検証していないと掲載されることがない一流ジャーナルに採択された。その意義は大きかった。リードユーザー法の有用性に疑問をはさむ余地がなくなったからだ。

その後、エリックの関心は企業・消費者からコミュニティ、国家という単位に向けられていく。その成果が彼の2冊目の著書『民主化するイノベーションの時代(Democratizing Innovation)』というわけだ。

(神戸大学大学院経営学研究科教授 小川 進=文 平良 徹=図版作成)