昨12月6日、東京ビッグサイトで開催された「Cloudforce Japan」にて。「TOMODACHIサマー2012 ソフトバンク・リーダーシップ・プログラム」に参加し、この日東京にやってきた9人の高校生。

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■「うわあ、なんか嫌だ、ヤバい!」

昨12月に9人の高校生が東京に来た。1月、そのうちのひとり、勝又健志さんに岩手の水沢で会った。勝又さん、将来何屋になりたいですか。

「これ、俺、悩んでるんですよ……。技術者ですかね。うーん、研究者にもなりたいんです。何か発見するのは楽しそうだなって思って。でも、菅野さんに会ったのをきっかけに、ビジネスとかも面白いなと思って」

次に登場してもらう福島の菅野英那さん(須賀川桐陽高3年)のことだ。勝又さんが「面白い」と感じた菅野さんの話はまたのちほど。さて、勝又さんは高校を卒業したあと、どこへ行きますか。

「岩手大が志望です。工学部の応用化学。あそこに入るためには、3年の時には偏差値48ぐらいないと駄目なんで、今はギリギリ」

岩大に行く、応用化学をやる。さてその先は?

「もし岩大に入れたら、そのまま頑張って、大学院に入れるレベルになったら入りたい。そのあと、だれかの手伝いとかじゃなくて、自分から研究できるようにしたい。これは行けたらいいなっていう道なんですけど」

勝又さんはどこかの会社に勤めることを考えていますか。

「いや、そういうイメージ、まだないです。最近知ったことなんですけど、ヒッグス粒子が発見されたじゃないですか。100メートルぐらい地下にある機械で粒子をぶつけてビッグバンをつくる。そういう研究施設とかに入りたいなって思ったり。それ、岩手につくる可能性もあるんです。前、先生が話してました」

2012(平成24)年7月4日、欧州合同原子核研究機構(CERN:セルン)は、スイスとフランスの国境地下に設置された全周27キロメートル、世界最大のハドロン衝突型円形加速器(LHC)を使った実験で、その存在が予言されながら唯一未発見だった「万物に質量を与える素粒子」を発見した。それが通称「ヒッグス粒子」だ。

奥州市は国際リニアコライダー(ILC:International Linear Collider)計画の誘致を行っている。大深度の地下に全長31〜50キロメートルの直線型衝突加速器を設置し、ビッグバン直後の状態をつくり出して、宇宙誕生の謎を解く実験を行うという計画だ。岩手の北上高地が候補地のひとつとして挙がっている。岩手県はILCの経済波及効果を「30年間で4.3兆円」と試算している。カネ以上に波及効果が見込めるものは「ひと」だろう。ILCは建設段階から世界トップレベルの頭脳を集めることになる。「ヒッグス粒子」を発見したCERNは1980年代、膨大な研究情報を共有する方法に悩んでいた。CERNに参加していたイギリスの計算機科学者ティム・バーナーズ=リーは、1990(平成2)年に、その解決策として文書共有システムを開発・提案する。現在のWWW(World Wide Web)だ。1991(平成3)年8月6日、世界初のウェブサイト http://info.cern.ch/ が稼働する。CERNは WWW の特許を取得せずに無償で解放し、人類史は少し進歩した。

勝又さん、国境をまたいで仕事をするイメージはありますか?

「それ親が最初に言ってました。もし文系に行くなら通訳をやれ、と。でも、ほんと文章、そこまで好きじゃなくて(笑)。工学部を出て仕事に就いたら、そのときに、自分で学んだ技術を中国に教えるというのもひとつの道じゃないかと考えたことあります。英語もちゃんと勉強して、海外の人たちと技術を教え合う、そういうのもいいかなって。英語? 今は、普通。偏差値も普通のレベル」

勝又さんに意地悪な質問をします。岩手大に入れた。応用化学をやった。しかし就活で苦労したとします。そのとき、たとえば地元に職場がある東京エレクトロンの内定が取れた。良かった、万歳——と「安心しちゃう」可能性、ありますか?

「うわあ、なっちゃいそうです。うわああ、ほんとになりそうだな。なんか嫌だ。現実を見ろよという声が心のどこかに(笑)。ああ、俺つまんなくなりそうです。大学にガリ勉して入って、それからたぶん金のことを考えて、今後のことを考えて、たぶん会社に入っちゃうんじゃないかなという。ヤバい!」

勝又さんに「ヤバい!」と叫ばせてしまったこちらの問いは、取材で会ってきた高校生の将来への懸念でもある。高校生たちが日本の大学に進学し、就職活動という「現実」に適応していくうちに、だれでも言えるつまらないことばを吐くだけの学生になっていくのではないか——という懸念だ。孫正義が日本の一般的な進学・就職の経路ではなく、カリフォルニア大学バークレー校に進んだこと、そして「TOMODACHI〜」で母校に高校生たちを送った意図を考えるとき、この懸念はなんどもこちらの目の前に現れた。

勝又さん、「TOMODACHI〜」を後輩たちにお勧めしますか。

「お勧めします。いちばんのお勧めポイント? アメリカの考え方です。やっぱり日本って、縛ってるイメージがあるんです。授業とか何もかも」

たとえば?

「ぼくは発言したいんです。でも、うちの高校の授業は、ほとんどが『当てる制』なんですよ。今日は11日だから11番、そういう感じなんです。アメリカは、先生が言ってることが間違いだと思ったら、自分の意見を言う。向こうでみんなで教会に行って、300人の前で、どっかの会社の人がブランドについてしゃべったの聞いたんですけど、合間合間ににジョークとか入れたりして、みんなで質問したりして。こういうかんじいいなと」

ここまで取材してきて、300人の「TOMODACHI〜」が、勝又さんと似た思いを得て日本に帰ってきたことは実感している。先にも書いたが「TOMODACHI〜」の大きな意義は、通じ合うものを持った高校生たちが、被災地各地に暮らし、今も(そしてきっとこれからも)つながりを持ち続けるという点にある。じっさいにそうして勝又さんはキャンドルナイトを手伝いに、始発電車に乗って釜石に行ったのだから。この300人のつながりは、彼ら彼女らが仕事を始めるときに、また違うかたちで大きく生きてくるのかもしれない。

「確かにそれは考えることがあります。これから菅野さんが、もし何かつくろうってなったら、俺もそこでやってみたい(笑)」

次は、勝又さんに「そこでやってみたい」と思わせる未来の起業家に話を訊く。

■母と子で語るザッカーバーグ

菅野英那(かんの・えな)さんは福島県立須賀川桐陽高等学校3年生。春からは早稲田大学商学部の1年生となる。指定校推薦で合格した。菅野さんが籍を置く3年5組は理系クラス。だが、早大商学部に行くと決めた。文理選択は高校何年生のときだったのですか。

「2年になるときです。そのときは将来はITをやりたいっていうのが強くて、東北大の工学部とかを考えてて。要するにプログラミングをやりたいから理系に行くってかんじでした」

プログラミングがやりたい菅野英那は、いつごろできたのですか。

「コンピュータに初めて触れたのが、幼稚園か、小学校入ってすぐです。親が持ってたノートパソコンをいじって。小学校3年のとき Google に触れて、これはすごいなと思って」

Google の事業開始は1998(平成10)年、日本語版サービス開始は2000(平成12)年。菅野さんが小学校3年生になったのは2003(平成15)年。

「そこからもうずっとパソコンに触れてたかんじで。小学校を卒業するときには、タッチタイピングが余裕でできるぐらいになってました(笑)。先生にも『あなたは将来エンジニアになるのね』みたいに言われてて、自分でもそうなんだって思ってました」

しかし進学先は商学部。なぜですか。

「文系移籍に決めた理由は2つあります。まずひとつが、たとえばシリコンバレーにいる、ちっちゃいころからプログラミングやってるようなすごい方たちにはかなわないと、もうそのときには思っていて。だから自分はプログラミング1本だけじゃなくて、もうひとつ武器を身に付けたほうがいいなと思って。ビジネスについて知っておきたい、ビジネスを学ぼうと考えたことがひとつめの理由です。

2つめの理由が、起業することを考えたとき、ITに限らなくても、いろんなところで面白いことができるんだなって思い始めて。IT、プログラミング以外のいろんなことを見ておきたいと思ったんです。ただ、自分はいわゆる文系の人間になるつもりはなくて、大学に行ったらプログラミングサークルとかに入って理系の勉強もしたいなと思っています」

菅野さん、文系移籍は学校の先生に困られたのでは。

「かなり。とくにうちの学年は『国公立を受けろ』と言われていて。だけど早稲田しか自分は行きたくないって言って。先生が『そういうことを許可したのは英那君が初めてだよ』って言ってました」

そこまで早稲田が好きなのはなぜですか。

「『TOMODACHI〜』でカリフォルニアに行ったときに、自分が魅力的だなと思ったのが、diversity (多様性)ということばで、そういうのが日本の大学でいちばんあるのが早稲田じゃないかなと思って。自分は将来、具体的に『何をやりたい』というのはまだなくて、いろんな人の刺激を受けたいなというのもあって」

菅野さんは祖母、母、妹との4人暮らし。お母さんの仕事は看護師だ。私立大学への進学は問題なかったのですか。

「最初は駄目だって言われました。でも早稲田のほうがぜったい自分の勉強したい環境だし、卒業してからいい仕事に就けると思うので、恩返しできると思うと言って説得した形ですね。あとは奨学金に頼って」

お母さんは、菅野さんが何屋になりたいのかというイメージを共有しているんですか。

「していると思います。自分の話し相手は基本的に母親がメインなので、なんでも思ってること話すんです。起業家の伝記を読んだときには『こういう人にぼくはなりたいんだ』とか、そういう話をけっこうしているので、あっちもだいたいわかってるかなと思いますね」

お母さんは、マーク・ザッカーバーグという人がFacebookをつくったことは認識している?

「わかりますね。かなり話してるので」

菅野さんはどんな人になりたいんですか。

「自分は幼稚園のころから、大人になったらデカイことをするんだとずっと思っていて。中学生ぐらいになったときに、そろそろ本気でやらなきゃいけないんじゃないかって思い始めて。自分はそのときITに興味があったので、ITの世界にどういうすごいひとがいるのかも興味があって、ビル・ゲイツとか、スティーブ・ジョブズとか、そのころ出てき始めたひとではマーク・ザッカーバーグとか。そういうひとたちは何をしたかというと、自分で会社を起こしたわけで。そのあたりから、自分の会社を起こしたいなということは思ってました」

いちばん菅野さんに影響を与えている起業家はだれですか、と訊く。その問いに答えたあと「孫さんのほうが、自分としては近いのかなと思うんですけど」と菅野さんはことばを添えている。

(明日に続く)

(文=オンライン編集部・石井伸介)