『エロゲー文化研究概論』宮本直毅/総合科学出版
日本初のエロゲーって知ってる? エロゲーの18禁マークっていつ頃うまれた? 現実の事件とエロゲー作品を並べながらオタク文化体系を追っていく『エロゲー文化研究概論』は、この30年の、日本のもう一つの歴史だ。

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「新しいメディアは基本、エロからはじまる」というのがぼくの持論です。
ビデオしかり、CD-ROMしかり、DVDしかり、インターネットしかり。
そして、パソコンのエロゲーしかり。
いつも論争にされる最も苦しい立場でありつつも、PC98時代からWindows移行期にエロゲーの力は大きかったはず。

『エロゲー文化研究概論』は、ありとあらゆる「アダルトゲーム」の文化の歴史を追った本です。
タイトルこそ硬いですが、中身は事件を軸にエロゲー文化を語っているので、これが非常に面白い。
ようは作品一覧じゃないんですよ。
あくまでも「エロゲーとはなんなのか」「なぜエロゲーは日本において時代ごとに問題と戦ってきたのか」を、エロゲーに肩入れするわけでも、批判するわけでもなく、フラットに語っている本なんです。

しょっぱなから興味引く話題ではじまります。
世界最古のエロゲーとはなにか?
エッチな気持ちを喚起させるゲーム、という意味合いであれば、1970年代後半、ドイツのゲームデザイナーが、デュッセルドルフ近郊の天文台のスーパーコンピュータで作ったストリップ・ポーカーじゃないか、と。
おいプログラマー! スーパーコンピュータでなにやってるの!
そういうの大好きだよ。

このように、そこにハードウェアがあれば「遊ぶ」のが人間。
そこに「欲望」、つまり「エロ」が加わるのは必然です。
何やったって、エロいことを0にはできない。それが発展していく歴史が、あくまでも「遊び」という視点で記述されています。

日本ではじめてのエロゲーって『ナイトライフ』じゃないって知ってる?
ファミコンにエロゲーがあったらしいぞ?
パソコンゲームの自動販売機があったの覚えてる?

エロゲー文化だけでもかなりディープに書かれています。
豆知識的な内容も多く、それだけでも十二分に楽しめますが、この本の最大の特徴は社会現象や事件とエロゲーの関連性を切り離さず、丁寧に、でも偏らず書いていることです。

負の方向で真っ先に思い出すのは「宮崎勤事件」かもしれません。
1990年代、「おたく」やエロゲーに対する激しい風当たりと苦悩を生んだ事件です。
その前にも1986年、刑法177条をネタにしたエロゲー『177』という、強姦と和姦をネタにしたゲームが国会で取り上げられたことがあると記述されています。
これ以降、コンピューターゲームはアングラな自由地帯ではなくて、社会的な目にさらされるものなのだ、という、当たり前でも有り、表現の自由さとの戦いでもあるタガがはめられます。
また、1991年に『沙織 -美少女達の館-』という過激なエロゲーを中学生男子が万引きしたことで、アダルトメディアがオタクではない層に表出。表現をどうするのかの自主規制の波が押し寄せます。
1992年にはガイナックスの『電脳学園』が宮崎で有害図書指定。このあたりをきっかけにソフ倫が立ち上げられ、18禁マークが貼られるようになります。

逆に、良い方向での変化も整然とあげられています。
たとえばファミコンが大普及することによって、PCでしかできない大人向けのエロゲーは独自の進化をとげたとか、アダルトゲーム専門雑誌が大量に発売されたとか。
エルフの『同級生』が空前の大ヒットを飛ばし、多くの作品がエロゲーでしかできないことを精力的に作ったことも、作品とともにしっかり記述されています。

あわせて、バブル、阪神淡路大震災、サリン事件、インターネットの普及など、現実の大きな影響力があった出来事も書き記しています。
面白いもので、やっぱりエロゲーの興隆と関係してくるものですね。
今問題になりやすい「表現」についてもかなり丁寧に解説されています。近親もの自主規制の場合妹をどう描くかとか、SF表現を取り入れたエロゲーの技術など。シナリオライター達についてもしっかり記されています。

もちろんカタログ的な読み方もできますが、あくまでもこれは「エロゲー本」ではなく「エロゲー文化本」です。
ですので、エロゲー大好きな人には当然オススメなんですが、エロゲーをしらないオタク文化全般に興味がある人にこそオススメしたい。エロゲーなんて一本もやったことないよ、って人こそ、文化として楽しめるのではないかと思います。

ぼくが初めてやったエロゲーはLeafの『雫』でした。筋肉少女帯みたいだよと聞いて。
衝撃でしたね……エロゲーって「エロいゲームなんでしょ?」くらいに思っていたら、絶対一般ゲームでは出来ないような物語を、強烈に叩きつけてくる。
最近までエロゲー雑誌でエロゲーレビューをしていたのですが、今でもそういう野心的な作品たくさんあります。
市場自体はやはり縮小気味ですが、「遊び」としてのエロゲー、「表現」としてのエロゲーを新しい形で待ちたくなる、そんな本なのです。
人類がある限り、「遊び」と「エロ」はなくなりませんから。
(たまごまご)


宮本直毅 『エロゲー文化研究概論』