木下直之『股間若衆』(新潮社)
著者は近代日本の美術や建築の歴史を、さまざまなユニークな視点から考察してきた。本書では、日本各地に建つ裸体男性彫刻を通じて、明治に西洋から伝えられた裸体芸術が日本でどんなふうに受容されてきたかを探る。裸体彫刻における股間の“様式”を分類してみたり、あるいは巻末では「股間巡礼」と題して、各地にある男性裸体彫刻のガイドが掲載されていたりと、かつて深夜に放送されていたみうらじゅん出演のテレビ番組「シンボルず」とも志向的に近いものを感じる。ちなみに、タイトルはいうまでもなく『古今和歌集』をもじったもの。
カバーでとりあげられている彫刻は、東京・千鳥ヶ淵に建つ千鳥ヶ淵に建つ「自由の群像」(菊池一雄作)。本文によれば、とある男性の同性愛者向けの雑誌では、読者からこの彫刻を紹介してほしいとのリクエストが掲載されたことがあったという。

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六本木の森美術館で現在開催中の「会田誠展 天才でごめんなさい」が、展示作品の性表現を問題視する団体から抗議を受けたり、写真家のレスリー・キーがギャラリーで男性ヌード写真集を販売したところ「わいせつ図画頒布」として逮捕されたりと、ここしばらく美術をめぐる騒動があいついでいる。そこへ来て、島根県のとある町では、公園に置かれた全裸のダビデ像に対し、町民のあいだで教育上の観点から像の移転やパンツを穿かせるべきなどといった要求があがっているとのニュースが報じられた。

島根での一件は、ネット上では笑い話として片づける向きが目立った。しかし、よくよく考えてみれば、生身の人間が全裸で公園に立っていたら絶対アウトなのに、それが彫刻という芸術作品であればどうして許されるのだろうか? たとえ彫刻でも、リアルに性器が表現されていれば、法律上「わいせつ物」と判断される可能性は十分あるはずだが……。こうした疑問に、大マジメに取り組んだのが、昨年刊行された『股間若衆 男の裸は芸術か』(木下直之著)という本である。

本書は、明治時代以降の日本の裸体芸術、とくに男性裸体彫刻にスポットをあてたものだ。そこでは考察対象として、各地の公共空間(公園、駅前や役所の広場、大通りなど)に建つ男性裸体像が多数とりあげられている。じつはこれらの彫刻には、今回問題となったダビデ像のように性器がはっきりと表現されたものは意外と少ない。たいていの彫刻では、股間は曖昧なふくらみとして表現されているのだ。著者はこうした“様式”を、曖昧模糊ならぬ「曖昧模っ糊り」と命名し、さらに《おそらく、これは長い歳月をかけて、日本の彫刻家が身につけた表現であり、智慧であった》と書いている。

ここから著者は、近代に入り日本に西洋美術の技法が導入されていくなかで、裸体芸術がどんなふうに受け入れられていったのか、その歴史をひもといていく。裸体画や裸体彫刻は、展覧会出品に際して、官憲から風紀を乱すとしてクレームをつけられることも珍しくなく、修正や、最悪の場合は撤去、あるいはほかの作品とは別室で展示し、優待券所持者や美術学生にかぎって公開するという措置もとられたという。

そのなかにあって彫刻家たちは、クレームがつかないような表現を模索することになる。たとえば、下半身を腰布で覆うという方法。これは、西洋画の第一人者である黒田清輝の「裸体婦人像」がある展覧会に出品された際、警察からのクレームを受け、やむをえず絵の下半分を額縁ごと布で覆って展示したという事件をきっかけに、絵画のみならず彫刻にも広まったものだった。あるいは、『旧約聖書』のアダムとイブからヒントを得て、裸体像の股間に木の葉を貼りつけるという手法も現れた。

しかし明治末から大正にかけて、人間のありのままの生き方を尊ぶ自然主義の風潮が若い芸術家たちに広まるなかで、布や木の葉は邪魔者扱いされていく。なかでもフランスの彫刻家ロダンに影響を受けた彫刻家たちは、「自然の前に謙虚であれ」との彼の言葉にしたがい、股間に何もつけない彫刻を手がけた。それでも風俗壊乱のレッテルを貼られないような表現の模索は続く。長崎平和祈念像(この像はさすがにその巨大さ、モニュメントとしての意味合いゆえに腰に布を巻いているが)で知られる北村西望は、「とろける股間」としかいいようのない独特の境地を拓いた。

朝倉文夫もまた男性裸体彫刻を好んで制作したが、北村とは対照的に、しっかりと性器を表現することを生涯貫いた。若くして名声をあげ、日本の彫刻界をリードする存在だった朝倉だけに、警察からたびたび狙い撃ちされている。東京美術学校(現・東京藝大)卒業直後に手がけた男性裸体像「闇」(1908年)が、文部省主催の展覧会出品にあたり、警察からの指示に従い股間表現の修正を余儀なくされたのをはじめ、その9年後の女性裸体像「時の流れ」に対しても展示に際し横槍が入った。このときは、主催者側より別室での展示という妥協案を示されたものの、朝倉は頑なに突っぱね、結局、会場から撤去されるにいたった。

「時の流れ」をめぐっては後日談がある。この彫刻の写真を掲載した新聞が、風俗壊乱を理由に訴えられたものの、結局無罪となったのだ。その根拠の一つとして、判決では「人の注視をうながすようなものは描かれていない」ことがあげられていた。このあたりを境に、「人の注視をうながし、欲情を催させるような表現でなければ、股間を隠す必要はない」といった暗黙の了解が、官憲と芸術家たちのあいだで形成されていったようだ。

さらに大きな変化は、太平洋戦争後に訪れた。裸体彫刻は美術館を飛び出して、先にあげたような公共空間に次々と設置されることになる。その最初の事例は、1950年に東京の上野駅前に建てられた「汀のヴィーナス」とされる(作者は本郷新。のち千葉の谷津遊園に移転)。このことからも、女性裸体彫刻のほうが優勢のように思われるが、意外に男性裸体彫刻も健闘していたらしい。その作品のテーマも、戦後復興であったり、戦没者の鎮魂、あるいは平和への希求であったりとさまざまであった。

本書の考察対象は、男性の同性愛者向けの雑誌にまでおよぶ。興味深いのは、そういった雑誌のなかでは、男性のヌード写真とともに、裸体彫刻もまた大きな位置を占めたということだ。ある雑誌の巻頭では、前出の朝倉文夫の「友」と題する、全裸の青年2人が肩を組み、かつ左手をがっちりと握り合った彫刻の写真が掲載された。朝倉の制作意図はどうあれ、その手の雑誌に載るとまた違った意味を帯びて見える。

この例からは、置かれる場所(雑誌などのメディアも含め)や、あるいは見る側の視点の違いによって、作品の持つ意味は変わってくるということがよくわかる。そればかりか、「芸術」と「わいせつ」はじつはきわめて曖昧模っ糊り……もとい曖昧なものだということもうかがえよう。

ある種のリテラシー能力が必要なのは、文学作品やニュースばかりでなく、美術作品も同じだ。裸体彫刻を見て「いやらしい」と感じるだけというのは、あまりにもったいない。その作品が一体どんなメッセージを発しているのか、さらにはその置かれた環境のなかでどんな意味を帯びているのか、さまざまなことを読み取るためにも、『股間若衆』は最良の手引きとなるはずだ。(近藤正高)