山田隆道の幸せになれる結婚 (18) 姉と従妹の生き方から考えた「女の幸せとは何か?」

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僕には37歳の姉と30歳の妹がいる。

現在まで二人そろって未婚・独身であり、さらになんの因果か、幼いころから音楽を志し、今も音楽の道で生きているというところまで一緒である。

姉の専攻はピアノ、妹の専攻は声楽だ。

また、僕には30歳の従妹(父の妹の娘)もいる。

彼女は姉や妹と違って、幼いころから志していたものが特になく、20代前半で早々と結婚し、現在の夫との間に一男一女をもうけている。

もちろん従妹は従妹なりに色々な問題を抱えているのだろうが、それでも傍らから見たら幸せな家庭だと思う。

家族4人が、みんな元気に日々を過ごしているのだ。

ところが、そんな従妹は音楽の道に生きる姉と妹のことが羨ましいという。

「いいなあ、二人とも夢とかやりたいこととかがちゃんとあって。

私なんかそういうのがなにもなかったから、平凡に結婚して、平凡な主婦になるしかなかった。

毎日、子育てしかやっていない私に比べたら、音楽を頑張っている二人は本当にすごい」要するに、従妹は主婦である自分に劣等感を抱いているのだ。

彼女にしてみれば、子供のころから夢を抱き、大人になった今もその夢を追い求めている女性が輝いて見えるのだろう。

自分を平凡な主婦だと自認すればするほど、陥りがちな心理なのかもしれない。

一方、そんな従妹に対して異を唱えるのは、ピアノ教室を主宰する姉である。

「なにを言ってるの? 子供を育てていることのほうが、はるかにすごいと思うよ。

私からしたら、旦那と二人で幸せな家庭を築いていることが羨ましい」要するに、姉は姉で37歳にして未婚・独身という自分のことを気にしており、結婚・出産・子育てを早々に実現している従妹に対して一種の羨望を抱いているのだ。

そして、この羨望は、従妹が一生懸命子育てをしていることに対する尊敬の念にもつながっており、ことあるごとに「人の命を生み、それを育むこと」の価値を従妹に訴えている。

こういう話を聞くと、男性の僕は「女の幸せ」というものを深く考えさせられる。

男性と違って、女性には出産・育児と、それに付随する母親としての使命感のようなものが少なからずあり、たとえそうではなく、仕事などに精を出す人生を送ったとしても、女性は出産・育児という役割を完全に頭から消し去ることはできないのだろう。

いくら女性の社会進出が進み、それによって女性の晩婚化が著しくなった現代社会とはいえ、女性としての本能的な役割までもが、それに応じて大きく変貌するわけではない。

昔に比べて30代独身・子無しのキャリアウーマンが珍しくなくなった一方で、高齢出産のリスクに関しては、いまだ高い部分もある。

結婚は個人の意思で遅らせられるが、出産は個人の意思だけではどうにもコントロールしにくいのである。

そう考えると、女性のほうが男性よりも一般的に精神年齢が高いとされていることに関しても、僕はおおいに納得してしまう。

そもそも女性の人生には、年代ごとに「真剣に考えざるをえないこと」や「どうしても受け止めざるをえない厳しい現実」といった、女性であるがための難題を考えさせられた経験が、男性に比べて圧倒的に多いのだ。

振り返ってみれば、小学校の高学年のころからそうだった。

ある日の授業で、いきなり担任の先生がクラスの女子たちだけを教室に残し、男子は校庭で自由に遊んで良いという指令を下したことがあった。

その時間、おそらくクラスの女子たちは、女性として生まれたことに伴う現実を知らされ、それを受け入れるという、大きく貴重な人生経験を積んだのだろう。

一方そのころ、男子は校庭でなにをしていたのかというと、答えは呑気にドッジボールである。