昨年12月15日、釜石の高校生たちが行った「キャンドルナイト」の準備光景。

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■ビリで過ごすか、安全地帯でいくか

進学校の釜石高校に通う奥村乃絵さんは1年生。だが、すでに志望校の名が挙がった。奥村さん、釜高は早目に大学を決めよというプレッシャーがあるのですか。

「1年生は、大きな壁が2年生になるときの文理選択って言われてます。そのときには、もう大学探しとけよみたいに言われるんです」

釜高は授業が厳しいのですか。

「とっても厳しいです。1年から補習とかけっこうあります」

釜高の良いところも教えてください。

「良い生活習慣が身につくということと、学習意欲が向上するということですね。苦労せずに生きられることは決してないと思っているので……。社会性なども鍛えられて、すごく良い環境だと思っています」

奥村さんは文系理系、どちらを考えていますか。

「文です。英語をやりたいから。先生との二者面談のときに『英語をやりたい』って言ったら、すぐ『文系だな』って言われました」

それは奥村さんからすると「え、そうなの?」ということですか。

「実は、英語よりも数学のほうが成績が良くて、1回、理数科に誘われたんですけど、理数科って人数が学年の1割くらいで。でも『英語をやりたい』って言ったから文系なのかなと思ったんですけど……」

同校ウエブサイトで「特に理系に興味を持ち、理学部・薬学部をはじめとする理系学部への進学を目指す生徒のための学科」と定義されている釜石高校の「理数科」は1969(昭和44)年に旧釜石南高に設置され、岩手県内の高校では4高しかない科だ。1年次は普通科と同じカリキュラムだが、2年進級時に本人の適性と進路に基づいて選択され、実験や施設見学も含めて理科と数学に重点を置いたカリキュラムが行われる。2012(平成24)年の同校進路実績を見ると、理数科からは17名が国公立大学に進学している(普通科文系からは28名、同理系からは18名)。

釜石の高校統合によって、生徒たちは大変な状況下にある——これは釜石の別の場所で聞いた話だ。釜石高校は「再統合」されて今のかたちになった。源流は1914(大正3)年設立の町立釜石女子職業補習学校(のち釜石二高)、1926(大正15)年設立の私立釜石青年夜間学校(のち釜石一高夜間部)、1940(昭和15)年設立の旧制釜石中学校(のち釜石一高)。1949(昭和24)年、ここに旧釜石商高を加えた3校が統合され釜石高が開校する。14年後の1963(昭和38)年に釜石高は釜石南校に改称、同時に釜石北高が開校する。この年、釜石市の人口は9万2123人とピークを迎えていた。

その後、釜石の人口は減り続け、2008(平成20)年に南高と北高が統合され、現在の釜石高となる。45年間の間に「本家」南高と「分家」北高の学力差には開きが生じ、統合したことで、釜石を代表する進学校だった旧南高時代の学力は「希釈」された。「だから南高時代の偏差値に戻そうと、釜高の先生は必死」なのだという。

釜石高校のウエブサイト内「進路情報」のページには「祝 大学合格(平成24年度) (一部)」とタイトルを付けて、垂れ幕型のデザインで北大、東北大、秋田大、岩手大の合格学部名が誇らしげに16本掲げられている。「平成23年度進路決定情報」の一覧PDFが置かれているだけの釜石商工高とはずいぶんと趣が異なる。同年の釜石高校卒業生177名のうち、国公立大合格者は63名(岩手大15名、弘前大6名、秋田大3名、東北大2名、山形大2名、福島大1名、北大4名)。私立大合格者は119名(筆頭は東北学院大と日大の10名)。就職者数は9名(公務員1名含む)だ。

両校の併願はできないと聞いた。では、中学校を卒業するときに、「商工は絶対受かる。けれど釜高に挑戦することもできるかも」という人はどうするのかと訊くと、6人の高校生はつぎつぎにこう話した。

「わたし、それです。きつかったです、もう。最後の最後まで悩みました。釜石高校に行ってビリで過ごすか、それとも釜石商工にして、安全地帯でいくか」「俺もそうだった」「うちもそうだった」「釜高行けるじゃんっていう頭いい子でも、考え方で商工来て1位取ってる子とかけっこういますよ」「昔は北高が真ん中らへんの高校だったんだけど」。

釜石高校の偏差値は普通科、理数科ともに52。釜石商工は全学科40。北高がなくなったことによって、釜石には「真ん中らへん」の選択がなくなった。受験時の学力がその中間に位置する中学生たちにとっては、これは大きな問題だ。

こちらには、被災地東北における高等教育機関の選択肢(バリエイション)の少なさが頭にあり、取材時に高校生たちに「進学するとき、東北を出るか、否か」という問いを繰り返してきたわけだが、釜石の中学生は、それより手前の高校進学の時点で、よりシビアな選択を迫られている。そしてそれは、人口が減っていくこの国のあちこちで、これから起きる問題でもある。高校の現状においても、釜石は日本の先行指標なのだ。

次に登場するのは、奥村さんと同じ釜石高1年生。彼は家の仕事を継ぐと話してくれた。

■「継いだほうが楽しそうだなと思って」

連載第1回目《http://president.jp/articles/-/7907?page=2》で、「TOMODACHIサマー2012 ソフトバンク・リーダーシップ・プログラム」参加者に向けられた孫正義のビデオメッセージのことを書いた。「参加者の皆さんは、それぞれ違う夢を持っていると思います。『起業家になりたい』という人もいるかもしれません。『パン屋さんになりたい』という人もいるかもしれません」——そして、実際にそう答える高校生に釜石で会った。岩手県立釜石高等学校1年生の澤口莞平(さわぐち・かんぺい)さんだ。

「パン屋さんになりたいです。家がパン屋なんで」

同席した女子たちが次々に話す。「沢口製パン、釜石のパンです」「給食も沢口製パンだよね」「うん、あのコッペパン」

みなさん澤口さんの家に詳しい。つまり家を継ぐということですね。

「はい。長男です。下に妹がひとり」

お父さの代からパン屋さんですか。

「いや、じいちゃんか、ひいじいちゃんとか、そのあたり。もともと家はお菓子屋だったらしくて、じいちゃんぐらいのときから、パンをつくるようになったみたいです」

澤口さんには「きっかけは?」と訊くよりも、こう訊いたほうがよいかと思います。自分自身の中では、パン屋さんを継ぐということを疑問に思ったり、浮気しようと思ったことはありませんか。

「なんかほかのことやろうとしても、すぐ飽きるっていうか、やりたいと思わないから、家でそのまま継いだ方が楽しそうだなと思って」

親御さんとのあいだで「沢口製パンを継ぐ」という意思確認はすでにしているんですか。

「いや、ないです。なんか『好きにしていいよ』ってかんじです」

でも継ぎたい、と。パン屋さんという仕事のいいところはどこですか。

「もともと両石(りょういし)に会社があったんですけど、両石町内のおばさんとかが働きに来ていて、一緒に仕事をやっていて。ちっちゃい時からいつも工場でおばちゃんたちと話をしてたんですけど、そういう楽しいかんじで仕事できるパン屋っていいなって思ってました」

両石はJR山田線(現在も不通)で釜石駅からひと駅北の集落だ。津波は谷間に沿って20メートル近い高さまで遡上し、集落を呑み込んでいる。澤口さんによると、震災前の沢口製パンでは「父、母、祖母。従業員2人、パート5人」が働いていたという。沢口製パンは今はどのような状態なんですか。

「津波で流されて、工場は建ったんですけど、まだ機械が入ってなくて、仕事はまだやってないです。来年(注・2013[平成25]年)に機械を動かし始めるって言ってました」

津波はパン工場だけでなく、澤口さんの自宅も呑み込んでいる。現在、澤口さんは仮設住宅暮らし。工場が再開すれば、そこは澤口さんの将来の職場となるわけだが、澤口さん、パン屋さんになるには、どんな免許が要るんですか。

「製菓衛生師とか。大学とか行ってすぐパン屋になるのもいいですけど、なんかちょっと自分でやりたいことを見つけて、でも最終的にはパン屋、みたいなのもいいかなと。でもなんか、特に何をやりたいか決めてないですけど(笑)」

製菓衛生師は国家資格。「厚生労働大臣の指定する製菓衛生師養成施設において1年以上製菓衛生師としての必要な知識、技能を修得した者」もしくは「中学校卒業以上で、食品衛生法第51条の規定による製菓製造業施設において菓子製造業に2年以上従事した者」が受験資格を持つ。澤口さん、お父さんはおじいさんのあとをストレートに継いだのですか。

「ストレートです。高校のあとに、経済だか商業系の専門学校に入って、そっちの仕事をそのまましようとかとも思っていたらしいんですけど、ちょうどそのときにじいちゃんが病気になって、すぐ帰って来なきゃいけなくなって、そのまますぐ継いだと言っていました」

そういう経験をしたお父さんだから、澤口さんには「好きにしていいよ」と言ってくれているのでしょうか。

「はい」

澤口さんが「寄り道」をするとしたら、釜石から出ますか。

(明日に続く)

(文=オンライン編集部・石井伸介)