ERA135というHNの方がコメントを寄せられて、大野豊がひとしきり話題になった。私は年がら年中野球選手のデータをいじっているので「結構あったんじゃなかったか」と思っていた。調べてみることにした。

シーズン防御率が100を超えた投手。その終身成績も上げた。

ERA-100


中京商業、名商大、日本コロムビアを経て67年ドラフト4位でサンケイに入団した高井諭が最初。高井はこの登板以外に1軍公式記録がないため、これが生涯記録になった。

岡村佳典は浜田高校から66年ドラフト1位で西鉄に入団。この投手は4年1軍で投げたが未勝利のまま引退。

そして大野豊。前2人の例に倣えば、大野の前途も真っ暗というところだったが、ここから挽回して殿堂入り投手になったのだ。

83年の石本は80年のドラ1だったが4年間鳴かず飛ばず。85年にクローザーになって開花した。「ピッチャー石本」ははやり言葉になった。

78年ドラフト2位の工藤幹夫は、82年に最多勝(20勝)をとったが2年後にこの成績。投手はこの年限りで断念し、野手に転向した。酷使がたたったと言われる。

平田洋は、93年ドラ1。翌年1試合を投げただけ。鳴かず飛ばずに終わった。

平本学は2000年ドラ1。2004年には11試合に登板したが勝ち星は上げられなかった。

小川裕介は、2001年自由獲得枠。この投手は1年目3回を投げて0勝0敗6.00、2年目2試合を投げたが1死しかとれなかった。

現役の小松聖は2006年希望枠。1年おきに好不調を繰り返すが、2011年は2010年5勝をあげた翌年だった。ただ1勝-15勝-1勝-5勝-0勝(135.00)-3勝と好調年の数字が下がってきている。

こうしてみると、大野豊をのぞくほとんどすべてのERA100投手が、エリートであることが分かる。そして84年の工藤を除き、力量不足なのに無理をして1軍に上げて手痛い失敗をするというパターンが多い。

ERA100は、投手のキャリアにとって小さくないインパクトを与えるようだ。1軍で投げさせてもらえなくなる投手が多い。ここから這い上がった大野は偉大だと言えよう。

ERA135.00はNPB記録だ。1死を取る間に6点以上失った投手はいない。しかしNPBには、1死も取れなかった投手もたくさんいる。これも稿を改めて紹介しよう。