わらべ歌「とおりゃんせ」の故郷って埼玉県の川越だったの?

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わらべ歌「とおりゃんせ」といえば誰でもきっと耳にしたことはあるはず。

ちょっと不思議な歌詞ともの寂しいメロディーから、成り立ちに関して様々な都市伝説があるけれど、その故郷として有力視されているのが埼玉県の川越だ。

川越といえば小江戸、蔵造りの町並みとして有名だけれど、今回は「とおりゃんせ」を巡る、川越歴史物語を追いに行ってきた。

川越は、埼玉県随一の観光地として人気の地。

休日ともなれば大勢の人がやってくるという。

中には外国人観光客もいるのだとか。

川越駅(東武東上線)、川越市駅(東武東上線)、本川越駅(西武新宿線)などと似た名前の駅が多いことからも分かる通り、面積が広く、見どころもたくさんだ。

というのも、かつてこの地は扇谷上杉(おうぎがやつうえすぎ)氏の本拠地であったため、今でも河越城(近世以降は「川越城」と表記)と関係が深かった名所の跡地が多く存在するのだ。

河越城はかの太田道真、道灌父子によって築かれたが、江戸時代に入ると酒井重忠の所領となる。

以降、川越藩は江戸幕府の親藩、譜代の有力大名が藩主となった。

とおりゃんせは、この河越城と密接な関係があるとされている。

そのゆえんはこうだ。

寛永元年(1624)、市内にあった三芳野(みよしの)神社を時の城主・酒井忠勝が川越城内に再建したため、一般庶民が気軽にお参りすることができなくなった。

しかし、信仰心の厚い市民のために、年に一度の大祭と七五三のお祝い時のみ、お参りすることが許された。

ただし、スパイの城郭内侵入を防ぐためにも見張りが厳しく、参拝した帰りには人々は厳しく取り調べられたという。

その城内の見張り番と、七五三のお祝いに訪れた親との問答が歌われたのが「とおりゃんせ」と言われている。

だから、歌詞の中で“この子の七つのお祝いに、お札を納めにまいります”と言いつつも、帰り道に出くわす見張り番が怖いため、“行きはよいよい帰りは怖い”とおびえているわけだ。

なんてことを思いつつ、まず向かったのは「川越城本丸御殿」。

明治維新以降に解体され、今は一部しか残っていないが(敷地面積はかつての8分の1、建坪は6分の1)、立派な大唐破風などが見られる。

最盛期には17万石を誇り、幕府の要職につく大名が城主を勤めた威光を感じることができるだろう。

家老詰め所も見ることができ、川越の歴史を知るには十分なスポットだ。

入館料がたったの100円というのも、ふらっと散歩がてら立ち寄るにはうれしい。

その本丸御殿を出てすぐ目の前に、お目当ての三芳野神社はあった。

敷地内には“わらべ唄発祥”石碑もある。

本丸御殿から行くとちょうど神社の横手に着くような配置なので、歌に歌われたらしい参道は境内の向こう側となる。

さて、早速行ってみたところ、思ったよりも明るい雰囲気。

長い石段があるでもなく、“帰りは怖い”のイメージとは合わない。

よっぽど城の見張り番が怖かったのか? もしくは、江戸時代とは参道の趣が少々違うようなので、当時は昼間でも暗く恐ろしかったのかも?参道の両脇は公園となっていて、現代的な遊具が設置されている。

地元の子供たちの遊ぶ姿に、なんともほのぼのとさせられた。

もう少し暖かければ境内でお弁当でも食べたいところだ。

●information三芳野神社川越市郭町2-25-11その後は再び、江戸時代のセットの中に迷い込んだような蔵造りの建物が並ぶ通りへ。

黒壁の蔵も木造りの民家も風情があり、この辺りの路地でわらべたちが「とおりゃんせ」を口ずさんだのだろうか、などと妄想するのにうってつけの場所だ。

やがてどこからか時を告げる鐘の音。

それは寛永4年〜11年(1627〜1634年)に川越城主の酒井忠勝が城下多賀町(今の幸町)に建てたのが最初と言われる鐘楼によるもので、現在のものは明治に再建されている。

今も1日に4回(午前6時、正午、午後3時、午後6時)、時を告げる。

わらべたちもきっとこの鐘の音を聞き、家路へと急いだことだろう。

小江戸の街で名物のいも菓子を食べたり、かわいい和雑貨を買ったりして遊ぶのもいいけれど、たまには川越ゆかりとされるわらべ歌のルーツをたどりながら、往時をあれこれ思い描くのも楽しいものだ。