職場に潜む落とし穴

写真拡大

■人格を破壊する“カラオケリスク”

「歌わないの? 遠慮しないで。ハウンド・ドッグの『ff』とかどう」

誰かれかまわず部下をカラオケに誘って、こんな命令をしていませんか? もし、していたら大変危険ですので、やめてください。

忘年会などで一杯飲んで職場の人間とパーッとひと騒ぎ。まま、それはいいでしょう。しかし、心療内科で多くのウツとウツもどきの若い患者たちのカウンセリングをしている私に言わせれば、カラオケは人格を破壊してしまうリスクをはらみます。

「私、カラオケ、苦手なんです」ときっぱり宣言できればいいですが、職場の関係から曖昧な態度しかとれず、しつこく「歌え歌え」と迫られると、そこにいるのさえしんどくなる。

実は、カラオケボックスの狭い個室ではみな無意識に演技をしています。必死にノリのよさを演じるのです。大音量と輝く光の助けも借りて、明るく、ポジティブなキャラを貫き通す。いい年をして、「AKB48よりモー娘。だろ」などとバカ騒ぎ。あるいは、それは現実逃避かもしれません。しかし懸念するのは、とても歌う気分ではないメランコリックな心境であっても、空気が読めないのは人間失格とばかりに場になじもうと頑張ってしまう人が多いことです。本当の自分を封印して、ノリノリ。その乖離が大きいと心は激しく葛藤し、疲弊します。カラオケのような「陽」の空間でのポジティブ・シンキングは心を強くするのではなく、ストレスは増します。

メンタル的な疾患にかかっていなくても、人の気分というものは1日の中でも天気のように変わるものです。元気ハツラツのとき、安らいでリラックスしているとき、ブルーに沈んでいるとき……さまざまです。そこで大事なのは、その時々の気分に同調すること。調子がよくない、気分がすぐれない。そんな日は、無理に元気に振る舞わない。空回りして、妙に周囲から浮いてしまわないように。

何か心に傷を負ったようなケースなら、なおさらです。その傷を少しでも短い時間で癒やしたいとカラオケに行くなどもってのほか。そんなときは、じっくりとその悲しさや辛い感情を深く掘り下げることを患者にすすめることもあります。名付けて、あえて自ら傷に粗塩を塗り込む、塩塗療法。いわば、「攻めのネガティブ・シンキング」です。

元気がない部下がいると、とかく上司は得意の「飲んで歌って」コースに持ちこもうとします。でも、慣れないカラオケボックスという環境になじまねばと部下にかえって負荷がかかることも少なくない。そのため、曲の合間などに上司がつぶやいた、とっておきのアドバイスも心遣いも、相手の胸には届かない。また、部下に本音を吐露させる目論見も果たせないまま、ただの飲み会となるのです。

これは学校生活で言えば、放課後にいつもの教室で担任の先生に言われたことは鮮明に覚えていても、職員室に呼び出されて学年主任に言われた内容は記憶にないといったことと一緒。部下への自分の語りに自信がないから、上司は安易に「場」を変えようとしがちです。

けれど、いつもの仕事場で、部下の隣に座って静かに「自分はこんなにダメな人間」といった自虐ネタなどを披露するほうが、結果的には「心に染みる話」ができるものなのです。上司の命令が滅茶苦茶でも、なにも考えずに従うだけで済んだ時代は終わりました。いまや社会には草食系が増殖。わけもなく深く考えようとする迷える羊はすぐに心が折れるのです。

----------

臨床心理士、心理学者 
植木理恵
1975年、大分県生まれ。日本教育心理学会「城戸奨励賞」「優秀論文賞」受賞。著書に『本当にわかる心理学』『ウツになりたいという病』など多数。

----------

(臨床心理士、心理学者 植木理恵 構成=大塚常好 撮影=奥谷 仁)