JR釜石駅前。正面に新日本製鐵の施設が並ぶ。

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■ 「帰ってきてから、地元が好きになりました」

釜石商工高2年生の浦島志奈さん。なりたいものは「お金持ち」。大きな会社に入って、エースとして働きたい。大きな会社に入ったとします。浦島さんはそこでどういう仕事がしたいのでしょうか。

「日本と海外を行ったり来たりしたいです。お金持ちになるためのステップとして、高校を出たら学校入って、留学して、日本に来て就職して、働いて、どんどん良くなってくというかんじです」

学校、どこに行きますか。

「基本、地元にいたくない人だから、海外に行きたいっていうのは中学校のときからあって。高校生になるときから釜石を出てどっか行きたいみたいな。夢が具体的じゃないから、どこに進んでいいかわからないんですけど。3年生になったら、先生と進路の話をして、四年制か短大か専門学校か選ぶんですけど……今、直感的に行きたいのが四年制大学」

昨11月の取材から2カ月後に確認すると「学校はまだぜんぜん見つけていません。やはり、行きたいのは四年制です。お金の問題が大きくて本当に悩んでいるところです。でも、たぶん行くって決めたら、そのためには何かするほうなので、奨学金の手配をして、すぐ働くとこを探して。行って、途中でやめることは絶対ないです。親が、うちのこと野放し状態なんで、『行くときは自分で何とかしてね』みたいなかんじですね」という返事が届いている。浦島さん、業種のイメージはありますか。

「つくるほうじゃないと思います」

メーカーではない。となると、金融関係とか商社ですかね。

「えー……そこはわかんないですね、まだ。イベントとか、その会社に関係なくても、その会社を使って自分がイベントを企画するみたいな。わかりやすく言えば、堀田さん(笑)」

この連載取材にすべて同席してくれたソフトバンク復興支援室の堀田真代さんのことだ(急いで付け足すが、彼女が大金持ちというわけではない)。堀田さんは「TOMODACHIサマー2012 ソフトバンク・リーダーシップ・プログラム」の運営実務担当者として立ち上げからすべてに携わり、現地にも同行した。帰国後も何度も東北を訪れ、高校生たちの支援を続けている。「TOMODACHI〜」に参加した女子たちの間で堀田さんの人気は高い(これも急いで付け足すが、男子の間で人気が低いという意味ではない)。2004(平成16)年にカリフォルニア大学サンタバーバラ校を卒業しソフトバンク入社。事業計画作成・投資・会社設立・売却・清算・新規事業の立ち上げなどを担当、2006(平成18)年のボーダフォン買収時の実務担当者だ。

ここで彼女のことを書くのは、「TOMODACHI〜」に参加した東北の女子高校生たちの多くにとって、堀田さんは初めて出合った「国際的に働くキャリア女性」であり、高校生たちの間に「世の中には、こういう仕事もあるのだ」と気づかせたロール・モデルだからだ。先述のB to B 企業だけでなく、高校生たちの前に提示されている「仕事の種類」は、じつは少ない。だからこそ、職業人との出合いは、高校生たちには貴重な体験となる。

浦島さん、進路を考えようとするとき、周囲の大人は役に立っていますか。

「先生たち『進路決めろ』って言ってるくせに、そこまで"行く"方法は教えてくれないから、うちらもすぐ決まんないし、そんなのわかんないじゃないですか、行かないと。行きたい学校の情報をくれるのは、先生でもなく、親でもなく、そこの評判とかを検索して見て、あとは先輩とかに進学するための話とか、行って良かったか悪かったとかを聞いて。情報は基本、自分で探す。親は自分の行きたいほうに行かせてくれるから、邪魔にもなってないし。先生は、商工の中で進学したいって言ってるうちらを結構押してくれてて、うちらけっこう、商工生的にはいいこといっぱいやってるんですよ。部活も商工の看板競技なんで、校長先生や副校長先生からも、たぶん推してもらえるし、担任にも可愛がってもらってるんで、そこは大丈夫です。だから学校に入るのにいちばん邪魔になるのは、自分の学力(笑)」

合州国の3週間、面白かったですか。

「自分が海外に行きたいという思いも強くなったし、やっぱり英語が大事って思ったのと、あと田舎くさい考えが、ちょっとどっかいきましたね(笑)。釜石って狭いし、釜石市内で遊べば、必ず誰かかれかに会うのが嫌だから、もう高校のうちから地元出て……って思ってたんだけど、アメリカ行ったら、だれの話を聞いても『つながりは大事だよ』みたいなことを言われて、帰ってきてから、地元が好きになりました」

いつかは釜石に帰って来たいですか。

「仕事してるうちは帰ってこないと思います。妹2人いて、わたし長女なんですけど、いちばん下の妹がたぶん親の介護してくれると思うんで。たぶん家の中でわたしがいちばん介護できないと思うから——みたいな話になってて(笑)。金銭的な部分はいっぱい援助するつもりなんですけど、面倒見るのは……親が死ぬ時ぐらいしか帰んないのかなと思います。妹たちが面倒見れなくて帰って来てほしいって言うのであれば、むしろ自分の方に呼んで住ませる状況にします、たぶん。そのときわたし東京にいるかどうかわかんないですけど。でも東京だとちょっと地震怖いんで、安全なとこで」

浦島さんに最初に登場してもらったのは、このあと彼女が他のメンバーの取材の中に何度も登場するからだ。この日の取材を回してくれたのは彼女の「突っ込み力」だった。次に登場するのは、浦島さんが「チッコ」と呼ぶ同じ釜石商工(そして同じ薙刀部)の友だちだ。

■技術と人脈

浦島さんの「お金持ち」と同じように、釜石で初めて聞く「将来の志望」があった。服をつくる系に行きたい——そう話してくれたのは、浦島さんと同じ釜石商工高等学校2年生(総合情報科)の猪又千穂(いのまた・ちほ)さんだ。

「とりあえず目立つことがやりたくて、その選択肢のひとつとして今、考えているのが、服を作る系です。子どもからお婆ちゃんの普段着まで、 何でもやりたいですね。かっちりしたものも、舞台衣装とかもつくりたいです」

猪又さんはお洒落さんですか。

「好きではあります(笑)」

ここで浦島さんをはじめとする他の女子メンバーからつぎつぎと「突っ込み」が入った。「チッコ、こだわりあると思いますよ」「なんかその日のテーマを決めてるのと、あと、これが着たいと思ったら、ぜったいその服着ないと気ぃ済まないし」「そうだね、そうだね」「あと、目当ての物が出るまでは、似たやつもあんまり買わない」——猪又さんが笑いながら言う。「なんでそんなに知ってるのかな?!」

しょうがないから手を打つか——という服の買い方、着方はしない、と。

「ないです」

いつ頃から、そうういう自分を自覚しましたか。

「たぶんもともと親がお洒落っていうか、好きで、子どものころから」

再び周囲から突っ込み。「お父さんの方がお洒落なんじゃない?」「うん、チッコのお父さんはお洒落だと思った」。猪又さんが返す。「でも、お父さんに服選んでもらったことないよ」。こちらも会話に参加する。皆さん、なんで人の家のお父さんがお洒落だという情報まで持ってるの? 「なんか、ハットとか被ってるし」「でもチッコのお父さん、もう定年だよね」「こないだお父さんに会って、定年だよとか言われて」。猪又さんによればお父さんは「ついこの間までロン毛で、カウボーイハットにポニーテイル」というお洒落さんだ。釜石出身のお父さんの仕事は「もともとは長距離トラックの運転手なんですけど、ちょっと膝を悪くしてから、今は構内だけってかんじ」とのこと。

猪又さん、服をつくることを仕事にしたいなと思ったきっかけは何ですか。

「服を買いたくてお店に行っても、結局好きなのがないから、じゃ自分でつくりたいな——みたいなかんじです」

それを仕事にしてみたいと思ったのはなぜでしょう。

「なんだろう……自分がほしいと思うものに自信を持っているというか。『絶対これはいいものだ』と言えると思うから、それを周りの人にも着てほしいというか、そんなかんじですね」

服をつくる仕事に就くには、何を手に入れる必要があると思いますか。

「技術と人脈」

学校歴よりも、そのほうがウエイトが大きい?

「でも学校には行きます。最終的には技術と人脈を持ってることが重要だけれど、とりあえず就職を考えると、学校の名前というのは需要かなってかんじです」

具体的な学校の名前は頭にありますか。

「今、とりあえず行きたいのが、文化です」

文化服装学院——山本耀司、高田賢三、コシノヒロコ・ジュンコ姉妹、津森千里、NIGOといった著名デザイナーの母校としても知られるが、製造から流通まで、広くファッション業界に30万人の卒業生を送り出している日本有数の専門学校だ。服飾、ファッション工科、ファッション流通、ファッション工芸と4つの専門課程を持つ。創設は1919(大正8)年。東京・新宿西口にある地上20階の巨大校舎群で約3500人の学生たちが学んでいる。初年度の学費は約140万円(四年制)だ。

お金もかかりますし、競争も厳しい世界だと思いますが。

「なんか今まで生きてきた中で、わりと叶わなかったことがないみたいな。だから大丈夫かなみたいな(笑)かんじです。経済的には、親が、進むならぜんぶ出すからと言ってくれてるんで」

そうすると、仕事に就くためにいよいよ大事なことは、最初に話してくれた「技術と人脈」になりますね。これはどうやって獲得しますか。

(明日に続く)

(文=オンライン編集部・石井伸介)