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前回までの記事で取り上げた20世紀初頭の建築家、アドルフ・ロース。彼の「装飾は罪悪である」という過激な主張を経て、建築におけるモダニズムは「時代にふさわしい装飾を求める方向」から「装飾を余計なものとして排除する方向」へと大きく変化していきました。では、そもそもモダニズムとはどのようにして始まったのでしょうか。

 

その起源は、ウィリアム・モリス(1834〜96)がイギリスで起こした「アーツアンドクラフツ運動」である、というのが通説になっています。アーツアンドクラフツ運動はイギリスに留まらず西欧の他の国々、北欧やロシア、さらにアメリカや日本にまで広く浸透し、各国のデザインに影響を与えました。モリスの活動が土台となって、フランスにはアール・ヌーヴォー、ドイツにはユーゲントシュティールやドイツ工作連盟、日本では柳宗悦を中心とする民芸運動が生まれました。

しかし、イギリスでの運動が全く同じように海外でも展開されたわけではありません。それぞれの国の抱えた課題、さらに人々の感性や価値観の違いなどによって、運動の理念や、そこで創られるデザインの性質は変化していきました。



 

特に、日本の民芸運動の主導者である柳宗悦は「ウィリアム・モリスは偉大な先駆者でありその信念には大きな共感を覚えるが、彼の創ったものは少しも美しくない」と述べています。「何を美しいと感じるのか」という点で、両者の間にはほとんど正反対と言ってもよいほどの違いが見られるのです。

「もう一歩深く知るデザインのはなし」では今後数回にわたって、イギリスで起こった「アーツアンドクラフツ運動」と、その影響を受けながらもかなり違った展開を見せた日本の「民芸運動」について、その根本思想を比べながら、それぞれが「美」というものをどのように捉えていたのかを考えてみたいと思います。

 

アーツアンドクラフツとは

産業革命によって急速に工業化が進んだ19世紀のイギリス社会には、画一的な大量生産によって生み出された、粗悪で悪趣味な日用品が溢れていました。また機械導入による労働の分業は、人々から仕事の喜びややりがいを奪い、彼らの生活を破壊しました。

ウィリアム・モリスはこの状況を憂い、「労働の喜びが生きていた中世の社会にならって、伝統的な職人芸を見直し、芸術的な手仕事による美しい日用品や生活空間をデザインし供給することで、人々の生活の質を向上させる」という大きな理想を抱いて「アーツアンドクラフツ運動」を起こしたのです。

 



画像左:モリスの新婚当時の家で、友人たちとともに内装を手がけたことが「モリス・マーシャル・フォークナー商会」設立のきっかけとなった「レッド・ハウス」(フィリップ・ウェッブ設計) ©Tony Hisgett

画像右:モリス・マーシャル・フォークナー商会の重要なメンバーであった、建築家フィリップ・ウェッブがデザインしたグラス


 

彼はデザイナーとして、美しく芸術的な室内装飾のためのデザインを数多く残しました。その中でも特に有名なのは、壁紙やテキスタイルの、繊細で生命力を感じさせる図案の数々でしょう。また彼は他にも、室内装飾や日用品のデザインを手がける会社の経営者として、家具、食器、壁面装飾用のタイルやステンドグラス、本の装丁、フォントなど、非常に多岐にわたる分野のデザインに携わったのでした。



 



画像左から:

モリス・マーシャル・フォークナー商会のメンバー、D・G・ロセッティ作のステンドグラス/室内の壁面装飾用タイル/『ゴシックの本質』(ジョン・ラスキン著)の装丁/刺繍を施したクッションカバー「フラワーポット」の一部。ロセッティのステンドグラスを除きモリスのデザイン。




次回は、アーツアンドクラフツ運動の理念の土台を作った、ジョン・ラスキンという人物の思想について紹介します。そしてそこから、アーツアンドクラフツの理想である「生活と芸術の一体化」ということについて探ってみたいと思います。