釜石で会った6人の高校生。

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■ 最初に近代が終わった町

大人ならば日本中のだれもが釜石について何かを知っているだろう。製鉄の町として、1985(昭和60)年に日本選手権7連覇を達成した新日鐵釜石ラグビー部の町として、そして1989(平成元)年に高炉の火が消えた町として。

《釜石は山と海にかこまれた地である。その山にあった鉄鉱石と森林と水、そして原材料の搬出を行う港の存在という地の利、これに加えて本文で取り上げた多くの人々の出会いによって、『鐵都(てつのまち)』釜石ができた》(『鐵都釜石の物語』小野崎敏/新樹社/2007年刊)

釜石は東北で最初に鉄道が敷設された地でもある。1857(安政4)年、長崎留学から帰った南部藩の医師の息子・大島高任(たかとう)が日本最初の洋式高炉を釜石に築造する。1880(明治13)年、製鉄所用の鉄道が運行を開始。製鉄所は官営から民営へと移り、1896(明治29)年と1933(昭和8)年の三陸大津波、1945(昭和20)年の二度にわたる合衆国海軍の艦砲射撃という「4度の壊滅」を体験した。1970(昭和45)年には富士・八幡の合併で「新日本製鐵釜石製鉄所」となる。100年近くにわたって最先端の製鉄技術と、それを動かす人々が全国からやってきてこの町に暮らした。釜石は東北でいちばん最初に「近代」がやってきて、いちばん最初にそれが終わった町だ。では「終わった」あとは、どうすればいいのだろう。

そのことを考える『希望学』という全四巻の本がある。東京大学社会科学研究所(東大社研)と同研究所教授の玄田有史(労働経済学)、中村尚史(日本経済史・経営史)が編者となって刊行された社会科学の研究書だ。2009年に刊行された『希望学[2]希望の再生——釜石の歴史と産業が語るもの』と『希望学[3]希望をつなぐ——釜石からみた地域社会の未来』は、その副題にあるとおり、ここ釜石市を研究の対象としている。学者たちは「古い歴史を持つ工業地域」で、かつ「中小規模の都市」という条件ゆえに「釜石市は我々の調査対象地域として最適であった」と、この地での研究を始めている。(『希望学[2]』p.3)。

この連載取材のために同書を読み返し、わずか5年の間に、釜石にさらなる変化が起きていることに気づいた。

《かつては、まぎれもなく地方の希望の星であった釜石。現在、経済に最盛期の勢いはなく、人口もピーク時から半減した。そんな地域から希望はもはや失われているのではないかと思われることすらある。今回、希望学では、釜石市内四高校の同窓会に多大なご協力をいただき、全国でも珍しい同一地域出身者のこれまでの体験や生活を詳しくたずねたアンケート調査を実施した》(『希望学[3]、p.277)

アンケートは2007(平成19)年に実施されている。その時点で4校あった釜石市内の高校は、現在は2校になった。2008(平成20)年に県立釜石南高校と釜石北高校が統合し、釜石高校となった。2009(平成21)年には、県立釜石工業高校と釜石商業高校が統合し、釜石商工高校となった。取材に参加してくれた6人の高校生のうち、4人が釜石商工、2人が釜石高だ。

釜石商工生が語る。「うちは行っても専門学校なんですけど、最近は『就職した方がいいや』みたいな考えの人が増えてきてる」「就職、いちばんいいところが、やっぱ新日鐵」「でも新日鐵って言っても釜石だけじゃなくて、名古屋とか千葉とかにも行くし」「結局は帰って来るんですけど、1回県外に行くよね」。念のため書き添える。高炉の火は確かに消えたが、現在も新日本製鐵(2012[平成24]年には住友金属工業と合併し「新日鐵住金」)は、釜石で大きな役割を果たしている。同社釜石製鉄所は線材(鋼を細く圧延しコイル状に巻いた鋼材)の重要な供給基地だ。

釜石商工高のウエブサイト上にある「平成23年度就職・進学進路先一覧」を見る。同校には総合情報、機械、電子機械、電気電子の4科があるが、4年生大学への進学者は、総合情報科37名のうち7名のみ(国公立はいない)。一方で新日本製鐵には4科合計12名が就職している。うち5名は棒線事業部釜石製鐵所に、君津製鐵所と東京製造所には3名ずつ、そして名古屋に1名。新日鐵の関連会社も含めれば、釜石商工からの就職者の数はさらに増える。新日鐵以外の地元企業での就職実績も高い。釜石商工生がこう話してくれた。

「今の3年生はちょっとその枠が減ったんですけど、去年(注・2011[平成23]年)は震災枠がいっぱいあって、事務とかでも、いつもなら1人ぐらいしか採らないのに、2人3人くらい採って」「今まで求人がないようないいところ、東京とかからも求人来ました」「岩手銀行なんか、大学行かないと採らないと思うんだけど、去年は求人来ました」——。

2011年の商工の3年生は、乱暴に言ってしまうと、就職時に「得をした」のですか。

「けっこう得しました」「得ですね、あれは」「先生たちには、『もうそんなことはないから』みたいに言われてます」。

なるほど、"特需"は終わったと。

「もう終わりました(笑)」「たぶん。あっても今の3年生までだと思いますね。わたしたちの学年(注・2012[平成24]年度の2年生)、評判悪いんですよ」。

それはなぜ。

「震災合格の代なんですよ、わたしたち。全員受かりました」

その1人にまず話を聞く。彼女は「将来何屋になりたいか」という問いに「金持ち」と答えた。

■部長でもキャプテンでもなく

この連載取材で会った65人の高校生全員に「将来、何屋になりたいか」と訊いてきた。最後の取材地釜石で、初めての回答に遭遇した。「金持ちになりたい」——そう答えてくれたのは、浦島志奈(うらしま・ゆきな)さん、岩手県立釜石商工高等学校2年生(総合情報科)だ。

「将来は金持ちになるのが夢なんで、はい。自分で稼いで金持ちになりたいけど、どっかの会社の社長とかじゃなくて、おっきい会社の中の有力者みたいな、その1人に入って、なおかつ自分がやりたいと思ったことをやっていきたいというかんじです。わたしがなりたいのは強豪チームのスタメンです! しかもエース! 部長でもキャプテンでもなく、エースなんです」

ちなみに浦島さんの部活は薙刀部。「部長でもキャプテンでもありません。成績は県大会2位、東北大会演技競技3位です。3月に全国選抜で伊丹に行きます。ポジションはスタメンだと思っています(笑)」。

お金、どれくらい欲しいですか。

「自分の一戸建ても建てたいし、親戚周りとかにも配れるくらいお金持ってる人になりたい。自分のお金で、自分で何とかしたい」

大きい儲かってる会社の「エース」になるには、たとえばバレーボールなら「決定率の高いスパイク力」が要ると思うのですが、浦島さんのそれは何になりそうですか。

「今の私に武器があるかどうかはわかりませんが、自分で偉いと思うところは、最後まで諦めないところだと思います。あと、なんでも挑戦するところ! もともとの才能がないので努力は人よりしていると思います。あとは、なんかわからないんですけど、昔から運が強いと思います(笑)。なので、これからは一日三善ぐらいを目標にしていけば、将来なにか良いことがあるのではないかと(笑)」

浦島さんが考える大きな会社とは、どういう会社ですか。

「ソフトバンク(笑)。みんなが名前を知ってる会社は、おっきい会社だと思います」

ここで引き合いに出して恐縮だが、高校生は知る機会が少ないであろう B to B 企業の例として、ワイヤハーネスや住設機器の大手、グループ従業員総計22万6300人の企業名を挙げてみる。社員数はソフトバンク(連結ベースで2万2710人)の約10倍だ。じゃあ浦島さん、矢崎総業は該当しませんね。

「わかんないです(笑)」

浦島さんの名誉のために付記するが、この日集まってくれた高校生6人全員が同社の名前を知らなかった。珍しいことではないだろう。高校生は B to B 企業の名を知る機会がきわめて少ない。同社が大人の間では知られている一部上場企業だと伝えると、なるほどと頷きながら浦島さんはこう言った。

「ある一部の人に知られてるなら、それもありですね」

つまり浦島さんの進路は、ネームバリュー優先という意味ではない。さて、大きな会社に入ったとします。浦島さんはそこでどういう仕事がしたいですか。

(明日に続く)

(文=オンライン編集部・石井伸介)