仙台で会った4人の高校生。仙台駅前にて。

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■孤絶する被災者

仙台の取材で会った4人の高校生は、いずれも市内北部の住宅地に暮らしている。被災状況を訊くと「一部損壊でした」「うちも一部損壊です」「うち、マンションですけど、全壊です。うちの周辺のマンション、ほとんど全壊です。修理して住んでます」「うちと隣3軒くらいだけ地盤崩壊して、家、傾いちゃって。地震保険だと全壊です。今は床を抜いて平らにし直して住んでます」という答えが返ってきた。

全壊なのに修理して暮らせるのはなぜか。日本建築学会の基準では「軽微<小破<中破<大破<倒壊」の5つに分かれるマンションの被害は、仙台市の罹災証明書では「一部損壊<半壊<全壊」の3つとなる。前者の「中破」の一部と大破、倒壊は、罹災証明ではすべて「全壊」扱いだ。結果、仙台では倒壊したマンションは1棟もないが、「全壊」マンションが100棟近く発生した。

戸建て住宅も、立地によって被災状況は細かく異なる。1978(昭和53)年の宮城県沖地震(死者27名)で大きな被害が出た仙台市南部の古い住宅地・緑ヶ丘の一部では、今回も同様の地滑り被害が発生し、集団移転計画が進められている。どのマンション、どの宅地に住んでいたかで被災状況が大きく異なる。生活共同体が丸ごと津波に呑まれた三陸の被災地と異なり、仙台の街中には孤絶した被災者たちが散らばっている。

仙台市内における東日本大震災の死者は899名。うち94名が仙台市民以外で、仙台市民の死者数は979名(市外での死者174名を含む)。海に面した仙台港を抱える宮城野区(死者305人)、水田地帯の若林区(死者338人)に人的被害が集中した。同じ被災政令指定都市の神戸のように、市民の大半が毎日海を見、近しさを感じて暮らす街ではない。1999年(平成11年)に人口100万人を突破した東北最大の都市では、前述の孤絶した被災者と、区ごとの被災差という二重の「温度差」が生じている。

大学があり、古い城があり、その地方の文化的中心都市だという自負がある。そうして「学都」「日本のハイデルベルグ」を名乗りたがる街が日本にはいくつかある。ドイツ最古の大学を擁するハイデルベルグ市の姉妹都市・熊本もそうだが、仙台もそのひとつだ(城は石垣程度しか残っていないが)。

じっさい、仙台市内には11の4年生大学がある。国立の東北大学、宮城教育大学。県立の宮城大学(但し所在地は仙台に隣接する黒川郡大和町)。私学は、6学部を持つ東北学院大学、プロ野球選手を輩出する東北福祉大学、東北薬科大学、東北工業大学、日本の大学で初めて民事再生法の適用を受け再建した東北文化学園大学、元女子大の尚絅学院と東北生活文化大学。女子大も宮城学院女子、仙台白百合女子がある。短大は四年制に姿を変えたり閉校するなどして数が減り3校。専門学校に至っては46校もあり、この数は仙台市内の全高校の数(公立22校、私立15校[通信制を除く]、合計37校)を上回る。

比較対象として岩手県を見れば、全県で四年制大学が6校、短大・大学校が4校、専門学校は28校。福島県は全県で四年制大学が9校、短大・大学校が5校。専門学校は41校(いずれも専門学校の数はNTTタウンページのウエブサイトより計測)。今回取材した被災三県の中で、宮城県(というよりも仙台市)に高等教育機関が集中していることがはっきりとわかる。

まだ過去形で言うには早計かもしれないが、仙台にはナンバースクールの伝統があった。取材で会った高校生たちの親の世代のころは、仙台は北と南の二学区に分かれ、北に仙台二高、南に仙台一高(いずれも男子校)があり、東北大学の合格者数を競い合う関係にあった。だが、2010(平成22)年度から全県一学区となり、前後して公立高の共学化が始まる。最初に話を聞いたのは、かつてはナンバースクール女子高だった高校に通う2年生だ。

■「今でもいろいろと悩んでいる段階」

宮城県宮城第一高等学校は、仙台では長く「一女(いちじょ)」と呼ばれてきたナンバースクールだ。1学年280名。2012年度は108人が国公立大学に現役合格。うち、地元の東北大学に27名が現役合格し、東京大学にも1名が現役合格している。1897(明治30)年に仙台市高等女学校として開校。終戦後の学制改革で、1948(昭和23)年に宮城県第一女子高等学校と改称。仙台のナンバースクールで学生運動が盛んだった1973(昭和48)年には制服を廃止。以来、服装は自由だ。2008(平成20)年に共学化し、校名を宮城県宮城第一高等学校に変更した。同校2年生(理系クラス)、管弦楽部でヴァイオリンを弾く小林ゆりさんに話を訊く。小林さんは、将来何屋になりたいですか。

「けっこう漠然としているんですけれど、医療系に進みたいと思っていて。『TOMODACHI〜』に参加してアメリカに行ったことで、海外の子どもとかを助けるボランティアがあることを知って、人をどうにかして助けたいっていうか、役に立ちたいなと思ってて。具体的にどこに進むかっていうのは、今、すごく悩んでる状態です」

医療系に進みたいと思ったきっかけは何ですか。

「ちっちゃい頃から、なんとなく。自分が病院とかに行ったりする中で、憧れたりとかして」

医療系に進むためには、何を手に入れておいたほうがいいと思いますか。

「やっぱり大学を出て……。ただ、医療系の私立って学費がすごい高いので、親にも『ぜったい公立に行け』って言われてるので、頑張って勉強をするかんじです」

具体的な学校のイメージはありますか。

「まだ、なんかあんまり……。仙台だったら、たぶん東北大とかしかないですし。東北のほかのところだと、山大とか岩手大とか、そういうところとか。あとは関東とかですね」

取材から4カ月後、2月に入ってから小林さんに追加質問のメールを送った。その後、「漠然」が「具体的」になったものがあれば教えてください。

「進路については今でもいろいろと悩んでいる段階です。でも、研究職ではなくて、人と接する仕事がいいなぁとは思っています。単に、研究だけではつまらなさそうっていうのが、いちばんの理由です(笑)。わたしは人と接することが好きなので、いろんな人と出合いたいです。あとは、自分が誰かの役に立っているのを直接実感出来るところもいいなぁと思います」

小林さんは「やっぱりまだ漠然としていてすみません」と書き添えている。ここまで連載取材を続けてきての実感だが、同じ東北でも、普通科進学校の生徒には「漠然」の傾向がある。彼ら彼女らは、実業高校のように高校進学時点で職業観をある程度絞り込むことがない。卒業時点でも大学に進むことが前提となっているので、職業選択は「さらにその先」の持ち越し事項となる傾向がある。小林さんは「連載を読んでいると、皆進路も目標もはっきりして、しかもそれを堂々と言っていて、本当にすごいなぁと思って焦っています」とも書き添えてきたが、これは都市部の進学校ならではの「焦り」だろう。

「TOMODACHIサマー2012 ソフトバンク・リーダーシップ・プログラム」に参加した小林さんは、三陸沿岸や福島県浜通りからやってきた高校生たちと3週間を一緒に過ごした。進学先から予備校まで、”なんでも揃っている街”仙台に暮らす小林さんは、そのとき何を考えたのだろうか。

(明日に続く)

(文=オンライン編集部・石井伸介)