2013年は福島県会津若松が舞台! 大河ドラマ・新島八重を5分で知る

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大河ドラマ「八重の桜」が話題になっている。

桜といえば、毎年寒い冬を乗り越え、春に満開の花を咲かせて人々を魅了する。

その花言葉のひとつは「精神の美しさ」。

試練を乗り越え、力強く生きる主人公・新島八重とも重なるが、ハンサムウーマン・八重とはどんな女性だったのだろうか。

弘化2年(1845)、会津藩の砲術師範であった山本家に生まれた八重は、幼いころから武術に興味を持つなど男まさりで活発であった。

20歳の頃、洋学者・川崎尚之助(しょうのすけ)と結婚するが3年後、鶴ヶ城での籠城戦を前に離別した。

離別の理由は不明である。

鶴ヶ城に籠城し、男装のいでたちで自らスペンサー銃を持って奮戦した八重。

その勇敢な行動から、のちに「幕末のジャンヌ・ダルク」の異名が付けられている。

現在、鶴ヶ城天守閣内では、会津藩の歴史や江戸時代の会津の暮らしを紹介する貴重な資料が展示されている他、弁士が語る紙芝居「新島八重物語」も上演されている。

紙芝居の上演時間は20分。

なかなか見応えがあると評判だ。

紙芝居を見学した方には、オリジナルブックレットのプレゼントもある。

戊辰戦争後、八重は兄・覚馬(かくま)を頼って上洛(じょうらく)して洋装、洋髪となり、英語を学び始める。

エネルギッシュな性格は相変わらずで、やがて兄の元に出入りする新島襄(にいじまじょう)と知り合い、30歳の時に再婚する。

その後、八重は夫の新島譲が同志社大学(創立当時は同志社大英学校)を創立するのを助け、また、社会事業などで活躍したのはご存じだろう。

興味深いのは、幕末の会津からは八重の他に、何人もの優れた功績を残す女性たちが誕生していることだ。

わずか8歳で会津若松城に篭城(ろうじょう)し、打ち込まれた砲弾の処理など危険な仕事をこなした山川さきがそのひとり。

後に会津攻撃の砲術隊長だった大山巌(いわお、当時は弥助)と結婚して大山捨松(すてまつ)となり、「鹿鳴館の花」とうたわれた。

津田梅子を助けて、女子英学校(現在の津田塾大学)の創立に尽力したことでも知られる。

また、戊辰戦争の市街戦で、敵味方の区別なく傷病兵の看護に当たったのが瓜生(うりゅう)岩子。

敵将の板垣退助をも感動させたという岩子は、後に東京や会津で児童や貧困者の救済などに勤め、女性として初めて藍綬褒章を受賞している。

さらに、戊辰戦争にあって「婦女隊」を結成してなぎなたで奮戦、銃弾に倒れた中野竹子。

「武士(もののふ)の猛(たけ)きこころにくらふれは 数にも入らぬ我が身なからも(現代語訳:国を思う藩士たちの勇敢さに比べれば、私などは数にも入りませんが、力の限り戦います)」の辞世の句で知られ、会津若松市内には銅像も建っている。

八重、捨松、岩子、竹子……みな、男女の性差を超え、進取のかたぎに富んでいた点においても共通する。

そんな彼女たちを生んだ風土とは? そんなことを考えながら会津を旅するのも楽しいに違いない。

会津には「八重の桜」にまつわる新島八重ゆかりの史跡の他にも、白虎隊伝承史学館や会津武家屋敷などといった観光スポットがたくさんある。

会津武家屋敷(総合ミュージアムパーク)では、藩米精米所、重要文化財などが見学できる他、会津の伝統料理が味わえる食事所もある。

郷土料理の代表格は「棒たら煮」に「にしんの山椒漬け」。

いずれも海から遠い会津の地ゆえの、保存性の高い郷土料理である。

他に里芋やにんじん、大根、鶏肉など具だくさんの「こづゆ」も有名。

伝統料理を味わいながら新島八重や会津の偉人たちをしのぶのも一興(いっこう)だろう。

会津といえば他に、そばが思い浮かぶ。

地元の方に聞いてみたら「最近ではソースかつ丼やラーメンも会津名物」だとか。

そばなら「山都のそば」、ソースかつ丼なら「白孔雀食堂」、ラーメンなら「喜多方ラーメン来夢」などが地元では人気が高いとのこと。

お土産も豊富にそろっている。

丸峰観光ホテルの名物「丸峰黒糖まんじゅう」や、郷土料理として知られる「にしんのさんしょう漬け」などがイチオシだとか。

会津にお出掛けの際は、これらの商品のチェックもお忘れなく! ●information 一般財団法人 会津若松市観光公社八重と会津博 大河ドラマ館