盛岡駅と中心市街地をつなぐ開運橋。市内を流れる北上川に架かる。

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■「お金には少しこだわりたい」

岩手県立盛岡北高校3年生の熊谷祐弥さんは起業家志望。実業家になって、法人を自分でつくったとします。本社の登記は盛岡市でしょうか——という問いには「たぶんそうなると思います」と答えた。重ねて訊く。人脈を得るためには、人数の多い東京で——という発想もあると思いますが。この問いに熊谷さんはこう答えた。

「確かにそうかもしれないんですけど、全国的に有名なびっくりドンキーを創った社長さんって岩手出身で、いちばん最初のお店が、盛岡の大通にある『ベル』ってお店なんです。今は拠点が北海道なんですけど。そんなかんじで、のちのち拠点は変わるかも知れないけれど、最初が盛岡だったら、盛岡の人から『あの人の会社は盛岡から始まった』って言われるみたいなのがいいかなと」

ハンバーグレストランの全国チェーン「びっくりドンキー」。創業者の庄司昭夫は1943(昭和18)年、岩手県金田一村(現・二戸市)生まれ。岩手県立盛岡工業高校卒業後、上京。岩手に帰り、1968(昭和43)年12月、25歳で盛岡市に「ハンバーガーとサラダの店・ベル」を開店。1976(昭和51)年に盛岡でカウベルカンパニーを設立。北海道に進出し、1981(昭和56)年に本社を札幌に移した。1983(昭和58)年から「びっくりドンキー」をフランチャイズ展開。現在グループ全体で329店舗(うちフランチャイズが188店)を展開している。庄司は2011年3月、震災の12日後に脳梗塞で没している。享年68。

日本の起業家で会ってみたい人はいますか。

「孫さん(笑)。本に載っていないような、私情っていうか、『こういうことをしたときは、正直こう思ってた』とか、そういう体験話を聞きたい。あとやっぱり、発想について聞きたいです。どうしてその発想に至ることができたのか。たとえば、自分が被災地出身ってわけじゃないのに、自分の持ってるお金を全部寄付するみたいなことがなぜできたのか、そのときどう思ったんだろうって」

ツイッターで訊いてみたら?

「怖いです(笑)」

熊谷さんは「TOMODACHIサマー2012 ソフトバンク・リーダーシップ・プログラム」に参加して、合州国で起業家に会いましたか。

「起業家を集めて、ビジネスコンテストみたいなのをやって支援する Relay Foundation を立ち上げたブルースさん(Bruce Wilson)に会いました。場所は町の教会です。すごく若くて、25歳よりは下に見えました。金髪の黒縁眼鏡、少しひょろっとした、いかにもインテリって感じです(笑)。ブルースさんは英語で話して、通訳の方がいたんですけど、ブルースさんが次々話すので訳せないところも多くて。でも、訳したところはちゃんと聞きましたし、英語でもわかるところはわかりました。ブルースさんは若いのに、育てる側につくのは早いなあと思ったんですけど、すごいなと思った。アメリカの起業家だけじゃないと思うんですけど、自分の理念とかコンセプトとか、考えをちゃんと持っていて、自分の信じてるものがあって、それがすごいなと思いました」

熊谷さんは将来どれくらいお金が欲しいですか。実業家志望ということは、給料という概念ではないですよね。

「はい。そうですね。たぶん、手に入ったお金って、自分のしたことの価値だと思うんです。だから大量にお金が入れば入るほど、自分はこんなに要求されてるってことだったり、すごいいいことをしたと思えると思うんで、お金には少しこだわりたいかなって思います」

熊谷さんの親御さんは何屋さんですか。

「父が岩手県庁で——今日は父の名刺を持って来ちゃいました(笑)。『商工労働環境部科学ものづくり何ちゃら』」

取材の後半、こちらは高校生たちに「後輩たちにも、皆さんのような『TOMODACHI〜』体験があるといいと思いますか」と訊いた。異口同音に「ぜったいあったほうがいいと思う」という答えが返ってきたなかで、熊谷さんがこう言い添えた。

「『TOMODACHI〜』参加者だけじゃなくて、岩手の高校生ももっと巻き込んでいければな、と」

それは昨年12月に実現した。

■「俺、週5で行きますよ」

取材から約半月後の12月2日、7人の「TOMODACHI〜」参加者が、盛岡の特定非営利活動法人「未来図書館」に集まった人たちの前で、合州国での体験を話した。題は「カタプラ2012 高校生によるプレゼンワールドカフェ」。「カタプラ」とは「Catalyst(触媒)+」の意だ。

きっかけは熊谷さんだった。合州国から帰ってきた熊谷さんは、大人と高校生が対話するプログラムの体験をお父さんと話した。盛岡でも、こういうことはできないか——と。県庁職員のお父さんは、未来図書館の理事でもある。未来図書館は、ひとことで言えば就労・起業支援の組織だ。設立趣旨にはこう書かれている。

《学校を卒業するときになって初めて仕事探しをする若者、会社をリストラされてもなす術無く無力感に打ちのめされる中高年が増えています。(中略)私たちはこういった時代の要請に応える事業を行い、自分の仕事は自分で見つける、起業に挑戦する事が当たり前になる、そういった社会を実現し次の世代に継承していきたいと考えます》

同図書館では、2004(平成16)年の設立以来、大学生・高校生と社会人の交流の場を企図していたが、なかなか人が集まらなかった。熊谷さんとお父さんの会話が「触媒」になった。まず、同図書館の理事で地元テレビ局の元アナウンサーでもある落合昭彦と高校生たちが語りあう機会が、8月に設けられた。それが12月のプレゼンの機会につながった。「未来図書館」のウエブサイトには当日の模様が紹介されている。

■未来図書館スタッフブログ
http://www.miraitoshokan.com/staff_blog/?page=2

《カタプラは今回発表してくれたメンバーを中心に2013年は中・高・大学生のメンバーを新たに募り、定期的に集まる機会を用意したり、キャンプをしたいと考えております。一人ひとりが持つ"力"の多寡にかかわらず、日常の「かかわり」の中で、自分について学び、自分が誰かのためにできることを、自分ができる範囲で、特別なことではなく「当たり前のこと」として動けるヤングカタリストの輪をどんどん広げるサポートを続けていきたいと考えています。一緒に取組んでくれる仲間大募集です》

熊谷さんが言う。

「本格的なボランティア活動とか、そういうことをやるのは来年かららしくて、そのときは俺、もういないと思うんですけど、まずは今回、大人と高校生が集まって話す機会をやることができました。これ、けっこういいッス」

盛岡編の冒頭で、この地では郷土学習が丁寧に行われていると書いた。それはハコモノがあるだけでは不可能だったろう。大人と子どもが語りあう場、その積み重ねがなければ「郷土意識」は生まれない。意識して伝え続けていかなければ、土地の歴史はあっさりと途絶える。

語りあう場では「やる意味ってあるの?」と、入力コストと出力メリットが直結していないと行動できない学生が、お利口な見解を口にするかもしれない。次の世代に何かを渡そうとするとき、若い世代がその意味を理解するまでには時間がかかるのが常だ。盛岡の幸運は「TOMODACHI〜」に参加した高校生のほうが、大人と語りあうことの意義を知り、それを求めているという点にある。

最後にもう一度、「盛岡らしさ」を感じることばに出合った。取材を終えた余談の中で、熊谷さんが言ったことばだ。

「俺、週5で行きますよ、あそこ」

本屋の話だ。その街で暮らしている高校生は、自分たちの街にあるものが全国的に高く評価されていることを知る機会が少ない。取材を終え、盛岡を地元とする「さわや書店」のことを日本の出版業界で知らない者はいない——という話をしたときも、高校生たちは揃って驚いていた。あの本屋さんは「この本を読んでほしいんだ」とわかる並べ方がすごいでしょう?

熊谷「うん、確かに。あと、駅のさわやは店員さんに美人がメチャクチャ多いです(笑)」

菊池「それ、けっこう有名です(笑)」

盛岡二高の照井さんは「主に行くのは家と学校からも近い東山堂です」と教えてくれた。東山堂は盛岡市内には5店を持つ地元書店だ。熊谷さんが行きつけのさわや書店も、大通の本店、フェザン店(これが「駅のさわや」)をはじめ盛岡市内には計5店。盛岡にはジュンク堂書店も進出しているのだが、高校生たちの日常の中で、 2つの地元書店チェーンが役割を果たしている。東京の出版社社員が100回「すごい」と繰り返すよりも、地元の高校生が「週5で寄ります」と笑顔で言うことのほうが、街の本屋にとっても、そしてその街で暮らす高校生にとっても幸せなことだろう。盛岡とはそういう街である。

次回は地元の本屋が次々と消えていった街で、4人の高校生に会う。

(明日に続く)

(文=オンライン編集部・石井伸介)