『ユリイカ 2013年2月号 特集=ゾンビ ブードゥー、ロメロからマンガ、ライトノベルまで』青土社 (2013/1/28)。『マンガ・オブ・ザ・デッド』でも哀愁あふれる素敵なゾンビ短編を描いていた寺田克也のうっとりするようなゾンビ女子が目印です。

写真拡大

ついにユリイカでもゾンビが特集になった。ユリイカといえば、村上春樹、クリストファー・ノーラン、岩井俊二のような文化人から魔法少女まどか☆マギカ、BLなど話題になっている作品やジャンルを取り上げる雑誌。そこで特集になるということは名実ともにブームということだ。オフラインで周囲を見ると自分以外でゾンビ好きという人はあまりいないけど、確かに映画やマンガやゲームもまだ増えている。いつか来ると思ったらもう来ていたらしい。ブームとなると終わるのが少しイヤだ。でも『ユリイカ 2013年2月号 特集=ゾンビ ブードゥー、ロメロからマンガ、ライトノベルまで』がすばらしかったので、これで終わってもまあいいか、という気分になった。

特集は『ブロードウェイ・オブ・ザ・デッド 女ンビ〜童貞SOS〜』のすぎむらしんいちと『アイアムアヒーロー』の花沢健吾の対談から始まる。『ゾンビ』(1978年)から入ったすぎむらと、そのリメイクである『ドーン・オブ・ザ・デッド』(2004年)からハマったという花沢が、相互のゾンビ観の差や創作方法の違いを確認しながら、映画やマンガを通してゾンビを語る。司会の吉田アミも広い知識と、
ーー私のイメージではロメロおじいちゃんが「ゾンビ手帳」っていうのを持っていて、新しいアイディアが浮かんだらそこに書き込んでいるという。
と妄想をふくらませるほどのゾンビ愛でサポート。ゾンビ好き同士が和やかに話しているのを横で聞いているような気分になれる。

そう、この特集には「ゾンビとは」という序論がない。対談の後もそのままマンガ、映画、演劇、小説、ゲームで、各メディアにおける識者のゾンビ論が続く。これがもう、すばらしい。『ゾンビ映画大辞典』の伊東美和と『ウォーキングデッド』訳者の風間賢二の対談は、古今の映画からエログロ、時代背景までカバーした安定の評論になっているし、小澤英実の「走るな、死ね、蘇れ」はありそうでなかったアメリカ文化におけるゾンビの位置づけを語る内容だし、真魚八重子の「ゾンビコメディとゾンビ原理主義の共鳴作用」は傍流の印象が強いコメディ作品からあえてゾンビの本質を探る試みだし、岡室美奈子の「ゾンビと「はけん」」には「大江戸りびんぐでっど」については思いつきもしなかった考察があった。

語るに足るゾンビ作品は実はそれほど多くない。だから重複して語られている部分も多い。だけど視点が少しずつ違うために語りの厚みが増していき、結果としていろいろなゾンビ好きがそれぞれに語っているのを聞いて回ったような、ジャンルの雰囲気が伝わってくる活きた序論になっている。

でも特集はこのままジャンルの内側だけで終わらない。次の「これはゾンビではない」は次のように始まる。

木村 はじめにこちらから訊いていいですか?
ーー え、はい。
木村 なぜ俺なのか? ここにいるべきは佐藤(大輔)さんなのでは? だって『これゾン』は「別モノ」でしょ。……って、これ読むひとみんなそう思ってると思うんですよ。

『これはゾンビですか?』の木村心一のインタビュー「これはゾンビではない」だ。「これはゾンビですか?」はマンガ化、アニメ化もされている人気のライトノベルで、主人公はゾンビで確かに大ケガしても死なないが、意識がはっきりしているし(知能は低い)、人間も食べない。「これはゾンビではない」と確かに思った。だから何故この特集に? とも思った。だが、木村心一がこれまでのゾンビの文脈からいかに意図的に逸脱しているのかを語り、続く「クリリンのことか? はい、ゾンビです」で、飯田一史がライトノベルとゾンビはなぜ相性が”悪い”のか詳細に分析していくのを読んで、ようやく理解できた。ここで特集は愛好家が集まる内側から足を踏み出して、外側からゾンビを眺めようとしているのだ。暗黙の了解が通じないからゾンビ好きとしては居心地が悪いけれど、今まで前提にしていたのは何か、どういうタイプのエンタメとは相性が悪いのかを見ていくことで、ゾンビの輪郭がはっきりと見えてくる。

その後も内側には戻らず、今度は根っこの方にもぐり込む。ゾンビとは何か、何を象徴しているのか、何故人気があるのか。これを理論生命科学、法哲学、哲学、表象文化論、文芸批評の観点からもう一度考え直していくのだ。この部分は正直なところ難しくて、ゾンビ映画を観たあとに「この映画のゾンビは○○を象徴している」と考える定番の楽しみをすごく深いレベルでやっているようだというのは分かったのだけど、理解できた自信がない。なので、グッときた部分だけ抜粋したい。

第一にプーは一般化ゾンビである。(「ゾンビ・ザ・プー」郡司ペギオ幸夫 188ページ)
従って、リベラルにとってのゾンビとは、郊外的(suburban)であり、保守的であり、そして人種差別(racist)的なものの表象なのである[Rabare]。
(「フィロソフィア・アポカリプシス」谷口功一 195ページ)
ゾンビを消費者と捉えてもその先はない。では、ゾンビを労働者として捉えてみてはどうだろうか。(「デッドエンド、デッドタイム」小泉義之 198ページ)
ミッキーマウスにとっての最大のライバルとは、ミッフィーでもキティでもなく、ゾンビである。(「ゾンビの/と同一性」橋本一経 206ページ)
西洋のゾンビが人間の終わり(=廃棄物としての生)を指し示すのに対して、東洋の幽霊は逆に人間的欲望を純化するものとして現れる(「西洋のゾンビ、東洋の幽霊」福嶋亮大 211ページ)

最後の「ゾンビ作品傑作選!」は各分野の一流が選ぶ映画、海外文学、日本文学、ライトノベルのリストで、ただの要約に終わらず抑えるポイントまで盛り込まれたレビューとしてもガイドとしても使える内容。最近よく見るしちょっとゾンビを調べてみようという人から、そこそこ知ってるけど語る言葉が尽きてきたという私のようなゾンビ中級者まで、ゾンビに興味があるすべての人にオススメします。(tk_zombie)