最高記録254杯! 岩手県花巻で2/11開催「わんこそば全日本大会」とは?

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東北の麺と言えば、岩手県のわんこそば。

熱いつゆにくぐらせた一口大のそばを客のおわんに入れ、客が食べ終えるや次のそばの投入を延々と続けるものだ。

発祥の地とされる花巻市では毎年2月11日、「わんこそば全日本大会」が開催される。

果たして2013年は、これまでの最高記録254杯は破られるか!?行司姿の審判と、力士ならぬ“食士”たちが奮闘する、「わんこそば全日本大会」の模様が全国放送のテレビニュースに取り上げられるのは毎年のこと。

お茶の間で、「俺なら何杯くらいいけるかな?」「私にはムリムリ」といった会話を繰り広げ、一家だんらんほのぼのムードを楽しむのも、ニッポンの冬の醍醐味(だいごみ)だ。

大会は“食の格闘技”の別称を持ち、制限時間5分の間に何杯食べられるかを競う。

そばの量は1わん10gに統一されていて、10杯でかけそば約1杯ほどだそうだ。

とすると、記録の254杯とは5分でかけそば25杯を食べたということに……。

うーん、人間技とは思えない。

歴代のベスト3は、254杯、241杯、238杯。

女性の最高記録は225杯だという。

ちなみに、花巻市内から出場する人は2〜3割にすぎない。

すっかり全国的なイベントとして定着していることが分かる。

また、2012年に引き続き、2013年も参加料の一部が震災孤児への義援金として寄付されるそうだ。

ところで、わんこそばは誕生当時から「早く、大量に」食べることに意味のある食べ物だったのかといえば、答えはノー。

本来は、ゆっくりと楽しみながら食べる“おもてなし料理”だったのだ。

そして、そのルーツには2説ある。

2説とは、ユニークな花巻起源説と現実的な盛岡起源説だ。

というのも、実は盛岡もまた、花巻に対抗するかのようにわんこそばの本場を主張しており、盛岡でも毎年11月「全日本わんこそば選手権」なる競技会を開催しているのである。

さて、わんこそばの花巻起源説はこうだ。

今からおよそ370年前、南部藩第27代当主利直(としなお)公が江戸に上がる途中、花巻の宿で食事を所望した。

すると宿の主人は恐る恐る、わん1杯のそばを差し出した。

殿様の口に召すか不安だったので小さなわんを使用したのだが、殿様はこのそばがいたく気に入り、何杯も何杯もおかわりしたことが起源となっているというのだ。

一方の盛岡説はこうだ。

かつてこの地方には祭りなどの際に地主が村人にそばをふるまうという風習があった。

しかし、普通の釜では大勢の村人に一度に通常量のそばをふるまうことはできない。

このため、少量ずつ小分けしてそばを出したのがわんこそばの起源となったというのだ。

いずれにせよ、わんこそばはお客さまへのおもてなしの心を大切にした食文化であり、決して大食いや早食いを奨励するものではなかった。

現在のようなスタイルが一般化したのは、昭和32年(1957)に花巻市で「わんこそば相撲冬場所」(「わんこそば全日本大会」の前身)が催され、何杯食べられるかを競ったのが始まりである。

花巻市には、「花巻わんこそばの日」まである。

毎月15日がその日で、やぶや総本店、嘉司屋、金婚亭、山猫軒駅前店のいずれかの店でわんこそばを食べると、特典として記念の木札がもらえる。

花巻と言えば、「銀河鉄道の夜」で知られる宮沢賢治が思い起こされるが、果たして賢治もわんこそばを食べたのだろうか? そんな素朴な疑問に答えてくれたのは花巻市商工観光部の小田島さんだ。

「宮沢賢治はやぶ屋の天ぷらそばとサイダーのセットが好物であったとか、嘉司屋の柏南蛮が好きだったとのエピソードは残っておりますが、わんこそばに関する記述は残念ながら残っていません」。

しかし、賢治の作品には、わんこそばと思(おぼ)しき食べ物が登場する。