大相撲で史上最多の優勝32回を誇る、第48代横綱・大鵬(本名・納谷幸喜)が1月19日、心室頻拍のため都内の病院で死去した。72歳だった。

 現役時代の大鵬は、日本の高度成長期を突っ走った、まさに時代のヒーローだった。横綱に同時昇進した柏戸とともに「柏鵬時代」を築き、子供たちの好きなものの代名詞として「巨人、大鵬、卵焼き」ともてはやされた。しかし、輝かしい現役時代とは異なり、その後の半生は苦難の連続だった。

 大鵬は1940年、ウクライナ出身の父と日本人の母の間にサハリンで生まれた。終戦とともに日本へ引き上げ、中学卒業後、二所ノ関部屋(元大関佐賀ノ花)によりスカウト。優勝32回のうち、全勝優勝8回の記録は今も燦然と輝く。

 大鵬の現役時代をよく知る、相撲ジャーナリストの中澤潔氏が振り返る。
 「最近でも相撲界の“かわいがり”は問題になりましたが、大鵬が新人だった当時も相撲界では“かわいがり”が横行していました。そんな中、『二所ノ関部屋に納谷という逸材がいる』と聞いた他の部屋の強豪力士が、よく出稽古に押しかけてきたんです。しかし、大鵬の師匠、二所ノ関親方は壊されてはたまらないと、女将を部屋の入口で見張らせ、かわいがりの力士が来るとこっそり外へ逃がしていたと聞きましたよ」

 柏戸の一直線の出足に対して、守りの大鵬。好対照の2人の対戦は、戦後の大相撲を大いに盛り上げた。その陰で、大鵬の不断の精進ぶりは今も語り草になっている。
 「大鵬夫人(芳子さん)から聞いた話ですが、現役晩年は高血圧で左手が痺れていたため、まわしも強く握れなかったそうです。でも、そんなことが相手力士に知れたら弱点を攻められる。そのため治療もしなかった。それが、後に脳梗塞に見舞われるという悲劇を生んだのです」(元力士)

 今の力士は、稽古不足もあって簡単にケガをし、ケガをするとすぐに休むという悪循環だが、大鵬は厳しく自らを律していたという。
 「師匠は大鵬にあまり細かいことは言わず、私生活での注意はしていませんでした。しかし、長時間同じ姿勢でいる麻雀などは、腰に負担がかかるため控えていた。さらに体重も、150kgを超えてはならないと戒めていました。今、幕内力士の平均体重は162kg。グルジア出身の臥牙丸などは210kgですからね。大鵬もウクライナ人の血が混ざっているため、太りだしたらきりがないことを悟っていたわけです」(同)

 一方で、こんな逸話も残っている。
 「実はアチラの方も凄くて、“一晩何回でも”という猛者でした。当時、二所ノ関部屋には巨根で有名な呼び出しがいましてね。大鵬さんと仲がよくて、よく“巨根比べ”をしていました」(同)

 '71年5月場所限りで現役引退すると、その2年前に贈られていた一代年寄・大鵬を襲名し、『大鵬部屋』を創設。巨砲、嗣子鵬ら数名の内弟子を二所ノ関部屋から連れて行った。しかし、巨砲は大関候補として長く関脇を務めたものの、栄華はそう長くは続かなかった。さらに大鵬親方は36歳の若さで脳梗塞で倒れ、その後、左半身不随の不自由を余儀なくされるのだった。
 前出の元力士が言う。
 「英雄、色を好むと言いますが、それでアチラの方もダメになったと聞きました。夫人の献身的な介護で何とか親方業に復帰し、後に理事まで務めますが、私生活ではあれこれ噂を立てられ週刊誌にも書かれた。というのも、夫人は角界でも知られた美人。あの世界では親方夫人と弟子ができちゃうなんてことも珍しくない。そのため、夫人と弟子が関係を持ったとか、面白おかしく囁かれたんです。でも大鵬さんは反論しようにも体が体でしょ。夫婦とも無視していましたが、悔しい思いをしたと思います」