『別冊宝島 プロレス暗黒街』(宝島社)

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昨年、プロレス界でこんな事件が起きた。
Aというフリーランスのプロレスラーが遠征先から帰国した際、麻薬を密輸した容疑をかけられて成田空港で逮捕されたのである。たまたまAには、泥酔して刑事事件を引き起こした前歴があった。現在唯一の紙媒体の専門誌である「週刊プロレス」はAの人格を否定するような論説を載せ、業界からの追放を呼びかけた。
しかしAは無実だったのである。詳細は省くが、彼に遺恨を持つ業界人BがAをはめたことを告白した。「週刊プロレス」はAの名誉回復を訴える巻頭記事を載せた。この一件はそれでおしまい。
あれ? と思った。裏も取らないでAを犯罪者扱いした件の自己批判は? そしてBの責任については一切の追求もなし? 記事の中では、Bが海外でやったことを国内で刑事事件として訴追するのは難しいという説明があった。しかし背後関係を調べなくていいわけ? Bの言葉も鵜呑みにするの? それって裏をとらないでAを犯人扱いしたのとまったく同じだよね。
毎度のことだが、再認識した。
現在のプロレス界にジャーナリズムは存在せず、「広報」だけがある。
プロレスの専門誌を読むというのは、お金を払って「PR誌」を買うのと同じことなのだ。
ねえ、それって必要なのかな? お金を出すほどのものなのかな?

宝島社から『別冊宝島 プロレス暗黒街』が刊行された。もしプロレス界に例外的なジャーナリズムが存在するとすれば、この別冊宝島のシリーズがそうだといえるだろう。同社のプロレスムックは、一般に流通する紙の雑誌としては唯一、「週刊プロレス」が黙殺した業界のスキャンダルを採り上げ続けているものだからである。専門誌が「ファンの夢を壊す」「業界のためにならない」などの理由であえて目をつぶる事件を暴き立て、団体がそのために崩壊することになってもお構いなし、という姿勢で別冊宝島の編集部は誌面を作っている。
いまや別冊宝島に「潰されかけている」と言っていいのが、プロレスリング・ノアだ。ノアは老舗・全日本プロレスから2000年に分裂してできた団体である。創設者の三沢光晴が2009年にリング禍で死亡した事故は大きく報道されたので、プロレスにあまり関心のない方でも名前だけは聞いたことがあるだろう。
この団体がひた隠しにしていた不祥事が2012年2月に刊行された『別冊宝島 プロレス黒い霧』によってスクープされたのである。同団体のパトロンだった人物が億単位の詐欺事件の主犯で、しかも広域指定暴力団の関係者でもあった、という洒落にならない事件だ。反社会勢力との関係を取りざたされることは、企業にとって命取りの醜聞になる。当然、可能な限り早くの対策が必要だが、ノアの反応は鈍かった。そこを別冊宝島は見逃さなかったのである。二の矢、三の矢をつがえて団体を打ち、浮動層のプロレスファンの心を捉えてしまった。一時は業界の新たな盟主とまで讃えられた団体に、暗いイメージが漂い始める。「週刊プロレス」は当初静観を決め込んでいたが、無視できなくなったのか、不祥事について誌面でも触れるようになっていった。当然だが、興行にとって事件の影響は小さくない。ノアの経営危機が囁かれたことはこれまでもあったが、そのたびに「週刊プロレス」は噂を否定し「大本営発表」に徹してきた。しかし、今や同誌ですら団体が存続の危機に瀕していることを認めているのである。公式には一度も表明したことはないが、ノア首脳陣は、そして週刊プロレス編集部は思っているはずだ。
「別冊宝島」はノアの天敵だ、と。

言葉は悪いが、これは一種の嫉妬の構造である。かつてノアと週刊プロレスは蜜月の関係にあった(ノアの背広組のトップである仲田龍の著作『ノアを創った男』は、週刊プロレスの版元であるベースボール・マガジン社から刊行されている)。その間に入りこめなかった者が両者を見返すために独自取材を重ね、弱味を握ってしまったわけだ。お世辞にも品の良い話とはいえず、積極的に別冊宝島の肩を持つ気にはならない。だが、報道の姿勢ということであれば正義は別冊宝島の側にある。団体の言いなりになる「社外広報」と、自身で取材を行う媒体と、どちらがよりジャーナリストたりえているか、という話だからだ。
「社外広報」で何が悪い、という声もあるだろう。前向きな記事を読めるプロレスファンが幸せで、雑誌を買ってもらえる出版社が幸せで、いい広報活動ができる団体が幸せで、誰が損をするのか、というわけだ。

しかし、問題は実際に起きている。
実は既刊の『プロレス黒い霧』では、詐欺事件以外にもう一つノアがらみのスキャンダルが告発されていた。同団体で巡業バスの運転手を務めていた人物が、地方興行でリングに上がり、事故死していたという事件である。その人物Cは、他団体でデビューしたことのある元プロレスラーだった。Cが都合で退社することが決まり、団体がはなむけとして彼に一夜限りの復帰試合の機会を与えた。だがその試合で事故が起き、Cは帰らぬ人になってしまったのである。ノアはこの事実を隠蔽した。団体とは親密な仲にある専門誌の記者が、事件について知らなかったとは到底思えない。にもかかわらず、週刊プロレスはこの一件についてまったく報道しなかったのである。
人の倫理観には振れ幅がある。いわゆる反社会勢力との関係についても、一切許さないと言う人だけではなく、そこまで目くじらを立てなくてもと考える人だっているはずだ(なにしろ草創期の日本のプロレス団体は、後見にその筋の人がいたくらいなのである)。だが、それが人の生死に関わる問題だったとしたらどうだろうか。一人の命が失われたのだ。それを隠す理由というのが、私には理解できない。
プロレス団体は、そこまでして体面を守りたいのだろうか。出版社は、そんな団体の情報を世間に広めたいのだろうか。そしてファンは、そんな団体の興行を観て楽しいのだろうか。

これは閉鎖空間の中にいることの弊害だ。あるジャンルの中にい続けると、正常な感覚が麻痺することがある。何かを楽しもうとしてジャンルに手を出しただけのはずなのに、いつのまにか、その中にいること自体が目的になってしまうのだ。ファンが「試合が楽しいから○○をひいきにしよう」と言うのは正しいが、「○○を潰させないために試合を観にいこう」になってしまったら感覚はおかしくなり始めている。雑誌が「○○を潰させないために不祥事には目をつぶろう」と考えるのも、やはり異常なのである。

プロレス団体は、不慮の事故が起きたらきちんと公開して、けじめをつける。
プロレスに関わるメディアは、つまらない試合しかしないような団体、問題が起きても対処できない団体だったら批判して、そのひどさを世間に伝える。
プロレスファンは、つまらないものを見せられたら、ちゃんと団体を見放す。

それをしないとどんどん正常な感覚は失われていく。「広報誌」に大切なお金を差し出しちゃうような、もったいないことをしてしまうのである。
これ、きっとプロレスだけじゃなくていろいろなジャンルで起きている出来事だ。自分は好きでたまらないのに、そのジャンルから人が減ってきている。もしくは、新しいファンが入ってこなくなっている。そういう事実に気づいたら、自身の拠って立つメディアの健全さを一度疑ってみたほうがいい。知らないうちに、とんでもない人生の負債を抱えてしまっているかもしれない

今回の『プロレス暗黒街』でもっとも衝撃的だった記事は、ゼロワンという団体で練習生がデビュー直前で事故死した、という一件を扱ったものである。団体側の不誠実さを遺族が批判する内容であり、正直「まだこんなことを繰り返しているのか」という気持ちにさせられた。臭いものに蓋、という体質はほとんどのプロレス団体にとりついた、どうしようもない業病だ。
もう一本、全日本プロレスが現在抱えている負債をチャラにするウルトラCを狙っているというスクープもある。借金棒引きの徳政令に近いような策で、これが本当なのだとしたらプロレス団体の経営陣というのは相当な鉄面皮だということになる。
1年近くにわたって続けられてきたノアと別冊宝島との静かな闘いは、ノアが鎖国政策を強引に推し進めたことによって自滅し、別冊宝島側が不戦勝を飾ったような印象がある。勝利を収めた相手をいつまでもたたき続けてもうまみは少ないだろうから、すでに次の標的が定めてあるに違いない。その相手は上記の2団体なのか、それとも他にいるのか。どこであろうと狭い空間に澱んだ水が溜まっていれば、きっとそこに別冊宝島はやってくる。おかしいよ、そこの水は腐っているよ、と囃し立てに。
(杉江松恋)