時代劇の話




時代劇、お好きでしょうか? 最近は時代劇のドラマも減っており、残念ながらテレビではあまり見られなくなっています。時代劇にまつわる話をまとめてみました。





■時代劇の「海」は結構な割合で「琵琶湖」!



時代劇の本場は何といっても、東映さんの「太秦」(うずまさ)。太秦といえば京都です。京都には風光明媚(めいび)な場所が多く、また歴史ある建物もあり、お寺も多い――時代劇にはうってつけの場所なのです。しかし、弱点が一つ。



それは海がないということです。京都府の海は、舞鶴などの日本海側にあり、撮影が行われる京都市から足を延ばさなければなりません。そこで、早く、簡単に撮るために目をつけられたのが、すぐ隣の滋賀県にある「琵琶湖」です。



琵琶湖は撮影に適した砂浜もあり、とても重宝されています。時代劇のロケ場所として有名なのは、大津市の和邇浜(わにはま)、同じく大津市の近江舞子(おうみまいこ)の舞子浜、高島市の萩の浜(はぎのはま)などです。



琵琶湖を「海」に見立てて撮るわけですが、琵琶湖の波はとても静かで、そのため画面に映る「海」も穏やかになるそうです。



■お城は「東映城」!



時代劇にはお城も頻繁に登場します。東映さんの太秦映画村には「東映城大手門」という「団体入口」があります。これは撮影の際にはオープンセットに早変わりします。



以前は、例えば、近景で大名行列が城に入っていくところなどは、実際に(本物の)二条城で撮影されていました。しかし、いちいち行かなくてもいいように、本物の二条城をモデルに常設のオープンセットを造ったのです。これが「東映城大手門」です。大手門が出てくる際には結構な割合でこの「東映城」です。



■昔は天守閣もあったそうな



東映撮影所には昔は天守閣もあったそうです。大河歴史ロマン漫画『風雲児たち』の作者・みなもと太郎先生は、『風雲児外伝10 日本城砦伝』P.08で以下のように述懐されています。



「城なんでどれもこれもおんなじ形だー」

――と幼い頃の私は思っていた。



それは東映が悪いのである(断定)



子供の頃 見た

東映映画は

赤穂城だろうが

江戸城だろうが

鳳城だろうが

鶯城だろうが

(後の二つは架空)

ぜんぶ

同じなのであったー!!



当時の東映撮影所には小ぶりながら自前の天守閣があり(東映城という)、それを映像マジックで堂々たる城に見せていたのである。



みなもと太郎先生は、ご自身も撮影所でエキストラのアルバイトをされたことがあるそうです。みなもと先生の漫画を知らない人は、人生の楽しみを一つ損しています。ぜひ読んでみてください。



■時代劇用の「馬」を集めるのも大変!



2010年の映画『十三人の刺客』は、三池崇史監督渾身の時代劇で興行的にも成功しました。この久方ぶりとなる本格時代劇の制作はとても難しかったそうです。三池監督自身が「時代劇を作るノウハウが断絶していて、馬を集めることがもう難しい」と語っています。



馬は時代劇には重要な小道具ですが、この馬を必要な数集めるのも困難な時代なのです。最近は時代劇のテレビドラマが少なくなり、また定期的に時代物の映画が制作されていません。そのため、「馬」をいつでも使えるように準備しておくことができなくなっているようです。



最後に時代劇の役によっては意外な苦労をしますよ、という話を一つ。



■「あれ、殿が来ねえな……」



今や世界的な俳優、渡辺謙さんが伊達政宗を演じた、1987年(昭和62年)のNHKの大河ドラマ『独眼竜政宗』は視聴率も絶好調でした。しかし、伊達政宗といえば隻眼。遠近感が正確に測りにくく、演じるには苦労もあったようです。



配下の武将が平伏している広間の中央を、ダンダンダンと伊達政宗が入ってくるというシーンだったそうです。



「あれ、殿が来ねえな……」と思って、ふと見たら、渡辺謙さんがバッタリ前へ倒れていたそうです。片倉小十郎に扮していた西郷輝彦さんが披露した話ですが、本物の伊達政宗公もこうしたことがあったのでしょうか。



最近はテレビでの時代劇がすっかり減っています。「寂しいなあ」と思っている人もけっこういるのではないでしょうか。





(高橋モータース@dcp)