いわき市で会った6人の高校生。

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■宿題を先行して引き受ける町

ここは「合州国」と考えたほうがいい場所かもしれない。福島県いわき市。政治の街ワシントンD.C.と経済の街ニューヨーク、他にも多くの都市がそれぞれの役割を持つ合州国に「中心」がないように、いわきにも「中心」はない。人口約33万人、県庁所在地の福島市(約28万4000人)よりも多く、商都・郡山市(32万8000人)を僅差で抜く福島県最大の市だ。東北6県の中でも仙台市(約106万人)に次いで2番目に人口の多い市となる。

だが、いわきを歩いていても、その人口集積を感じさせる場所はない。いわき市ウエブサイト内「いわき市合併についての考察」の中には、1966(昭和41)年の合併後の問題点として正直なことばが記されている。

《合併前の旧地区を単位とする地域意識が強く、新市の一体的な行財政運営の大きな障害になった》

この「問題」は過去形ではなさそうだ。取材で出合った高校生はこう言っている。

「俺らは、あんまり『いわき市の』って意識、ないんですよ。四倉(よつくら)とか、平とか、湯本とか、小名浜の人間だって意識のほうが強い」

・JR常磐線いわき駅や市役所がある小さな城下町・平地区。

・古くからの港町で、現在は一大工業港となっている小名浜地区。

・道後温泉(愛媛県松山市)、有馬温泉(兵庫県神戸市)と並ぶ「日本三古泉」の湯本温泉がある内郷(うちごう)・常磐(じょうばん)地区。

・市の最南端にある工業地帯の勿来(なこそ)地区。

・市の北部海岸に位置し、かつては漁港とセメント工場で栄えた四倉・久之浜(ひさのはま)地区。

いわきは大きく分けただけでも上記5地区に分かれる。資料によっては分け方も異なる。域外の者がこの土地の構成を頭に入れることがひじょうに難しい理由は、地元の人間が語る地区の呼称と合併前の旧市町村名、そして駅名が一致しないということもある(「いわき駅」は1994[平成6]年まで「平駅」だった)。このような背景を持つ地なので、いわき編では登場する6人の高校生に出身中学校も訊いている。

明治時代に廃藩置県を迎えたとき、ここは幕府直轄領と小藩・支藩がモザイク模様を成す地だった。このバラバラの地が「いわき市」としてまとめられた理由を端的に言えば、石炭産業の崩壊だ。この地では幕末から炭鉱の存在が知られていたが、事業としての拡大は1884(明治17)年の磐城炭鉱社設立から始まる。1944(昭和19)年には入山採炭と合併し、常磐炭鉱となった日本有数の炭鉱は、終戦後の日本を支えるエネルギー源となったが、その座はすぐに石油へと移り、1955(昭和30)年に最初の人員整理・一時帰休が始まる。炭鉱は短い期間で衰退し、1976(昭和51)年には、最後の炭鉱(常磐炭砿西部工業所)が閉山した。

いわき市ウエブサイト上にある「いわき市の歴史等について」(出典:「いわき市内地域別データファイル」 いわき未来づくりセンター刊行)の中に、以下の記述がある。

《高度経済成長の端緒に立つ昭和30年代、いわき地区においては石炭産業に代わる新産業を育成し、当時の基幹産業たる石炭産業斜陽化の影響から脱却することが急務の課題であった。このため、昭和39年に『新産業都市建設促進法』に基づく『常磐・郡山地区新産業都市』の指定を受け、その有効かつ適切な遂行を図るため、昭和41年、14市町村の対等合併により、『いわき市』が誕生した。合併したいわき市は、高速交通網や工業団地などの生産基盤の整備と工場誘致を積極的に推進。その結果、石炭産業から電気、化学等の分野を中心とする製造業へのシフトが順調に推移し、現在では、製造品等出荷額が年間1兆円を超える東北第1位の工業都市に成長し、製造業の就業者数も市の就業者人口の約4分の1を占めるに至っている》

クリナップの創業者・井上登(いわきの北、双葉郡広野町出身)が、久之浜工場(1962[昭和37]年)、四倉工場(1967[昭和42]年)、クリナップ常磐工業(現在の湯本工場。1971[昭和46]年)と、いわき各所につぎつぎと工場を建てていったのは、炭鉱の町が「東北第1位の工業都市」へと生まれ変わっていくこの時期だ。

いわき市は、日本の各地方都市がいずれ向き合うことになる宿題の先行事例になっている。基幹産業が失われたあと、どう町を立て直すのか。行政の効率化とスケールメリットを企図して広域合併を行った地域を、実際にどう運営していけばいいのか。そして、震災からの再生と原子炉の廃炉に、どのように関わっていくのか。

日本全体の宿題を先行して引き受けるかたちになったこの地に、昨12月、400人の大人が大挙してやってきた。いずれも旅行会社エイチ・アイ・エス(HIS)の社員だ。同社は33期方針発表会をスパリゾートハワイアンズで行い、400人は現地に宿泊した。「東北地方の復興支援のためにも、福島県にて実施し、旅行業を営む企業として地域・社会への貢献をする」(HIS)という目的に基づくものだ。発表会の席上、400人の大人たちを前に8人の高校生が壇上に立ち、スピーチを始めた。8人はいずれも「TOMODACHIサマー2012 ソフトバンク・リーダーシップ・プログラム」の参加者だった。

■いわき X HIS 2012,12,5・12 [Youth IWAKI] - YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=aPiKtBM5u5c

■参考資料
『目でみるいわき 双葉 相馬新風土記』(いわき地域学會/国書刊行会。1988[昭和63]年)
『ふるさと散歩〈日立・北茨城・いわき・双葉・南相馬編〉』(歴史春秋出版/2011[平成23]年)
『いわき』(小野一雄ほか/歴史春秋出版/2012[平成24]年)

■トモダチ・トラベル

400人のHIS社員の前での、「TOMODACHIサマー2012 ソフトバンク・リーダーシップ・プログラム」参加者8名によるいわき市のアピール。その原型は「TOMOTRA」(トモトラ)と名づけられた事業アイデアだ。

旅行ビジネスを興して、東北に、いわきに人を呼びたい——高校1年生がこのビジネスプランを考えた。白岩春奈(しらいわ・はるな)さんは福島県立平商業高等学校商業科1年生。彼女のこのアイデアを初めて聞いたのは、昨年8月、連載第14回《http://president.jp/articles/-/8064》にも記した、東京・銀座のアップルストア銀座店で行われた「東北の高校生が未来を語る」というイベントだった。

「TOMODACHI〜」参加者のうち6名が壇上に立ち、合州国の3週間で仲間と一緒に考えた被災地の復興策をプレゼンした。白岩さんは、「TOMODACHI〜」に参加した高校生たちと一緒に海外からの観光客を集めるための観光ガイド「TOMOTRA(トモダチ・トラベルの略称)」をつくり、被災地各地でのガイド業を興すことを提案した。

白岩さん、HIS社員の前で話した内容も、銀座で話した「TOMOTRA」と同じ内容なんですか。

「当初のTOMOTRAの方針とは少し異なりますが、プレゼンの日まで時間がなかったということもあって、HISの社員の方々にいわきの魅力をフリートークのような形でプレゼンしました。まずは社員の方々にいわきについて知ってもらい、来てもらおうという狙いです」

さて、白岩さんは将来何屋さんになりたいですか。

「わたしは、小学校や中学生を対象にして、学校ではできないような教育を支援できるようなNPOとかNGOの団体に入りたいです。この前、『ヤングアメリカンズ』っていうのを体験してきたんです。アメリカ人やほかの国の若い人たちと一緒にダンスや歌を歌ったりして、いろんなワークショップを行うんですけど。そういうのって、ぜったい小学校や中学校とかでできないと思って。小学校、中学校で引き出せないものが、そういうところから見つけ出せると思うんです。わたし、自分でそれが出せたので、ほかの子にも出させてあげたいって思ったんです」

ヤングアメリカンズは音楽公演と教育活動を行う合州国の非営利団体。17〜25歳を主体とする300名で構成されている。設立は1962(昭和37)年。1993(平成5)年からは、音楽やダンスのワークショップを小・中・高校生に対して行い、一緒にショウのかたちにまでつくりあげる「アウトリーチ」と名づけた教育プログラムを開始。2006(平成18)年に初めて来日し、震災後は、2012(平成24)年から3年間継続して、東北の公立中学校を中心に回るツアーを始めている。

ヤングアメリカンズ体験の高揚を、一所懸命こちらに伝えようとする白岩さんの思いを、こちらは取材時にじゅうぶん理解できていなかった。だが、取材後にメールで白岩さんに「部活は何ですか」と訊いたことで、ひとつ謎が解けた。

(明日に続く)

(文=オンライン編集部・石井伸介)