マルコ・マテラッツィ氏はピッチから離れても、激しいセンターバックのスタイルを失っていない。同氏は『フランス・フットボール』のロングインタビューで、ジネディーヌ・ジダンからズラタン・イブラヒモビッチ、インテル、ラファエル・ベニテス、レオナルド、『フランス・フットボール』と、デリケートな複数のテーマについて語った。

まず、インテルについては「クラブ内の役職に就くのに自分はふさわしくないと感じた」と話している。だが、マテラッツィ氏は悔しがっているのではなく、シンプルに「人生において、特にサッカーにおいては、感謝なんて存在しないんだ。誰にもね。今のクラブたちは会社になっていて、たとえば素晴らしい選手だったとしても、マネジャーの役割を与える義務はないんだよ」と続けている。

その上で、マテラッツィ氏はマッシモ・モラッティ会長との関係が「素晴らしい」ものだと述べた。ただし、昨年の出来事について、自身の経験が「役立ったはず」とも話している。

指揮官としての勉強をしているマテラッツィ氏だが、夢はイングランドで仕事をすることだ。そして何より、「単純な監督を2シーズンやるよりも、モウリーニョのそばに30年いたい」という。2010年、チャンピオンズリーグ(CL)を制覇してからインテルを去ったモウリーニョ監督について、「残り2カ月で考えを変えさせようとしたけど、彼はすでにレアル・マドリーへ行くことを決めていた」と明かした。

モウリーニョ監督の後任となったのは、ベニテス監督だ。マテラッツィ氏は同監督に「チームを委ねることは決してない」という。ベニテス監督は「ピネティーナの勝者の指揮官たちのギャラリーからモウリーニョの写真を外させた」そうだ。この大きなミスが、チームとの間にすぐに緊張を生ませたのである。マテラッツィ氏を予定より早く引退へと押しやったレオナルド氏ともうまくいかなかったが、同氏については「彼とは明確にし合ったよ」と話した。

マテラッツィ氏との公式の和解を望まなかったジダン氏とは、明確にする方法がなかった。このことについて、マテラッツィ氏は「残念だよ。意識して私に手を差し出せば、彼は素晴らしいところを見せられていたはずだからね。人々は『あのマテラッツィのクソ野郎と握手するなんて、ジダンは紳士だ』と言っていただろうから」とコメントしている。

ワールドカップの決勝でPKを含めて「2ゴール」を決めても、ジダン氏の頭突きがあったマテラッツィは、2006年のバロンドールで50名のノミネートにも含まれなかった。マテラッツィ氏は「『フランス・フットボール』にとっての恥」だと話している。

最後に、かつての友人であるイブラヒモビッチにも苦言を呈した。素晴らしい才能を持ちながら、バロンドールを受賞したことのない同選手について、マテラッツィ氏はこう語った。

「彼はチームメートを励ますのではなく、罵倒するんだ。私にもあった。だが、当時の私はもう十分な経験を積んだ選手だったんだ。若ければ、サッカーをやめるかもしれない。だが、そうやって振る舞っていたら、最後にはどうしてバロンドールを受賞できないか自問することになる。それはCLを制覇していないからではなく、気質の面で改善が必要だからなんだ」