職場では「作り笑いが多い」が3割

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笑いには組織における「潤滑油」の機能がある。周囲をリラックスさせ、職場の雰囲気を和ませることは、仕事を進めるうえで有用だとされている。そのため、現代の会社組織では、「人を笑わせること」が、一種の能力として評価されるようになっているかもしれない。

私の専門分野の感情社会学の用語でいえば、人を笑わせる能力は「感情資本」のひとつだといえる。職場に引きつければ、円滑な人間関係を形成するためのコミュニケーション能力のことだ。「資本」と呼ぶのは、こうした能力は、親や家族環境から受け継ぐ要素が大きいと考えられるからだ。独学やセミナーなどでこの能力を学習することは難しい。だからこそ、人それぞれの感情のスタイルを「個性」と呼んでいたわけだろう。

だが現代社会では、この感情資本の「多寡」が問題とされる。たとえば就職活動において、かつて重要だった在学中の成績はいまや学生の関心外である。学生たちが気にするのは「面接官にどう思われるか」という点だ。実際に企業側も、面接などで学生の感情資本の多寡をチェックしている。最近では、SNSを通じて、学生の交友関係を調べる企業もあると聞く。

ドイツの社会学者ウルリッヒ・ベックは、自らが提唱するリスク社会論のなかで、なぜコミュニケーション能力が重視されるようになったかを考察している。ベックによれば、物事の決定や選択に大きな影響力を持っていた家族や教会、地域のコミュニティ、会社や労働組合といった組織が力を失い、個々人は自己責任のもと自分1人で意思決定をするよう、直接的に社会と繋がらざるをえない時代になった。このため職場という集団のなかでも、その都度の意思決定に向け、周囲との微妙な感情的やり取りをこなす高度なコミュニケーションが強いられるわけだ。

他方で、企業も従業員の「泣き笑い」に敏感になった。部下を強く叱ることは、ハラスメントだと言われかねない。飲み会や慰安旅行といった、人間関係の調整機能を担う祝祭的な場は減った。鬱病などメンタルヘルスの問題が注目されるなかで、ネガティブな感情は排除され、ポジティブな感情だけが称揚されるようになった。

感情的なコミュニケーションはそれぞれの文化的背景に応じて違う。その意味で、職場の「怖い人」とは、文化や世代でギャップのある人ではないだろうか。

■場づくりのヒントは『釣りバカ日誌』にあり

その人は、「職場では笑うべきではない」と考えているのかもしれない。職場での自分の役割を規定し、威厳のある人間として振る舞おうとする――。米国の社会学者アーヴィング・ゴッフマンは、こうした行動を「印象操作」と名付けている。言葉遣いや表情、服装、髪形などをコントロールすることで、自分に対する他者の印象を自分の望む方向に管理しようとする。そうだとすれば、その人を職場で笑わせることは難しい。だが職場から離れた場所であれば、可能性はあるだろう。

ゴッフマンは「ペルソナ(仮面)」という概念も唱えている。演劇で俳優が場面に応じて仮面を取り換えるように、私たちも職場や家庭といった場面に応じてペルソナを使い分けている。マンガ『釣りバカ日誌』を思い出してほしい。ハマちゃんとスーさんは、職場では平社員と社長だが、釣りでは師匠と弟子に変わる。スーさんは職場では厳しい顔をせざるをえないが、船上では相好を崩せる。

「怖い人」は、職場での相応しい役割を考え、それを演じようとする素直な人でもある。お笑い芸人は、テレビや劇場だから、笑いをとれる。職場で同じネタを披露しても、すべるだけだろう。他愛のない冗談を、皮肉や非難と解釈される恐れもある。「これは冗談です」という文脈を用意しておかなければ、藪蛇になる。空気を読むより、空気をつくることが大事だ。

とはいえ職場での笑いにはこだわらないほうが健全だ。常に和やかで、明るく、笑顔を絶やさないことが求められるとしたら、それは組織の雰囲気を維持するため、社員にコストを支払わせるということだ。無理に感情を合わせることを強いれば、潰れていく人もいる。感情を周囲に合わせられる姿を称揚する「感情管理社会」という風潮は問題だ。笑いを深刻に考えすぎないほうがいいだろう。

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慶應義塾大学文学部教授 岡原正幸
1957年生まれ。80年慶應義塾大学経済学部卒業、87年同大学院社会学研究科博士課程修了。専門は感情社会学。著書に『ホモ・アフェクトス』、共著に『感情の社会学』『生の技法』、訳書に『地位と羞恥』(S・ネッケル著)がある。

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(慶應義塾大学文学部教授 岡原正幸 構成=大山貴弘 撮影=プレジデント編集部)