約20年ぶりに作曲活動を再開したゲームミュージシャン国本剛章氏インタビュー(後編)

約「20年ぶり」に作曲活動を再開したゲームミュージシャン国本剛章氏インタビュー。二部構成の後編です。

【関連:約20年ぶりに作曲活動を再開したゲームミュージシャン国本剛章氏インタビュー(前編)】
 
――当時は、ハドソンは、100万本とかソフトが売れていたと思うのですが。いきなり任されたっていうのはすごいですね。

ハドソンが急成長している最中であって。ご存知かと思いますけど、『ナッツ&ミルク』とか『サラダの国のトマト姫』とか。まだそんな爆発的なセールスでもなくて。ファミコンがホントにまだ始まった頃なんですよね。まさかその後、こんなビッグビジネスになるなんて誰も思ってないですよね。だから、『チャレンジャー』も若手の有望なプログラマーが本当に数人で作っているようなイメージですよ。小規模な会社のイメージだったんですよ。だからあんまり緊張もしなかったし。みんな若かったんですよね。ハドソンのスタッフもみんな20代で。いわゆるベンチャー企業みたいなものですね。

――その頃は、高橋名人は(ハドソンに)いなかったんですか?

多分、いたんですよ。高橋名人は年が私の2、3個年上で。当時はお会いしたことがなくて。

――『スターソルジャー』の曲のコンセプトを教えてください。企画者さんから注文を受けたことはありますか?

『チャレンジャー』が1作目で、『忍者ハットリくん』が2作目なんですよ。『スターソルジャー』が3作目で。最初の2作はすごい順調に行ってて。2作ともクラシックの曲を使っているんですよ。 ビゼーの『アルルの女』って曲とか。あと、オフェンバックの『天国と地獄』とか使ってて。だから、誰でも、小学生でも聴いたことがあるってことを前提にやっていたしいいんですけど。『スターソルジャー』は完全オリジナルなんですよ。

その時のプログラマーさんがすごくこだわりのある方で。あの、こだわりはすごくあるんですけど、音楽はあんまり詳しくなかったんですよ。それで、あの、上手く言葉でこんな感じっていうのが伝えられなかったらしくて……。ご本人もすごくもどかしい感じで。「これ、こうじゃないんだよな〜」ぐらいしか言えないですよね。じゃ、しょうがないからとこっちが一生懸命に質問して。「もうちょっと明るい感じですか?」とか「もうちょっと勇ましい感じですか?」とか訊いて、なんとかすりあわせをして。で、また作り直すわけですよね。で、作り直して持っていくと。「また、ちょっと違うんだよね〜」っていわれて。何が違うのかが、こう、お互いに伝わらないですよね。でも、そのプログラマーさんの心の中にはきっと理想形があったと思うんですよね。それが上手く言葉で伝わらなくて……。私もそれをなんとか聞きだそうとしたんですけど。それで結局ね、5、6回かな。作り直して。で、まあ、やっとなんとか妥協点といったら変だけど、OKをもらって。で、あの曲になったんですよ。だから、最初に持って行った曲と全然ちがうんで。

――すごく、耳によく残る曲ですよね。あとで高橋名人の歌が付いた、「ラザロ、ラザロ」とかの。

そうそう。特にパワーアップした時の曲が、当時の小学生の男の子に特に人気があって。あの、よく、そうやって「あの曲すごい好きでした」っていわれるんですけど。それはすごい嬉しいんですけど。じつは私はそれほど好きじゃない(笑)最初に作った曲の方が好きなんですよね。それがやっぱり作り直していく中で、なんか……やっぱり、嫌いってわけじゃないですけどなんか、それほど好きじゃないのに。なんか受けるんで、不思議だなとは思ってますね。

――非公開曲はどこかで聴けるのでしょうか?

それは、私のwebを見ていただければとしか、いうことができません(笑)

――次は、『迷宮組曲』に関して教えてください。

『迷宮組曲』は第4作目で、ハドソンのプログラマーっていうか笹川さんっていう人がいて。その人が、タイトルに「組曲」って付けるぐらいですから。音楽に力を入れたゲームだよって宣言してるもんじゃないですか。最初からタイトルが決まっていたんですよ。それでその『迷宮組曲』は、「音楽がキーワードになるようなゲームをやるけど、国本さんやりますか?」っていわれて。大分、自分もプレッシャーを感じつつやったんですけど、まあちょっと若干オチがあって。あのゲームの中で、「ボーナスステージ」っていうのがあって。ご存知ですか? 音符を、シャープとか集めるんですよ。最初は、ドラムというかノイズの音しかなくて。で、だんだん、音が増えていくんですよね。で、最後は、全部の楽器が鳴るっていうストーリィなんですけどね。

で、「あの曲がいいですね」ってよくいわれるんですけど、実はあの曲は私じゃないんですよ(笑)違うんです。井上大介さんが作曲してて。だから『迷宮組曲』の曲の全部の作曲が私ということではないんですよ。あのゲームのもっとも核となる、だんだん音楽や楽器を集めていって、音楽が充実していくいうその一番核となる部分を、まあ、違う方が担当されていると(笑)よくね〜それはいわれるので、あの曲が好きですっていわれると、私もそのつど否定して、「あれは違うんです」っていうんで。まあぜひそれはあの誤解のないように。ボーナスステージ以外が私の担当です。

――効果音もやられたんですか?

効果音を作るプログラマーの方がいらっしゃいまして、ほとんどその方が作ってるんですけど、『迷宮組曲』の場合は、お城の中と外を出入りする扉の音だけは、私が作りました。効果音というか曲というか、判断がわかれるところではあるんですけど。それ以外は全部スタッフが。

――曲作りで苦労されたところはありましたか?

『迷宮組曲』は、あの、やっぱり、最初に7割か8割ぐらい完成した絵を見せてもらって。その絵を見て、音はまだ鳴ってないですよね。それを見て自分なりにこう浮かんでくる曲を作るんですけど。なんかその、お城の中の場面が、やっぱりちょっと、優雅な感じがしたんで。なるべくそういう格調高いといったら変だけど……優雅な曲を、ガチャガチャしたんじゃないのをと思って作り始めたんですけど。自分の悪い癖で、すぐね、あの、なんかいじくってね。なんか、複雑な曲になりがちなんですよ。それで、そうなっちゃいけないと思って、シンプルにシンプルにと思って。自分の気持ちを抑えるのが、自分との戦いですよね(笑)作り込みすぎるとダメになるねえ。抑える。それだけですね。

――『高橋名人のBUGってハニー』のコンセプトはどうだったのでしょうか?

『高橋名人のBUGってハニー』は、うーんと。誤解のないようにいっときますけど。あのゲームの中に何曲か入ってますけど。あれもやっぱり複数の作曲家が分担してるんですよ。だから自分の作った曲も入ってるし他の方が作った曲も入ってるんで。

その頃になると、もう……ファミコンが完全にビジネスとして成り立ってて。会社もおっきくなってて。分業制で仕事をしてて。しかも同時並行で何本ものゲームを作ってたんですよ。で、作曲家も何人もいて。だから、あの……発注の仕方がちょっと変わってて。変な話、もう画面とか見せてくれなくて。例えば、ちょっとアクションシーンで使うから激し目の曲を1周1分ぐらいの曲を、なんか、明後日までに作ってみたいな……。ちょっと絵はないけどみたいな感じとかもあったんですよ。なんかわからないけど、とりあえず作って持ってって。その曲がどのゲームのどの場面で使われるかわからないみたいな。で、そんなのがその頃なんですよ。

だから、逆にいうと、こっちの思い入れもなくて。で、出来上がった後のゲームはいただくんですけど、『高橋名人のBUGってハニー』できましたってカセットいただくんですけど。実際、ファミコンにそれを刺してやっても。自分ゲーム下手くそなんですよ。だからその、1面とかで死んじゃうと、仮に3面とかに自分の曲があっても、いつまでも行けないんですよね(笑)それを聴くためにがんばる気力もないんです(笑)じゃ、いいや〜ってなっちゃって。結局やらずに。当時はyoutubeなんかも無かったので、自分の曲がゲームのどこに入っているかわからないまま年月が流れっていう状態だったんですよ。

ここ数年で、youtubeとかに色んな人が『高橋名人のBUGってハニー』全曲集とか、そういうの挙げてくれてるんで、それを観て「これこれ」。初めて観るけど「これこれ!」みたいな。変な話、その辺はもう思い入れもないんですよ。コンセプトとかもちょっとわからないですね。

――『桃太郎伝説』に関して教えてください。

『桃太郎伝説』も、間違いのないようにいうと、私は2曲しか提供していないんです。で、大多数の曲は、「サザンオールスターズ」のベースの関口さんっていう方がやってます。私が担当したのは金太郎の村の盆踊りみたいな曲と、桃太郎がレベルアップする時の2小節ぐらいの曲だけですね。それも、ほぼ関口さんに全曲頼んでる中で、ゲームの多分、納期がもう明日とか明後日とかいう時になって、「やっぱりレベルアップの音楽がね〜」とか(笑)電話があって。多分、関口さんがつかまらなかったんじゃないですか。「国本さんレベルアップは明後日までに作って」ということで、ポーンって作って差込みみたいな感じなので。なんか別にそれも語るほどのものではないですね。

――90年代以降は何をされていたのでしょうか?

私、20年ぐらいサラリーマンをやってたんですけど。ハドソンの仕事を辞めたというか……無くなった時には。その大きな理由としては、ハードの方がすごい勢いで進化して。表現できる幅がすごい広がったんですね。ファミコンはご存知のとおり出る音が3和音+1ノイズじゃないですか。それ以上でない。で、その後でてきたPCエンジンが、合計で6音。で、だんだんハードが進化して。で、プレイステーションとかになると、要は世の中のあらゆる音が出る。録音しちゃえばオーケストラでも出せる。っていうように変わってきちゃったんで。そうすると作曲家に来る依頼も、どんどんそういうなんていうか、音数が無限に使える音楽であったりとか、ご存知のとおり、『ファイナルファンタジー』とかどんどんそういう贅沢な音楽になって。映画みたいになってくるんですね。で、そんな時代に私は、音数が少ない音楽を得意としていたので。自由に音数使って良くなってきた時に、あのもう……もはや過去の人になったわけですよ……。それで、なんとなくもう仕事が来なくなって。

それでサラリーマンになって。音楽は趣味でバンドでやってるだけになったんですよ。で、自分が作ったゲームの曲を、当時聴いていた子どもさんがだんだんじわじわ大きくなりまして。で、5、6〜7年前かな。自分もPCでインターネットを始めて。ちょっと遅かったんですけどね。45歳ぐらいの時に始めて。そしたらその、自分はすっかり忘れてたんですけど。そういうゲーム音楽が今でも好きで、「あの曲は誰が作ったんだろうね?」みたいなことをいってる人がいるというのを見つけて。「あ、そうかそうか。あの時、子どもだった人が大きくなって」と思って。それで交流を持つようになって。今は、おかげさまでそういう、自分と20歳ぐらい離れているような人と、一緒にバンドをやったりとか。そういうことをさせていただいているんです。

その空白期間があったのは、逆になんか良かったかどうかはわからないですけどね。なんかこう、お酒でいったら熟成期間みたいなそんな気がしてますね。よくいわれるのは、今のインターネットの時代だと、新作ゲームを担当しても(したら)すぐに反応が返ってくるじゃないですか。そのゲームのこの曲は良いとか悪いとか。リアルタイムじゃないですか。でも、自分の時は、ファミコンの時はインターネット無かったし。携帯電話も無かったし。小学生がどんな思いでゲームをやってたか知る手段が無かったんですよ。「コロコロコミック」のアンケートハガキぐらいですよね。書いて出したのかもしれないけど、編集部の人しかわからないじゃないですか。それで、知る方法が無かったんで。受けてるんだか受けてないんだかわかんなくて。で、そのまんま、時が流れて。自分の場合は、二十何年経って、「あっ、一部の人に受けてたんだと」いうことがわかって。空白があったことも含めて、まあ今、楽しくやらしていただいて。

――『ひつじの丘』のCDについてお聞かせください。

このCDができたのは、ほぼ、梅本竜さんのおかげなんです。で、制作ハードというか機材の面でいっても、MacのPCで作りましたけども。そのPCと、ロジックっていうソフトが入っているんですけど、そのMacに搭載して、梅本さんが私にプレゼントしてくれたんです。びっくりですよね。「これで国本さん、作曲してください」っていって。

その時は、梅本さんがご存知のとおり、ものすごい、絶好調の時で。世の中のすべてのことは全部自分の思いどおりに上手くいくって思ってた時なんですよ。そのなんかもう一つに私と一緒に何かをするというのがあったんでしょう。だから、自分のポケットマネーをはたいてでも、国本にこれを渡した方が、何ヵ月後かに必ずこれが実を結ぶと思ったんでしょうね……。それでくれたんですよ。それで私はびっくりして。で、しばらくずっと自動演奏の環境から離れてたんで……。でも、やりたいとは思ってたんで。そのきっかけを梅本さんにいただいたから。まあ、勉強して。まず、がんばって使えるようになったっていうのが。ハード面で協力してもらっていうのが一つ。

もう一つは精神的なこと。ホントにもう梅本さん絶好調だったんで。グイグイ引っ張ってもらって。サラリーマンを辞めるっていうのはやっぱりある程度覚悟がいるので。なかなか元には戻れないですからね……。一回辞めたら。収入面でも不安定になりますし。でもそれをやっぱり乗り越えて、辞めようって踏ん切りを付けてもらったきっかけは梅本さんの持ってるパワーとかそういうのだったんですね。だから、ハード面と精神面で、両方で引っ張ってもらって。助走をつけてもらって、自分はそれに乗っかってなんかガーって背中を押してもらって。その途中で梅本さんは亡くなってしまったんですね……。

その背中を押してもらった勢いがあるまま、あ「あれ、なんか押してくれる人がいないな」って思ったけど、もう走ってるから自分は。で、これが出来たんです。だから、ほぼ、出来たのは梅本さんに背中を押してもらったからって思ってますし、実際、音楽的にも、梅本さんの作風の影響を受けた曲もこのCDに入ってます。梅本さんファンにもぜひ聴いていただきたいです。

――そういった事情は知らなくて……。そういった経緯があったんですね……。……このCDの中で特にお奨めの曲ってありますか?

その梅本さんに作風でも影響を受けたっていうのは、7曲目の「膠着(こうちゃく)」っていう曲なんですけど。それは曲調もよく人から梅本さんみたいな曲だねっていわれますね。

――そういえば梅本さんもよく二文字のタイトルで曲を作ってましたね。

それは偶然ですね。でもそれも無意識にそう思ってたのかもしれないですね。

――「タケちゃん&健ちゃん」など、バンド活動について教えてください。

「タケちゃん&健ちゃん」は、えっと、始めたのは3、4年前かな。私がタケちゃんで、で、相方の健ちゃん(松澤健)がいて。彼は、去年30歳の誕生日だったんです。で、幼稚園の時に『チャレンジャー』を買ってもらったという。で、すぎやまこういちさんの『ドラゴンクエスト』とかがもちろん好きなんですけど。好きな作曲家の中に、国本もいて。で、私のやってる他のバンドのライブに彼が来てくれたんですよ。お客さんとして。で、自己紹介してくれて。そして、知り合って。そしたらそのやっぱり、彼、すごい熱心だから。演奏能力も高いし、「じゃあちょっと一緒にやってみませんか?」っていって誘って始めたんですけど。その世代の人の、ファミコンを聴いてたのはむしろちょっと早熟というか、不思議で。むしろ、そのちょっと後の、スーファミとか。そういうのが好きな人多いじゃないですか。この世代は。

そういう音楽とか私は知らなかったんで。逆にそういうのを紹介してもらって。知るきっかけになったりとか。30代ぐらいの人と一緒に、子どもの頃にゲームが好きでしたっていう人とバンドをやってると。自分はその頃を知らないので。さかのぼって勉強できるっていうか。こういうのがあって、今に至るんだっていうか。間が抜け落ちてるんですよね、やっぱり。それを知ることができるし。なんか、新鮮な気持ちでできるので。そんな感じでやってますね。

私、例えば『クロノトリガー』とかそういう曲とかずっと知らなかったんですよ。ゲーム自体は大分前に出たじゃないですか。そういうのが良い曲ですよっていって紹介してくれて。実際自分も聴いてみたらこれすごくいい曲だなって思うようになって。例えばそういうことですね。最近は、自分の曲だけ演奏してるんじゃなくて、梅本さんの曲も演奏してるし、そういうスーファミとかの曲も、どんどん、いいなという曲は取り入れて、やるのが楽しいなと思いますね。

――バンドは活発に行われていて。この間のバンド公演に、のこいのこさんが参加されていたのはどうしてですか? 豪華ですよね。

のこいのこさんは、ご存知のように、「ひらけポンキッキ」とか「はたらくくるま」とか「パタパタ・ママ」とか「カップスター」とか、あれが流行ったのがやっぱり、20年前とかだと思うんですよ。で、その時に、子どもだった人が、大きくなって、今でも好きだという人が多い。あの方自身、ライブ活動というか歌手活動もあんまり積極的にされてないんですよね。だから、これはもったいないだろうと。ということで、一緒にこの前やってみたら、ものすごく楽しくて。お客さんと一緒に「はたらくくるま」とか大合唱して(笑)これは楽しいぞということになりまして。

――近況、告知などございましたら、教えてください。

私、今、「オール1ブラザーズ」というのをやってまして。オール1だけに馬鹿馬鹿しいバンドをやっていまして。学校の成績がオール1みたいな。そのオール1ブラザーズで3月に名古屋、大阪ツアーっていうのをやりますので。3月の22、23、24日。で、その時にその、名古屋や大阪でゲームの音楽を演奏するグループがありまして。そういう人たちと一緒にライブをやりますので。詳しくは私のHPの「キノコさんの休憩室」ってところに掲載してますんで、できればちょっと小さく明記していただけたら(笑)

名古屋、大阪の方は、ぜひ、お越しいただけたらと思います。今、決まってるのはそれだけですね。

──去年を振り返ってみていかがでしたか?

2012年は、大きな出来事は。一つは「ひつじの丘」が8月に発売になったということ。で、同じ8月ですけど、梅本竜さんのメモリアルライブを開催したというところで。お世話になった梅本さんに対して、自分なりにそこでちょっと一回、なんていうのかな……整理というと変か。いつまでもずるずる引きずるわけにもいかないので、一つの区切りを付けたかったんですよね。それで、まあこれからも梅本さんの曲は演奏するし、梅本さんの旧友の方とかとはお付き合いは続くんですけど。一つの区切りをつけて。というのが、そこの8月ですね。で、あとは、年末というか秋以降に、のこいのこさんと知り合って、今年の1月が初めてのライブだったんですけど。自分にとってはこれが大きくて。今年のこれから春夏秋と、自分の活動のまちがいなく一つの核になりますから。多分、のこいのこさんファンは全国に多数いらっしゃると思うので。あの、そういう人たちになんか、彼女の元気な歌声を届けられるように、一つの大きな柱としてがんばっていきたいです。そのきっかけができたのが去年ですね。そんな感じです。

──今年はどういう年にしたいですか?

ゲームの音楽を演奏するのは大きな柱なんですけど。それを中心に持ちつつ、のこいのこさんだったら、歌モノだったり。そういったものを両方上手くミックスさせて。ゲームの音楽のファンの人にも、のこいのこさんの良さを知ってもらいたいし。のこいのこさんの昔からのファンにはゲーム音楽の良さを知ってもらいたいですね。だから。両方を平行して一つのライブで必ずどっちもやるみたいな感じで。そんなにかけ離れたものじゃないんですよ。だからやっぱり、子どもの時に聴いて良かったなと思うものって割と大人になっても良かったり。だから、それを、たんなる回顧主義じゃなくて。ちょっと新しいものを取り入れつつ、大人の音楽の楽しみ方でやっていきたいなと。ライブ活動が中心となると思うんですけど。それをやっていきたいのが今年の目標です。もうすでに計画はしておりますので。

──楽しみにしております。お忙しいところ、ありがとうございました。

国本剛章氏

 
【プロフィール】
国本 剛章(くにもと たけあき):『チャレンジャー』『迷宮組曲』『スターソルジャー』『忍者ハットリくん』など、今も幅広い世代から愛されているファミコンのゲームミュージックを世に送り出してきた。札幌出身で、大学時代はヤマハでアルバイトをしていた。1990年に『三宅裕司のいかすバンド天国』にバンド出演している。

【リリース情報】
アルバム
『国本剛章WORKS〜ひつじの丘〜』
販売日:2012/8/3
品番:SRIN-1097
定価:2,100円

【オフィシャルサイト】
「キノコさんの休憩室」
https://sites.google.com/site/kinoko3qkc2/
【販売】
「Sweeprecord」
http://sweeprecord.com/
【ツイッター】
https://twitter.com/kinokowakame

(インタビュー:川上竜之介)