自分以外の存在に何かを伝えること

仕事とは? Vol.89

アーティスト 日比野克彦

アーティスト・日比野克彦氏が語る「アートとは何か」


■アーティストの役割は、みんなの中にある感じる力を引き出すこと

大学在学中の1982年に「日本グラフィック展」で大賞を取ったのをきっかけに活動を始め、80年代はものすごい量の仕事をしていました。ものを作るにはパトロネージュ(おもに芸術的な活動などに経済的・精神的な支援をすること)が必要ですが、当時は好景気で企業の文化支援も活発でしたね。中でもテレビや出版などのメディアや百貨店、飲食店といった「新しいもの好き」の業界は若いアーティストたちの有力なパトロンでした。僕もそういう場で仕事をし、個人的な作品を発表する機会も得ていきました。

ところが、90年代になって経済的にすべてのものが疲弊してくると、企業の文化支援は失速。その後、アートの世界にもグローバル化の波が訪れ、海外のアートマーケットで自らの作品を流通させることに活路を見出すアーティストも増えていきました。そういう世界にも関心はありましたよ。80年代から海外でも個展は開いていたし、国際的な評価を得て「ビッグになってやるぞ」というような欲は当然あって。一時的にニューヨークに拠点を移したりして、ここでやっていくにはアートマーケットに身を置くしかないかなと考えたこともあります。

一方で、アートというのは人々の生活に根ざしたもので、一部の情報を持った「選ばれし人」だけのものではないという思いも確固としてありました。そういうアートもあったっていいけど、それだけじゃないだろうと。だから、アートマーケットの世界には行かなかった。じゃあ、アーティストとしての僕の役割、自分でないとできないような動き方って何だろうと考えたときに、アートが日常の中できちんと機能していくような装置自体を提供していくことだと思ったんですね。でも、それが具体的にどういうことかはわかりませんでした。

ちょうどそんな時に新潟県・越後妻有の里山で3年に1回開かれる芸術祭がありました。僕は21世帯しかないあざみ平という集落にある廃校で作品を発表することになって、せっかくだから地元の人たちと一緒に何かをしたいなと思ったんです。ところが、地元の人たちは「アートなんかわからない」とにべもありません。

あきらめかけていた時、荒れ果てているはずの花壇に黄色い花が植わっていることに気づきました。聞けば、「東京からお客さんがくるということで、植えた」と。拒絶されているわけではないんだなとホッとして「一緒に花を育てませんか?」と切り出すと、話が進んで朝顔を植えることに。その場で黒板に絵を描いて、校舎を覆い尽くそうと提案したら、男性たちが屋根までロープを張ってくれました。

夏の終わりには校舎全体が花で覆われて、廃校はその表情を変えました。それでひと区切りのはずだったのですが、秋には地元の方たちが種を収穫し、「来年もやろう」と。その後あざみ平では朝顔が毎年育てられ、そればかりか収穫された種が全国各地にリレーのように運ばれて人と人、土地と土地の交流を生んでいきました。この「明後日朝顔プロジェクト」は今年(2013年)で11年目を迎え、夏には全国27カ所で花を咲かせる予定です。

越後妻有で朝顔が初めて咲いたころから、個人としての制作活動のほかに全国のさまざまな地域の人たちと一緒に作るプロジェクトやワークショップが僕の活動の大きな比重を占めるようになりました。横浜や舞鶴、鹿児島などで展開された「種は船」や古着を持ち寄ってみんなで作った旗でサッカーを応援する「マッチフラッグ」などたくさんのプロジェクトを並行して進めてきましたが、ひとつのプロジェクトを見た人が「自分たちもやりたい」と地元で企画したりして自然発生的に生まれたものが多いです。

そういう場でアーティストとして僕のやるべきことは、みんなの中にある感じる力を引き出すことだと思っています。アートというのは、単に美しい造形を生むことではなくて、受け取り手が「いいな」と感じてくれることに意味がある。だから、越後妻有で最初は反応のなかった地元の人たちが「来年も朝顔を植えたい」と思ってくれたその瞬間こそがアートなんです。


■自分を表現しなければ、生きている実感は持ちにくい

仕事というのは、世の中に対して自分を表現することだと僕は思っています。野球が得意な人が野球選手を目指したり、料理が好きな人が料理人になるのと同じように、僕ができるのは絵を描くことだったから、絵を表現手段にしてきました。もし、絵よりももっと自分を表現しやすい手段を見つけたら、絵をお休みすることだってあると思います。

何かを表現するということは、ひとりでは完結しないんですよね。表現というのは、自分以外の存在に何かを伝えること。相手を慮る(おもんぱかる)からこそ表現ができるのだし、人とかかわるために表現をするんです。

絵を描くというのは個人的な作業だから、自分が作ったものが他者に伝わったかどうかがわかりやすい。ほめてもらえば3歳児だってうれしくてまた描きたくなるくらい原始的な表現です。そういう人間の本能に近い表現というのは汎用性が高いと思うんです。だから、アートやアーティストが社会の中で役立つ場面はさらにあるはずですし、その可能性を広げていきたいですね。

会社員の場合は組織の中で動きますから、自分が何かをやったときに「これが自分の表現だ」と感じにくいかもしれません。でも、自分が会社の顔だと思って、社会なり、お客さまなり人に何らかの思いを表現していくという意識を持つことが大事だと思います。そうでなければ、生きている実感が持てませんから。

それから、「やったことがないものをやってみたい」という気持ちはやっぱりあった方がいい。知らない世界に飛び込むたびに、そこで出会う人たちとの相互作用で自分の新しい一面が引き出されます。経験値の浅いときは、いろいろなことをやると、自分の根っこがなくなる気がして不安かもしれません。でも、ファインアートの世界だけでなく、広告や舞台美術、ファッションなどさまざまなメディアで活動してきて実感したのは、同じ体から生まれるものはたいして変わらないということ。自分の中では「ブレてるかな」と思っても、他者から見たら「どこが違うの?」くらいのものです。「表現をしたい」「自分以外の存在に何かを伝えたい」という思いさえ強ければ、どんなことをやってもブレようがありません。