山田隆道の幸せになれる結婚 (13) 子供じみた「結婚否定派」に思う--そこに”美意識”はあるのか?

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先日、あるテレビ番組を興味深く観賞した。

同番組にはかたくなに「結婚したくない」と主張する30代女性や、妻帯者でありながら重度のマザコンから抜け出せない30代男性、はたまた10人以上もの男性と並行して付き合っている20代女性など、結婚や恋愛に関して少々風変わりな価値観をもつ男女が”便宜上の相談者”として出演しており、それらの価値観に対してスタジオに居並ぶ”アドバイザー(これも便宜上)”である淡路恵子やデヴィ夫人、ライムスターの宇多丸(すべて敬称略)といったタレントたちが独自の見解を述べたり、説教したり、時には激怒したりすることで番組を盛り上げていた。

要するに、いわゆる人生相談型のバラエティである。

番組の企画としてはよくある定番ネタであり、特に目新しいものはなかったのだが、それぞれの風変わりな価値観に対して、アドバイザーに最初に課せられた仕掛けが少し引っかかった。

たとえば先述した「結婚したくない」と主張する30代女性の場合、彼女の自由気ままな独身ライフ、具体的には彼女の酒まみれの日々の紹介VTRを受けて、スタジオのアドバイザーたちがまず一斉に「アリ」「ナシ」の判定をするわけだ。

このシステムだと、テーマとなる風変わりな価値観が犯罪に関わるものか、あるいは著しく非道徳的なものでもない限り、ほとんどが「アリ」になってしまうだろう。

30代の女性が自身の年齢を顧みずに独身ライフを謳歌し、かたくなに「結婚したくない」と言い張るのも個人の自由だろうし、20代の女性が複数の男性と並行して交際するのも「あなたがそれでいいなら、勝手にどうぞ」という話である。

無論、マザコン夫もそうだ。

奥様は気の毒かもしれないが、そういう男を選んで結婚したのも彼女の意思であり、他人が偉そうに「マザコン夫はナシ」だと断罪できるものでもない。

実際、ライムスターの宇多丸はほとんどのテーマで「アリ」を選択していた。

メディアを通して見聞きする限り、彼は非常に聡明な人物であろうから、そう簡単に他人の価値観を否定したり、自分の価値観を他人に押し付けたりはできなかったのだろう。

もしかすると、彼の本質はゴールデンタイムのテレビ番組向きではないのかもしれない。

個人の理念よりも番組を盛り上げるための策を優先するのが、テレビタレントの適正だ。

しかし、そういう客観的な理屈はさておき、僕が彼ら彼女らに対してある種の嫌悪感を抱いたことも、また事実である。

この感情はいったいなんなのか、と自分の胸の内をよく探ってみたところ、故・つかこうへいが残した「人間はなにを恥と感じるか、それで決まる」という言葉を思い出した。

そう、嫌悪の正体はすなわち「羞恥心の欠如」なのだ。

この羞恥心というものは、価値観の多様化が進む現代日本において、もっとも失われた美徳なのではないかと思う。

女も男もそうだが、30歳を過ぎたいい大人であるにもかかわらず、個人の自由や夢ばかりを堂々と尊重し、「結婚なんて面倒くさいだけ」「結婚なんて無意味」「結婚して親戚が増えるのが嫌だ」などと否定しながら好き勝手に生きていくことは、価値観の自由という意味ではまさにその通りで、誰にも咎められるものではないのだが、だからといって胸を張って主張できるようなものでもないだろう。

少なくとも、これが僕なら恥ずかしくてしょうがない。

自分がみっともなく思えてしまう。

一応断わっておくが、僕は30歳を過ぎて独身であること、または毎日飲んだくれていること自体を「恥ずかしい」と言っているわけではない(文脈をたどれば読解できると思うが、念のため)。

世の中には結婚したくてもできない人もたくさんいるし、仕事や経済など様々な事情から結婚が難しい環境にいる人も多くいる。